[論考]演劇のおおよその大きさ〈第三幕〉

 「もしもし」と私たちは電話をするとき必ず言います。いや、もしかしたら「もっしー」とか「やっほー」とか変わり種は十人十色かもしれませんが、それもすべて「もしもし」の変化系だと思います。
 ロマン・ヤコブソンという高名な言語学者が分析したコミュニケーションの六機能の中に「交話的機能」というものがあるのですが、取りも直さずこの「もしもし」の持つ機能を指しています。「もしもし」という言葉に「メッセージ」はありません。この言葉は「今から私たちはコミュニケーションをとりますよ」あるいは「今、コミュニケーションを取っていますよ」という合図なり、合意のみを表しています。「おはよう」や「こんばんは」もここに分類されます。
 もちろんヤコブソンの分析した六機能は、全てのコミュニケーションが六つのうちのどれかにきっぱり分類できるわけではなく、それぞれをなんらかのバランスで含んでいるというものです。「もしもし」はそのバランスが「交話的機能」に寄った極端な例と言えます。

 『木星のおおよその大きさ』(以下、『木星』)での会話は、この「交話的機能」に満ち溢れているように感じます。いや、ほとんどがこれだといっても過言ではないように思えます。第一場で小柴の話に対する戸塚の「はいはい」という相槌は代表的な例ですし、第二場の、事あるごとに繰り返される「よろしくお願いします」もそうかもしれません。あるいは第三場で梶田と林が笑いながら同時に言う「私たち、ひどいよねー」もそんな様相を呈しているように思います。このような分かりやすい例に限らず、あらゆる場の、あらゆるレベルの会話が、コミュニケーションの「交話的機能」を前面に出しているように僕は感じました。
 この作品を鑑賞された方の中には「無意味な会話」あるいは「無内容」であるというような感想を抱いた方も多くいると思います。たしかに舞台上の「ドラマ」の進行にこのようなセリフはほとんど貢献しません。むしろ停滞させていると思います。しかし、この「交話的機能」で作品を考えると、すごく充実しているように感じるのです。
 第二幕で私は『木星』の演劇的なつくりを「箱の中身はなんだろな」に例えました。演劇というものは何か、輪郭はどうなっているのかを知るために、「手」を押したり引いたり撫でたりしている。構造自体が揺れている、と考えました。この「箱の中身はなんだろな」はコミュニケーションの「交話的機能」についても言えるように思います。
 「交話的機能」は先に述べたように「今から私たちはコミュニケーションをとりますよ」あるいは「今、コミュニケーションを取っていますよ」を示しています。コミュニケーションを取る相手との距離を推し量っている、あるいは距離を多少詰めるときの気遣いのような機能だと思います。これはまさに「箱の中身はなんだろな」的アプローチと同じようです。つまり、私たちがコミュニケーションを取る相手は「他者」です。その「他者」が一体どう言ったものなのかは全くと言っていいほど知りません。それはどんなに親しくても、肉親であっても同じことだと思います。私たちはその「他者」の姿(表面)を見、発する声を聞き、時にはその身体に触れることによって、「他者」がどんな存在かを想像すると思います。私たちが得られる「他者」の情報はわずかで、しかも移ろいやすい。しかしその「輪郭」を捉えようと、コミュニケーションを取るのだと思います。
 このような「箱の中身はなんだろな」的コミュニケーションにこの作品は満ちています。そして登場人物によってその「手つき」は異なる。すごく外堀から恐る恐る「触る」人もいれば、当て推量でガッと強引に「触る」人も、無意識に深く「触って」しまっている人もいると思います。そのような探り合いの動きそのものが作品になっているように思います。「探り合い」というと登場人物全員が能動的に「探って」いるように受け取られそうですが、これは「思わず」ということもあるでしょうし、「無意識に」ということもあるでしょう。この「無意識さ」みたいなところに「パワハラ」や「セクハラ」の問題はあるように思うのですが、そこは措いておき。
 だから僕は、この作品はたしかに「ドラマ」は無いようですが、ものすごく「動き」のある、「激しい」作品だと思います。登場人物が、演劇の構造自体が、演出家が、稽古日誌を書く演出部が、舞台裏のスタッフが、皆それぞれ「箱の中身」はなんだろうと「手」を弄っている。僕のように乱暴に、テクストを書き散らすことで中身を予想しようと企む輩もいれば、それこそ一年以上前から、同じ役に対して丁寧に向き合ってきた俳優さんもいらっしゃいます。今回の『木星』の創作過程全体が、いろんなレベルで「手の弄り合い」で出来ており、そして劇場で観客の皆様もまた「手を弄る」。そのようにして木星のおおよその大きさは捉えられようとしていたように、僕は思います。

幕。

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