片想いはノンフィニート――【オイサラバエル】樋口円香で描かれた感情についての一考察

※一度公開してから大幅に加筆修正を行い、タイトルを一部変更しました。

【オイサラバエル】樋口円香のコミュをTrue Endまで読みました。既読の方はご存知の通り最後にとんでもない衝撃が襲ってくるコミュだったわけですが、その衝撃のラストが円香のどのような感情を表現したものなのか考えてみたいと思います。つまりネタバレ全開になりますのでご注意ください。またS-SSR【UNTITLED】樋口円香のコミュの内容についても言及します。

「透き通る」の衝撃

オイサラバエルTrue Endのコミュは以下のような円香のモノローグで締めくくられました。

「透」、「き」と一文字ずつ発してこの二文字を独立して意識させたから「とおる」につなげるというこの表現の仕方から、「透き通る」を「好き透」と読ませる意図を感じ取るのはそれほど特異な感覚ではないと思います。もちろん別の解釈もあるでしょうが、ここではそう捉えることとします。

このカードのコミュは「美しさ」をテーマとしていて、円香は最終的に「美しいものは透明なのかもしれない」という結論を出しています。透明感といえば文字通り浅倉透。円香はこのコミュで美しいものとは何かという問いの答えを得て、円香は自分にとってその最たるものであるところの透が好きである。単純に考えるとそういうコミュであるとも言えるでしょう。

「る」の欠落は樋口円香の未完の想いの象徴か

ただし、それだけで終わるにはまだ気になる点があります。True Endのテキストの最後の一行は「透き通る」の「とおる」ですが「と お」までしか語られず、「る」が欠落しています。このカードのコミュは「美しさ」をテーマとしていますが、より具体的に言うと何かが欠落したものや不完全なものは美しいか否という問いが中心となっています。であれば、この「る」の欠落も何かしらの示唆を含むと考えるのが自然でしょう。

「透き通る」=「好き透」という想いの不完全な形とは何か。それは想いを伝えられていない、成就も挫折もしていない想いであると考えられます。つまり「る」の欠落した「透き通る」は、単に円香から通るへの好意を表したものではなく、その想いが未完のまま秘されているということも含意しているものだと言えるのではないでしょうか。

このカードのコミュが不完全なものを美しいと思うかという問いに円香が向き合うものである以上、伝えられることなく未完のままくすぶっている自分の感情をどう捉えているのかはどうしても気になるものです。肯定的なのか否定的なのか、その考え方からは今後の円香の透に対する振る舞いも導き出せるかもしれません。ということで、以下では円香がコミュの中で登場した不完全なものに対してどのような価値判断を下したかを確認していきます。

樋口円香は枯れた花を愛せるか

このカードのコミュではいくつかの、「欠落」があるゆえに美しいとされるものが登場します。初めに出てくるのはミロのヴィーナスで、ミロのヴィーナスは両腕がないからこそ、その理想形を鑑賞者に想起させることができるため完全で美しい、といった論理で「欠落によるの美」の一例として示されます。こういった主旨の話は、清岡卓行の評論が教科書にも載っているので見聞きしたことのある方は多いのではないでしょうか。

さらに、人気絶頂で姿を消したアイドルもまた、あったかもしれない未来の想像や過去の美化という形で、失われたがゆえに昇華される「欠落による美」の一種なのではないかという指摘がされます。このカードのコミュで最も重要なモチーフはドライフラワーですが、最も美しいときに突然枯らされるという点でそういったアイドルと相似するものとして登場していると考えられます。

3つ目のコミュ「ドライフラワー」では、そんなドライフラワーを、褪せた花を美しく感じるか否か。それについて、円香とプロデューサーの思想が真逆であることが描かれます。

コミュの中で登場したドライフラワーは普通の手法よりも色褪せを抑えられるという触れ込みのもので、プロデューサーはそれを美しいものと評しましたが、円香はそれに疑問を呈しています。

