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上級語彙はボキャ貧の友人を変えるか


教養としての上級語彙
知的人生のための500語
著者 宮崎哲弥

ニッポン放送朝の番組でコメンテーターを務める宮崎氏が自ら紹介していた本だが「日本人は日本語で考えるから思考を深めるためには豊富な語彙が必要だ」(要旨)という一言に納得して即座に購入を決めた一冊。  

奇しくもその前日、大学時代の友人と電話で話したのだが私の放った「塗炭の苦しみ」という言葉を「理解出来ない、聞いたこともない」という事だったのだ。
以前からこの友人には語彙にしろオヤジギャグにしろ通じないことが多かったのだが。

その塗炭の苦しみという言葉を広辞苑で調べてみて、還暦過ぎの彼は再び電話を寄こし「広辞苑で意味を調べたが俺がいかに言葉を知らないか痛感した。ついては大学卒業の記念品に貰った三省堂の故事成語事典を読むことにした」と言うのだ。
その日の朝この本を私が注文したのを知るはずも無い彼がそう言うのだ。
心意気や佳し。だが彼のやり方は英語学習をするのに英和辞典をⅠページ目から読んでいくようなもので効率が悪い。それならば、と私が注文したこの本を紹介したのだ。
宮崎哲弥氏の名前だけは知っている彼は「宮崎哲弥は知っている。発売日にTSUTAYAに買いに行く」ということで手に入れた旨メールがあった。

読後彼の語彙が増えて会話中の「ちょっと待って」がどれだけ減るか楽しみではあるが寂しくもある。

最近目立つのがメディアに出てくるコメンテーターの多くが「穿った見方」「姑息」という言葉を誤用していることだ。
作家の肩書きを持つ人まで平気で「穿った見方」を連発することがある。

そういった方々におかれては、是非本書を読んで「上級語彙」を身につけて、我々に対して発する自らのコメントに教養を感じさせて欲しい。

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