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「THE REPORT」の“つまらなさ”

よく考えたらこの映画、スゲーつまんない!

2019年公開のアメリカ映画「THE REPORT」(「ザ・レポート」)は、アマゾンプライムで配信されている。

この映画は、2001年9月11日の米同時多発テロ事件後に、CIA(米中央情報局)がテロ容疑者に対して行った拘留・尋問プログラムの実態を調査した報告書に関する実話をもとに描かれている。

このプログラムに関する調査を命じられた米上院議会職員のダニエル・J・ジョーンズは、約630万ページにも及ぶ膨大な量のCIA文書をもとにその実態を調査していく。彼はその中で、CIAが「強化尋問プログラム」と称して拷問を行っており、それを隠蔽していることを突き止める。

あれ? 面白いか、この映画……

この映画を観終わって一言目は「あー疲れた!」とみんな思うはず、絶対。そもそも2時間最後まで観れない人もいると思う。

何に疲れるかって、字幕を追うことに疲れる。普段聞きなれないアメリカの政治・行政・議会用語やその仕組みを理解していないとこの映画はすんなり入ってこない。専門用語がちりばめられた字幕を一生懸命追い、わからない言葉があればその都度調べて、噛み砕きながら観ていく。日本人にはそういう作業が必要になってくる。

そもそも、9.11がアメリカ社会にとってどのようなものか、CIAとFBIの違いやその関係、主人公はアメリカの民主党上院議員のスタッフとして働いているが、アメリカにおける民主党と共和党の政治的立場など、これが分かっていないと本当に話についていけない。

だから1秒も目を離せないのはそうなんだけど、それは展開が面白いからじゃない。確かに主人公は隠蔽工作をも厭わないCIAという「悪」に対峙する「正義」だけど、魅力的な演説で感情に訴えかけるシーンがあるわけでもないし、結果として悪が「スカッと成敗」されたかというとそうでもない。とにかく文書にひたむきに向き合い続ける主人公の描写は非常に平坦だ。だから、観終わってよく考えてみたら「別に面白くなくね?」と思ってしまう。

(CIAが行った拷問はむごいし、これが実話なのだから、原爆を2発も罪のない民間人の頭上に炸裂させる国はレベルが違う。この映画で「正義」とされている人たちもCIAを批判したその口で「原爆は正しかった」と言いかねない。あくまでも「アメリカの正義」という文脈の上で語られるストーリーなのだと、個人的にはそう実感する。)

だが、それでいい

面白い上に、社会的なテーマが織り込まれ考えさせられる映画が一番いいのは確かだけど、こと「THE REPORT」に関して言えば、忠実にリアルを描こうとするとどうしても映画としては「面白くなくなる」(ここでいう「面白い」は展開としての面白さの意味合いが強い)。

でも、アメリカ映画がアメリカの不都合な真実をこうして映画で描きだすことには非常に意味があるし、その点が評価されている。だから、この“つまらなさ”は当然で、正解なのだ。これでいいのだ。展開を面白くしようとして、事実を盛ったりする方が最悪だ。

しかし、それをやった映画がある。「新聞記者」だ。

「ちょっと待てぃ!」な映画

映画「新聞記者」も、「THE REPORT」と構造的には似ている。主人公の若手女性新聞記者が、内閣情報調査室の若手官僚とともに、政権が進める大学新設計画の疑惑に関する調査を進めていく。そして2人はある事実を突き止める。

簡単に言えば、安倍政権の「モリカケ問題」やその他「安倍政権のよからぬ疑惑」がベースになっている。この映画は、東京新聞・望月記者の同名ノンフィクションが原案。望月記者と言えば、官房長官会見で菅長官と「バトル」を繰り広げていることでも有名な、安倍政権に批判的な人物だ。

この映画のオチを言っちゃうと、2人が突き止める事実とは「総理のお友達が理事長の大学が新設される目的は、政府が生物兵器への軍事転用可能な実験をするためだった!」というものです。

僕が千鳥のどっちかなら、横に置いてあるデカいスイッチを押して「ちょっと待てぃ!」と叫んでいる。

なんでそんなにファンタジックになるんだよ! 