さらに4つ目のコミュ「ノンフィニート」で右の選択肢を選んだ先では、さらに明確に枯れた花への拒絶を示しています。

腕の欠けた像、ファンに寂しさを残して消えたアイドル、色褪せた花。そういった「完全」な状態に比べてネガティブな要素を持ったものを、円香は美しいとは言えない。そう捉えていると考えることができます。

では円香は自分の片想いが未完であることもよしとしないのでしょうか。この想いを透に伝え、透の想いをもって完成させなくてはいけないと思っているのでしょうか。その結論を出すのはまだ早いので、もう少しだけこのカードのコミュについて掘り下げてみましょう。

樋口円香にとっての「終わらない」という美

True Endのコミュでは円香が何を美しいと思うかが示されます。円香をイメージして作られたドライフラワーのスワッグについて、プロデューサーと円香が以下のようなやり取りをしています。

ここで具体的に語られているのはプロデューサーの考え方ですが、プロデューサーがスワッグの向こう側にある見えないものを見ようとする姿を受けて、円香もモノローグで「美しいものは透明なのかもしれない」と考えています。

物理的には褪せた花でしかないドライフラワーでできたスワッグの、その奥にあるもの。それは作った人が込めた円香への想いや、作った人にとっての樋口円香の本質を映したイデアのような、透明なものでしょう。円香はそれを指して美しいものと捉えていると考えられます。

ただ、おそらくプロデューサーが込められた想いや円香のイデアそのものを美しいと感じたであろう一方で、円香がそれらを美しいと思う理由は少し違っているように思われます。また4つ目のコミュに戻りますが、枯れた花を美しいと思えないと語った円香は次のように続けています。

枯れた花は愛せない。しかし形がなく、時間にとらわれないものなら枯れることはない。枯れないもの、褪せないもの、終わらないもの。円香が美しいと思っているのは、そういった物理法則による絶対の最後を持たない何か。円香がスワッグに宿る想いに美しさを見たのは、想いそのものに胸打たれたのではなくそれが形のないものであるがゆえなのではないかと思います。

ちなみに4つ目のコミュのタイトル「ノンフィニート」はミケランジェロの作品に多く見られる、モチーフの本来の姿と比較すると不完全であるにも関わらずその状態をもって作品の完成とする技法のことです。タイトルもまた、円香にとっての美は終わらないことであるとを示唆しているように思います。

樋口円香の終わらない片想い

だとすれば、そんな円香が放った「透 き と お」もまたノンフィニートだと言えるのではないでしょうか。伝えないことで終わらない感情。ハッピーエンドもバッドエンドも迎えないまま永遠に円香の中に宿り続ける想い。つまり円香は、透が好きだという感情はずっと秘めたままにしておきたい、その方が美しいと考えているのではないかと考えられます。

S-SSR【UNTITLED】樋口円香3つ目のコミュ「部屋」では、「私だけが浅倉透を知っている」という主旨の、円香から透への執着に近い感情が描かれます。一方で、寝ていた透が目を覚まし自分が布団を蹴り飛ばしていたことに気づいて円香に見ていたか問うたとき、円香は「見ていない」と答えます。これも自分の透への視線や執着を隠したいという円香の感情の表れであるように思います。

とはいえ、ずっと隠していれば想いは絶対に終わらないかといえばそうではないはずです。当然、その持ち主がその想いをなくしたり忘れてしまえば想いは潰えます。それを踏まえてもなお円香が自分の想いをノンフィニートであるとみなしているとすれば、それは円香自身はその想いに終わりがくるとは思っていないということを意味していると言えるのではないでしょうか。つまり、円香は自分が一生透を好きでい続けると確信しているということです。なんて想いが重い女。

以上、そうだったら面白いなというバイアスのかかった解釈になります。だいぶ深読みであれですが、これが正しいと主張しているわけでもそれ以外の解釈を否定、拒絶するものでもありませんので、どうぞご容赦ください。

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