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大手電機メーカーから、小さな出版ベンチャーへ転職した話

この記事は過去にこちらで公開した記事です。


村山早央里です。

ZINEでライター兼編集者をしています。ZINEに2018年1月入社、ちょうど4ヶ月目です(2018年4月)。

新卒での就職先では8年在籍して身体を壊しました。

出版・メディア業界未経験、執筆も未経験だった私がZINEと出会ってこの道に入るまで何があったか、自己紹介を兼ねてお話しさせてください。

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入社から8年。ある日会社に行けなくなった

自分のなかにある違和感を無視したまま働き続けた結果、ある日会社に行けなくなってしまいました。仕事で楽しいことがこれっぽっちもなく、何にコミットして働いているのかが見えなかったのです。

前職は誰もが知っている大手電機メーカー。情報系インフラのプロダクト部門に所属し、営業をしていました。担当は代理店のSIer、エンドユーザはキャリア・公共サービス・大学・一般企業などです。

仕事を頑張ってみても、ほどほどにして趣味に力をさいても、違和感ばかりでした。「今のままじゃダメだ、会社が守ってくれるわけでもないから自分で頑張るしかない」と焦るばかり。

自分の中では「会社を出ていけばこの不満は解決するだろう」と早くから気づいていました。それでも退職して食べていけるか不安で8年間在籍。実家も遠く見栄っ張りな私にとって、安定と”有名企業の社員”という肩書を失うことが怖かったのです。

親や友人に相談し、助けを求めようにも「贅沢な悩みだ」と言われそうで、ついためらってしまいました。本当は誰かから「会社を休んでも良いんだよ」「辞めても良いんだよ」と言ってほしかった。

どんな風に生きたいか分からなかった

どうして休職するまで追い詰められてしまったのでしょうか。

今までの自分の生き方を振り返ってみると、私は物事に正面から向き合った経験がありませんでした。「自分にとって楽しいことは何か」「どんな風に生きたいか」私は社会人8年目まで考えたことがありません。

山の中から遠くの大学へ

高校・大学時代、自分が「勉強したいこと」「楽しいこと」なんて考えませんでした。

私は山の中の小さな町の育ち。小さな頃から、早く独り立ちしたいと思っていました。
高校を卒業し進学したのは、寮がある遠くの大学。親元から離れたい一心で決めた進路でした。自分では何も考えずに高校の担任教師のオススメだった学部を受験しました。

大学の授業は内容を理解できないまま卒業。友人に恵まれ、楽しい時間を過ごせたものの、今思えばもったいないことをしました。

新卒での就職活動

大学3年生になって迫ってくるのは就職活動。新卒での就職活動に向けて決めていたことは、2つ。1つ目は地元には戻らないこと、2つ目は実家に頼らず生きていくこと。

就職活動は苦労しました。

2010年卒の新卒市場はリーマンショックのあおりを受けた買い手市場。リクナビやマイナビに登録して、会社説明会とESPの試験会場を行脚しながら200社以上にエントリーするのが当たり前の時代でした。ES(エントリーシート)をわからないなりに書き、みんなの就活を読みました。

会社で働いている自分の姿を想像できなかったので「企業研究って何それ」状態でしたし、就職活動の効率の悪さも腑に落ちませんでした。エントリーする会社を探して、登録し、ESを書き、試験、面接は2回以上。大人から品定めされてほんとうに嫌だった。

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友人たちが大学3年生の夏頃から説明会に行き始め、3年生の終わりには内定をいくつももっている中、サークル活動ばかりして就活から逃げ冬から始めた私は内定ゼロ。追い詰められました。

自分のやりたいこと、強みがわからない。と、暗中模索で溺れそうな毎日でした。エントリー先を増やすためにPCを眺めていると、何もしていないのに1日が終わってしまいます。体重も5kg減りました。

あまりにも辛くて、祖母に電話。「お見合いしたい!」と口走りました。結婚に逃げたかったんです(祖母にはスルーされました)。

社会で生きていこうにも自分は何も知らない。それでも、実家に頼らずにひとりでお金を稼いで食べていきたい。

安心が欲しい。

すべてを解決するには、大きくて安定した企業に就職すると良いのではないかと考えはじめました。インフラに関連する企業なら、ステークホルダーに多くの業種がいて、社会を色々知れるのではないか。

