親子で読みたい相続入門の入門【前編】

はじめに

「残念ですが、もってあと半年でしょう」

元気だった父が突然倒れた数日後、代わりに検査結果を聞かされても私には全く実感がありませんでした。

あまりに突然のことだったからでしょう。

ただ、父のレントゲン写真には、素人の私が見ても「これはもう無理だろう」というくらいに転移したガンが写っていたのです。

私は、勤務税理士時代、相続・事業承継対策を専門に取り扱っていました。

複雑な仕組みを用いた税法スレスレの相続税対策も行っていたわけです。

さらに、26歳で独立してからも、多くの中小企業の相続・事業承継対策を行ってきた自称「相続のプロ」だったのです。

では、自分に身内の相続が現実味を帯びて迫ってきたとき、私は何に取り組んだのでしょうか。

実は、何一つ出来ませんでした。病気の人間を前に遺産相続の話などできるわけがないのです。

「人に惜しまれつつ、現役社長のうちに死ぬ」が父口癖でした。

しかし、まさか本当に62歳という年齢で死を宣告されるとは、自分自身も思ってみなかったことでしょう。

そのため、あれだけ他人の相続対策を行いながら、私自身は具体的な相続対策に全くその時点では取り組んでいなかったのです。

結果的に、本来であれば出来た対策もままならず、相当な税金を収める結果になりました。

「相続のプロ」を自認するものにとっては、こんなことは決して人様に大きな声でいえるものでありません。

では、なぜあえてこの本を書いたのでしょうか。

「相続の話し合いは、親御さんが元気なうちにしか出来ない」ということを皆さんに伝えるためです。

「必要性を実感しないときにやらなくてはいけない。」そこに相続の難しさがあります。そのことを私は身をもって知りました。

身内の相続というのは、起こることはわかっていても本能的に考えるのをやめてしまうものでしょう。ただ、その相続はみんなにかならずやってくるのです。

この記事は、特殊な資産家を対象にした相続税を一気に引き下げるような複雑な手法について書かれたものではありません。誰しもが直面する相続の心構え、事前準備について書いたものです。

いわば「みんなの相続」、相続についての「入門のための入門書」です。

なお、この記事は、あえてライトなイメージで書いてみました。これは、相続そのものを軽く考えているわけではありません。

むしろ、話し合うことすらタブー視されがちな「相続」というテーマについて「みんなで笑って話し合ってもらえる」きっかけとなることを願っているためです。

「相続のプロ」を自認するものでも、現実に相続に直面すると、なかなか思うようにはいきませんでした。はじめてのことばかりのみなさんは、なおさらのことではないでしょうか。

さあ、みなさん。漠然と不安と悩みを抱えながらもつい目をそらしがちな相続。必要のない今だからこそ、まずは「隣の相続を覗き見する」つもりでちょっと考えてみませんか?

<注>この本は令和2年1月現在の事実に基づいて記載しております。また、説明の都合上適用要件の詳細や例外規定については省略しています。実際の実行の前には、詳しい適用要件や最新の規定等について必ずご確認頂くか、専門家に相談して頂きますようお願い致します。

第一章 隣の相続は、なぜあんなにもめたのか

1 相続がもめる原因は、「意識のギャップ」

親戚縁者や隣近所でも、「遺産相続でもめて大変だった」という話は、多くの方がきっとどこかでお聞きになっていることでしょう。

私の知る限りでも、最長で19年間かけて最高裁まで争った例があります。また、それ以外でも4、5年にわたり係争が続く事例というは、私の関与事例でも決して珍しいものではありません。

「遺産相続のトラブルなんて金持ちのものだろう。うちには関係がないね。」

多くの方は、周りで遺産相続のトラブルを見聞きしても、そのように考えるのでしょう。

しかし、現実には、遺産相続のトラブルは決して多額の資産を持っている人だけの話ではありません。

むしろ「財産といえば自宅しかない」というような方の相続の方がもめる例が多いのです。

では、なぜこれほどまでに相続はもめるのでしょうか。

話は変わりますが、居酒屋に行くと「うち会社は俺のお陰で持っている。社長は何もわかっていない」と大声を上げている人を見たことはありませんか?

