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【怠惰のすゝめ】期待に応え続ける毎日は、さぞ生き辛くないか?

 思考を止めた世界に、少年は生を受けた。

 「思考をしない」という普通を強いられながら思考をし続けた少年は

 思想犯のレッテルを貼られ、思考を止めることで大人になった。

 誰かが決めた「正義」が全ての世界で

 誰かが決めた「正義」を全うする中で青年は発狂した。

 喪ってそれが「大切だった」と悟った頃には既に遅く

 人生を悲観した青年は空に飛び込んだ。


 上記の170字の物語は、フィクションなどではなく紛れもない事実であり、今も尚この物語の主人公となっている人物が実在する。それは隣で笑いあっていた友人や家族かも知れないし、他でもないあなたかも知れない。

 教師からの生活態度や学業成績に関する叱責、両親からの「安泰の生活」という理想の押し付け、友人からの同調を求める声。他より劣れば蔑まれ、他より秀でれば疎まれる――それは普通の光景などではなく、多数の異常者が織りなす「ガラス張りのパノプティコン」や「魔女狩りの異端審問所」のような光景であり、言うまでもなく異様である。

 このような抜け出し難い監獄は「他者の期待」によって生み出されており、その期待に応えようとした人はよほどタフでない限り、身も心も蝕まれてゆくのだ。

 そもそも、我々はなぜ消耗してしまうのか。その答えは、「所かまわず能力をさらけ出しているから」である。その点、「能ある鷹は爪を隠す」という諺は理にかなっていると思う。

 「できる」と言う⇒その能力に期待される⇒出来て当然、出来なければ責められる

 一方、

 「出来ない」と言う⇒期待されない⇒出来なくて当然、出来たら凄い!となる

 「期待されない」という後者は一見すると悲しい響きを持っているが、それは自身が消耗しない為の生存戦略なのだ。それでも完全に期待されないのは精神衛生上よくないので、適度な期待の目を向けてくれる共同体に属する必要がある。

 なので「能ある鷹は爪を隠す」では言葉たらずであり、正しくは「能ある鷹は負け戦で爪を隠し、勝ち戦でこそ爪を出す」だろう。

 巧く期待の目を躱しつつ、今日も楽しく怠惰に生きよう。

 

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