そこで思いついたのが、学校推薦。

学部の就職担当の教授を訪問し、直談判。成績は悪かったのですが、「今は誰でも受けられるんだよ」とあっさり面接を受けられることに。無事に4年生の5月に内定ゲット。そうして、大企業への切符を手に入れたのです。

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社会人生活、楽しいことなんてなかった

いざ入社して3ヶ月目。部署の人とあまりにそりが合わず、本配属直後に辞めたくなりました。

つらかった就職活動で使った新卒切符、大手電機メーカーへの就職。周囲に自慢したことを考えると、3ヶ月目で辞めるには早い!それに「3年間は我慢しろ」「お給料は我慢料」とネットでよく見る言葉を思い出してひとまず我慢。

我慢して我慢して気がつけば8年。

リクナビNext等の転職サイトにも登録し、転職活動をしたこともあります。しかし、求人票をいくつも眺めても、その先で働く自分が想像できません。

転職先でもまたつらい気持ちになるのではないか。それなら今の仕事を続ければ、一流企業の社員として他人から羨んでもらえる分マシではないか。給料もそれなりにもらえるし……。

頭の中でぐるぐる悩む反面、行動できない。時間が過ぎるなかで身体がボロボロになり休職しました。

人生で一番打ち込んだ、舞台照明

ここまで書くと、つまらない人生を送ってきたように見えるでしょう。私にも熱中したものがあります。学生時代の演劇活動です。

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大学に入学し新歓(新入生歓迎)モードの大学構内を歩くと、サークル紹介のチラシをたくさんもらえます。どのサークルに入ろうか考えたとき、ふっと「もっと照明やりたいなあ」と思いました。

照明との出会いは高校時代。掛け持ちした部活のうちのひとつ、演劇部で2度ほど照明を担当し、けっこう面白かったことを思い出したんです。

まずは、ひとつの演劇サークルに登録。人づてに知り合いを増やし、他のサークルのイベントも積極的にお手伝いする日々。入学当初から明確に目指したわけではないですが、結果として、友達作りでサークルに入るのではなく、舞台照明として1人で活動する道を探すことになります。

照明スタッフの仕事は楽しいことばかりではありません。時には力仕事も埃だらけになることも、早朝から夜遅くまで活動してヘトヘトになる日もありました。

それでも続けた原動力は、照明効果をデザインする面白さと、劇中でのオペレーションの緊張感。限られた時間の中で、役者とスタッフの息がピタリとあった時の気持ち良さはかけがえのないものでした。

舞台の特性にあわせた照明効果を考えたり、設営と機器操作のために照明チームを編成したり、多くの人と知り合うきっかけになったり……と、一生懸命に本気で打ち込むものがあり、とても楽しい4年間でした。

けれど、舞台照明のプロになることは考えませんでした。淡い願望はあったけれど、自分にはプロになるための感性が足りないことを学生時代の活動を通じて把握していました。なにより貧乏したくなかったのです。

趣味として演劇を続けることも考えませんでした。演劇に熱中しすぎて仕事に支障が出る予想があったからです。

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ZINEと出会う

社会人になってからも友人関係には恵まれました。週末の遊び相手はたくさん、友人・知人はどんどん増えていく。プライベートは順調なのに仕事だけがうまくいかないのはどうしてだろうと悩む日々でした。

そんなある日、代表の仁田坂のtweetをたまたま見つけました。

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仁田坂とは大学時代に同じサークルに所属していた時期が一瞬あり、挨拶する程度の仲。卒業後は会っていません。にも関わらず、なぜかTwitterで目に入りました。

なんとなくピンときて、ZINEの職場見学へ。当時の仁田坂が新婚ほやほやであることをリサーチし、下心モリモリでお祝いの花束をあげました。

当時は休職中で外出することも辛い時期。なので、電車に乗る練習として、毎週ZINEへ遊びに行きました。そうして、ZINEのメンバーとランチを食べたり、おしゃべりしたりする関係になりました。


