雑記 令和三年十月十一日 月

雑記だ。読むに堪えないだろうから覚悟しろ。

俺は自覚を持とうとしている。

自覚のないのはダメだ。俺は世に責任を負うていると言う自覚を。

過ちを見つけては、正す。仮に自分に自信が無くても、そこはきちんとしたい。奔放ではダメだ。

俺は今ドイツ的なのだろうか。

俺はフランス的で、イタリア的で、いいや、何よりも日本的でありたい。

日本的とは何だ。俺は日本について知らない。勿論ドイツについても、フランスも、イタリアも。

今の俺は男性的なのかも知れない。春の女性的雰囲気とは違って。

男性とは何だろう。それすらも分からない。

俺は分からないのに、色々な事を感じ、それを基に色々な事を考えている。これは何だ。どういう状態なんだ。

俺は物事をはっきりさせたいのかも知れない。

A=B、B=C、ゆえにA=C。そんな風に世の中を、自分自身を割り切れたら楽だと思っているのかも知れない。

そうやって悩み明かしている自分を愛おしいと思うことがあれば、逆に気持ちが悪いと思うこともある。

俺はいつもゆらゆらしている。ある時はAを想い、またある時はBを想う。

俺の焦点は一つには定まらない。定まり得ない。

そんな俺は何だか分からない大きな夢を抱いている。

夢の形ははっきりしない。説明しろと聞かれても説明できない。ただ、大きくなりたいと願っている。

大きくなる、と聞いて人は様々に解釈するだろう。俺もだ。

俺の解釈はこうだ。一つ、過去現在未来を見渡し今最善の決断を下せること、一つ、貴賎・能力の差を問わず幅広い人と打ち解けて人生を楽しむこと、一つ、自省と他を許す心を持つこと、一つ、、、、、、

と言って、俺は幾らでも解釈をあげることが出来る。頭でだ!頭でならな!”

想像は実現する、と人は言う。だが知識は実現しない。自意識も実現しない。

実現する”想像”は強い心の力だ。決して、生半可な頭で考えた知識や屁理屈、自意識の塊ではない。

心の力は祈る事で得られる。

ああ、神様、強くなりたいですってね。