その社長が別のクラブで「うちの従業員は何をやらせてもダメ。俺一人が働いているようなものだ。」と愚痴をこぼしていたりします。

実は、相続がもめるのも本質的にはこのようなことと全く一緒です。そこには「意識のギャップ」が存在しているからです。

では、次にどんな遺産相続上の「意識のギャップ」があるのか。3つの例を挙げてみることにします。

<ポイント>なぜ、遺産相続はもめるのか?それは、数々の「意識のギャップ」が存在するから。

2 「親を扶養した人とそれ以外の人のギャップ」

中川一郎夫妻は、長年に渡り同居しながら介護をしてきた母の葬儀を終え、ほっと一息をついていた。

「今まで本当にお前には世話になったな」
「まあ、急になにをいうの」

普段は妻にねぎらいの言葉などかけたことのない一郎もこのときばかりは自然と感謝の言葉が出てきた。

しかし、夫妻の苦労はこれで終わったわけではなかった。むしろ長く険しい戦いの幕開けに過ぎなかったのだ。

「兄さん、まだ葬儀が終わったばかりで言うことではないのだろうが」

最近会社を辞めフランチャイズの学習塾を始めたという弟、二郎が声をかけてきた。

「実は、なかなか生徒が集まらなくて資金繰りが厳しいんだ。」
「できれば早めに遺産分割を済ませたいんだよ。」

(まだ、母さんが亡くなったばかりで何を!)
一郎はその言葉をぐっと飲み込んだ。
「ああ、そうか。お前にも事情があるのだろう」

お袋だって「兄弟仲良くして欲しい」と言い残していたのだ。ある程度の遺産分けをしてあげるのはお袋だって望んでいたことだろう。

「この間不動産屋に聞いたところこの家は、古くはなっているが5,000万円の価値はあるそうだ。」
「法律では、兄弟の取り分は1/2ずつなんだって」
「そうなると、俺の取り分は少なくとも2,500万円にはなるね。」
「こっちも資金繰りが厳しいので、早めに用立ててくれないかな、兄さん」

矢継ぎ早の二郎の話に、一郎夫婦はうろたえるしかなかった。

「お前な、法律って言うのはタテマエの話だろ。俺たち夫婦がお袋の介護でどれだけ苦労したと思っているんだ。」

冷静さを取り戻した一郎は、無性に怒りがこみ上げてきた。

「お袋が残した預金が1,000万円ある。そのうちの一部をお前には分けてやろうとは思っていたさ。」
「ただ、家は長らくお袋と住んできた俺が相続すべきだし、それ以外の部分だって俺たちの努力をどう考えているんだよ。」
「大体お前は海外勤務ばかりで、ろくにお袋の面倒なんか見たことなかったじゃないか」

今までの苦労が思い浮かび、一郎の眼にうっすら涙が浮かんだ。

しかし、二郎が浴びせた言葉は夫婦の予想を遙かに超えたものだった。

「そこまで言うなら、俺も言わせてもらうよ。俺たち夫婦は、自分で家賃を支払い自分の給料だけで子供達を育ててきた。」
「だけど、あんた達夫婦は、タダでこの家に住んでいたんだ。それにお袋の年金があったからこそ子供を私立に上げることもできたんじゃないか!」

* * *

老親と同居し最後まで看取った人は、「この自宅は当然相続させて欲しいし、それ以外の部分でも相続については自分たちの努力を考慮して欲しい」という考えを持つはずです。

もちろん多く人はそれらの考えを理解してくれるでしょう。

しかし、中には 「あの家族は親の年金で良い暮らしをした。私は家賃の支払いで苦しんだのに、あの家族はタダであの家に住んでいたのだ」と言う考えを持つ相続人も決して少なくはありません。

「本当にそんな人はいるのか?」
私も最初にこのようなことを言われたときには、すぐに意味がわかりませんでした。

しかし、事実、このような相談が最近多くなってきています。

「相手がこちらの努力をそのまま評価してくれるとは限らない」ことを理解しなくてはいけないということでしょう。

<ポイント>親の介護をした人としなかった人では、その苦労に対する「意識のギャップ」が生まれやすい。

3 「長男とそれ以外の兄弟のギャップ」

「もう限界だ、俺たちは出ていく!」

嫁姑問題がこじれにこじれ、市川太郎が妻を連れて家を飛び出したのが10年前。それ以降は、弟・裕二夫妻が年老いた両親と同居をしていた。

もちろん裕二の妻と母との間でも、嫁姑のトラブルはあった。だが、同居して10年、なんとか大爆発には至らないよう折り合いをつけていた。

「最近はどうも脂っこいものが苦手なのよ。」
「当たり前だろ、お袋。もう75だぞ。」

裕二は夕食のトンカツをほおばりながら母の言葉を聞き流していた。
しかし、母の食欲の低下は年齢のせいではなかったのだ。

母の胃ガンはスキルス性胃ガン。手の施しようもなく、わずか3ヶ月で他界した。その半年後、父もまるでの後を追うように静かに息を引き取った。心筋梗塞だった。

父の四十九日法要の後、久しぶりに太郎と裕二は二人で酒を酌み交わした。

「お前は、昔から要領が良かったよな。」
「兄弟げんかをしても、いつも怒られるのは、オヤジに刃向かう俺だけ。お前は気がつくとそっと逃げていたものなあ。」

子供の頃の強かったオヤジの面影がよみがえり、裕二は目頭が熱くなった。
しかし、太郎の次の言葉にそんな感傷は瞬く間に吹き飛んだのだ。

「なあ、裕二。もうオヤジとお袋もいなくなってしまった。」
「あの家は、どうするつもりだ。」
「あれだけ広い家に、子供のいないお前達夫婦が住んでも仕方がないだろう。」

太郎の言葉に、裕二は胸騒ぎがした。

「生命保険や現金はお前がもらえばいい。ただ、あの家には俺たちが住むのが自然なことだろう」

(ふざけるな!)
裕二の顔はみるみる赤くなった。もちろん酒のせいではない。

「今更何を言っているんだ」
「あんた達夫婦は、オヤジとお袋を残して勝手に出ていったんだろ。」
「出ていくときには、もう何もいらないと啖呵を切っていたじゃないか!」

裕二の怒りを予測していたかのように太郎は冷静に答えたのだ。

「確かにあのときはそういった。だが、よく考えてくれ」
「俺は、長男なんだぞ。」

* * *

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