ZINEのお手伝いを始めるきっかけは、私が「やってみたい」と言ったからです。

ペンで食べていけるなんて知りませんでした。本当にお仕事にしている人・作業の現場を見ていたら、自分でもできたら良いのにな、と憧れの気持ちが湧きました。

2週間後、思いがけずチャンスがきました。同僚から「カカオさん、明日、取材と撮影と原稿、全部お願いできませんか。夕方までに書いてください。」と無茶振りのオファー。緊急の用件が入ってしまい、どうしても代打のインタビュアーが捕まらなかったらしいです。

もともと前職で営業だったこともあり、人と話すのは慣れっこです。カメラ女子だった時期もあってカメラ操作に抵抗もなし。なんとかなるだろうと引き受けました。

さすがに初めての取材は緊張しました。質問リストはもらったけれど、上手に聞けるかわからないし、撮影もうまくいくかわからない。しかし、運よくインタビュイーも取材初体験。「えへへ、緊張しますねー」と言って、初心者同士和やかな雰囲気で終わりました。

記事の題材は私が大好きな日本酒。なのに、原稿は一文ごとに詰まりました。決められた構成に沿って書けば良いはずなのに、お手本になる記事も教えてもらったのに、タイピングすべき言葉が浮かびません。提出後は、自分で書いた文章の原型がなくなるまで朱が入りました。

初めて書いた記事


でも、楽しかった。
想定読者に向けて原稿を書く面白さ。荒削りな原稿が編集によって日本語として美しく、読み物として面白くなっていく気持ち良さ。こんなに楽しいことで食べていけたら良いのになと思いました。

こうして電車に乗る練習に加えて、原稿を書いたり、企画会議に出席するようになりました。

その頃は働くことに対し自信を失っていたけれど、もう一度、自分に期待したいと思うように。だから、前職を辞めて、ZINEへ入社しました。

ZINEの仕事は楽しいか

いまの仕事内容は、主に編集・ライティング・進行です。
ZINEの仕事で何が楽しいかをお話します。

改善提案が楽しい

小さな組織のメリットは、改善提案がすぐに反映されるところです。一人ひとりの行動がすぐに会社の経営状態に反映されます。

日々走り続ける中で、本質的な業務に集中するためにはどうすれば良いか、効率化に向けてメンバーと話し合い、すぐに実行します。そして、フィードバックもお互いに出し、次の行動を考えます。

PDCAをどんどん回し、ZINEとして価値を出すための試行錯誤を繰り返す面白さがあります。

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原稿で、情報を再構築することが楽しい

ライティングと編集では、文字だけで言いたいことが伝わるようにテキストを整えます。要素を一つずつ作って組み合わせ、企画意図に沿って全体としてまとまるようにする。この面白さは、学生時代に取り組んだ照明効果と似通っています。

照明は、観客に舞台の内容を伝えるための1つの要素です。

照明にルールはないものの、制限があります。たとえば、機材の数や種類・電気のアンペア数。物理的制限のある中で、さまざまな表現を組み合わせて一つ一つの場面をつくり観客に何が起こっているか知らせます。そのまま場面をつなげると、場面が変わるたびに「唐突だな」と思わせてしまうので、うまく流れるように調整します。結末につながるよう、場面ごと毎の雰囲気やメリハリを調整していくのです。

劇照明では時間や天気など風景描写だけでなく、喜怒哀楽や希望・絶望といった役者の心情も表現します。特に劇全体の「落ち」になるラストの場面は気を使います。

同じように、記事制作は難しいです。でも、自分というフィルタを通して情報を再構築すること・社内外の関係者とより良い記事を書くために力をあわせることが面白いです。

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前職での経験と知識を活かせることが楽しい&嬉しい

ZINEへの転職は、当初キャリアチェンジだと思っていました。まっさらな状態から頑張るつもりでいたものの、実は地続きだったのです。

ZINEの仕事の多くはWEB業界に関わるもの。WEBエンジニアを読者とする媒体記事や、WEBサービスの導入事例を伝えるお仕事もあります。こうしたITに関連する案件や、事業に関連する案件で、前職の経験を活かしています。

