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リバティ #3

 リバティというのもいかがなものだろうか。うちではリバティを大切にしていて、僕は小さな頃からリバティとともに育ってきた。まるで兄弟のようだ。小学生くらいまでは一緒で楽しかったけど、中学、高校、大学と進んでいくうちにだんだん前のような関係ではいられなくなってきた。もちろんリバティは大事にしたい。だけど、どうもそれだけではいかなくなってしまって、リバティをないがしろにすることも増えた。でもそもそもリバティって無かったら無かったで問題は無いのではないかという疑問が脳裏をよぎった。そこで試しにリバティを押し入れに閉じ込めて戸をガムテープで留めてみた。何とも言えない罪悪感に襲われたような気がしたが、そのうちそれは気のせいだったようで、特に何も感じなくなった。外に出る。コンビニに行く。コーヒーを買う。スーパーに行く。食料品を買う。うちに帰る。ご飯を食べる。寝る。起きる。大学に行く。勉強する。うちに帰る。コンビニに行く。弁当を買う。弁当を食べる。寝る。起きる。大学に行く。勉強を食べる。コーヒーに行く。コンビニを買う。スーパーに帰る···。
 

 
 ……リバチー。まあ、侘ビ美や寂ビ子よりかはいくらか愛人にし甲斐はあるやもしれん。ちょっとウチまで来なさいな。
   
 (訳が分からなかったリバティは「自由」となった。「自由」は私たちの「足枷」となっていくのだった。)

(完)

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