「いや、アベならやりかねない……」という人の妄想は置いておいて、なんでもっと、主人公がひたむきに調査・取材する描写や、「THE REPORT」みたいに事実に基づいた展開を描かないのか……。リアリティが損なわれるとこんなにも馬鹿らしくなるもんかと感心する。

他にも、映画内では政権に不都合な情報をコントロールしているとされている内閣情報調査室の描写が酷い。官僚たちがなぜか薄暗い部屋で、情報工作のためにTwitterをカタカタしている。カタカタカタカタカタカタカタカタカタカタ……。不穏な怪しい組織を演出したいのだろうけど、笑ってしまう。

このシーンを観て思い出したのは、映画「シン・ゴジラ」内に出てくる、原子力規制委員会の描写だ。原子力規制委員会出身の巨災対のメンバーが、規制委員会のオフィスから電話をするシーンでは、壁に掛けてある「原子力規制委員会」と書かれたヘルメットを映り込ませることで、規制委員会のオフィスであることを表現してみせた。表現しづらいものを、うまいことやったなと思うが、内調の描写は、仮面ライダーの悪役が会議をしていそうなのだ。

「シン・ゴジラ」のポスターに書かれた有名なキャッチコピーがある。「現実(ニッポン)対 虚構(ゴジラ)」だ。ゴジラの存在は、「新聞記者」のオチよりもファンタジックなのは間違いない。しかし、それに対抗するのがリアルに忠実な描写。だから、日本人は現実の世界に置き換えて映画を楽しめた。

「新聞記者」では、1人の官僚が、自らが上司に言われて行った改ざんを苦にして自殺する。森友学園問題でも、決裁文書改ざんを理由に近畿財務局の男性職員が自殺している。財務省が行った公文書改ざんは到底許される行為ではないし、民主主義の根幹を揺るがす大問題だ。

なんでこうした現実の問題をリアリティをもって描かなかったのか。「トンデモ」のオチや「お笑い内調」に走るんじゃなくて、「THE REPORT」のように正面から突っ込めば、絶対に意味のある映画になったと思うのに。

異を唱えない彼ら

「新聞記者」は日本アカデミー賞最優秀作品賞を受賞した。記者役のシム・ウンギョンは最優秀主演女優賞、官僚役の松坂桃李は最優秀主演男優賞をそれぞれ受賞している。

松坂桃李をはじめ、実力のある俳優陣がこの映画に出演している。展開に関しては酷いもんだけど、ラストにかけて疲弊していく官僚の表情の演技など、松坂桃李は納得の受賞だと思う。

だ・け・ど! 記者役のシム・ウンギョンの受賞はさすがに驚いた。韓国の女優さんだから日本語がカタコト。一般の外国人が、カタコトでも日本語を話そうとしていることを馬鹿にするのは嫌いだけど、これは演技の問題で、やっぱりカタコトでシリアスな演技をされても、頭に入ってこない。カタコトをごまかすためなのか、主演なのにあきらかにセリフが少ない。アメリカ育ちの日韓ハーフという設定だけど、日本の新聞社で働き日本語で記事を書いているのなら、カタコトではアカンでしょ……。これで最優秀主演女優賞か……。

日本アカデミー賞が米アカデミー賞のようになれないことはご存知の通りだが、僕は「それはそれ」と割り切って楽しんでいる。同じく、紅白歌合戦の出場も日本レコード大賞も、本当に公平公正に審査されているなんて思っていない。

だから、映画業界のためにある日本アカデミー賞の最優秀作品賞がこの映画でも僕は納得するのだ。でも、これに異を唱える映画関係者を待っていた。

日本映画は商業主義の性格が強いと言われている。映画の質よりも、売れるために、演技のレベルは関係なしに集客の見込める人気若手俳優・女優が起用されることが多い。

「だから、いつまでたっても成長しない。日本映画が自己満足している間に同じアジアの韓国は『パラサイト』で米アカデミー賞作品賞獲ったんだぞ」

そんな日本映画の現状を憂いて声を上げている映画監督は何人もいる。そういう監督たちは、質のいい映画をつくろうと頑張っている。

しかし、彼らから「さすがに『新聞記者』の受賞はおかしくないか?」という声が聞こえてこない。質を追求しているのなら、この映画の受賞にうなずけないはずだ。それどころか「若手監督が大手以外の配給でこの映画を撮ったことに意味がある!」と喜んでいる。

こういう、一種の政権批判映画が公開されること自体は確かに「言論の自由」の観点からも重要なことだけど、一体いつから日本アカデミー賞は「その映画を撮る意味」を審査基準にしているのか。その映画の質が良いか悪いかじゃないのか。

結局、左派的な、安倍政権嫌いの映画業界のイデオロギーに沿う映画であれば、自分たちの政治的なメッセージを昇華できる映画なら、質なんてどうでもいいのか。日本映画の監督がオスカー像を握っている姿を見るのは、まだ先かと思うと、非常に残念だ。

映画には、文部科学省が組織ぐるみで違法な「天下り斡旋」を繰り返し、自らも関与していたことの責任をとって辞任した前川喜平元事務次官が映像で出演している。ジャーナリズムとしての正義がテーマであるはずのこの映画に、記者としては「敵」であったはずの氏が出演していることのおかしさ。結局彼が、安倍政権に批判的な立場だからだろう。

映画「新聞記者」とその背後にいるイデオロギーに縛られた人たちに、「THE REPORT」内のこのセリフを送りたい。

「政治も偏見もなし 意見や仮説ではなく 事実が重要」

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