たとえば、

エンジニアとの会話は慣れている

前職では社内のse・h/w開発者・s/w設計者だけでなく、営業先(sier)の技術者と協力しあう機会も多くありました。私も大学では情報学(図書館情報学)を学び一般人よりはitを知っていますが、エンジニアはit技術のプロです。専門家からお話を聞くときに、前職で学んだ知識が役に立っています。

決裁者の承認を得るためのポイントがわかる

前職での営業は、最終顧客の担当者が稟議書で決裁者からokをもらうために、言葉の武器を渡すようなお仕事でした。現在はクライアントが「読者に何をアピールしたいのか」を読み取る基礎になっています。

とかです。

8年間は無駄にならなかった。嬉しい!

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仕事で身体を壊さないための再発防止策

もう二度と、仕事で身体を壊したくありません。今後の再発防止策です。

1つ目、「お金以外に何がほしいかを考え続ける」。
私は大学時代に出した答え「お金と安定」を得たものの、本当に私が欲しいものではありませんでした。人は自分のことをわかっていません。間違いに気づいたら考え直しましょう。それに、時とともに状況は変化します。

2つ目、「自分の感情を大事にする」。
ネガティブな感情を持ち続けていると心は壊れます。自然とポジティブな感情になれる環境を探しましょう。

そもそも、仕事に「楽しい」という感情は必要なのでしょうか。

世の中には「良い大学を出て、大きな会社で働くこと」を是とする人がいます。実際に、大きな会社に勤め、定年退職まで迎える人もいます。前職にもたくさんいました。

きっと、私には「楽しい」感情が労働にも必要なタイプだったのでしょう。労働の対価に、お金だけでなく楽しさも必要だったのです。

前職はミスマッチだった。

これからの抱負

1年目の目標(2018年)

同僚とのスキルのギャップを埋めたいです。だから、毎日何かひとつ身に付けることを目指しています。経験年数がない以上、ひとつひとつ丁寧に仕事するしかありません。

私はライター経験がなく、ド素人の状態から始まりました。原稿を書くと、「小学生の作文みたい」と言われたこともありますし、いつも同僚から真っ赤に直されて戻ってきます。企画案の立て方も進行の仕方も、編集経験者が「当然」とする前提がわかりません。

スキルのギャップを具体化するために、日々同僚に問いかけています。

足りない部分が明確になればパズルのピースを埋めるように学べば良いし、問題も乗り越えやすくなるはず。実際に、原稿の朱入れが少しずつ減りつつあります。フィードバック内容も、文章のルール・てにをはからレベルアップし、「構成を意識しろ」と促され、結論に繋がるよう構成を考えるようになりました。

最終的には、自分がライターとして一人前になるまでのノウハウを誰でも真似できるような、洗練されたマニュアルを作ってみたいです。

ZINEでは、ビジョンとマッチしていれば新しい事業を立ち上げることもOK。ライター育成をZINEの事業にしたいです。編集者コースもつくりたいですね!

2年目の目標(2019年)

副業を始めたいです。面白そうだし、自分の生存確率を上げられそうだから。

ペンでも食べられるようになりたいですし、他の活動でもお金を稼げるようになりたいです。もう会社に依存した生活はこりごり。自立してお金を稼ぎたいんです。

どんな副業をするかも、2019年に考えます。

5年目の目標(2022年)

家庭料理研究家・文筆家の高山なおみさんと仕事したいです。

前職で落ち込んでいた時期と休職中は、高山なおみさんのエッセイ『日々ごはん』を読むことで乗り切ることができました。

彼女が感情に振り回されたり、仕事の方向性や方法に迷ったりしている姿がよかったんです。彼女のエッセイによって「私も生きてて良い」「あるがままの感情を出しても良い」と思えました。

高山なおみさんと一緒に仕事ができるよう、企画・ライティング・編集能力を伸ばしたいです

日々ごはん<1> 高山なおみ

ZINEではビジョンに共感してくれるメンバーを募集しています

いまの仕事や環境に違和感を抱えている人は、転職をオススメします。自分にとって働きやすい環境は、やはりあるのです。

追記

その後、再度体調を崩してしまい2018年11月をもってZINEを退職。

現在に至ります。


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