秋深き隣は何をする人ぞ②

昨日のつづき。

高校に入って念願だったバンドを組み、家ではギターを弾いてばかりの日々が続いた。
そのバンドではなんとギターボーカルという大役を仰せつかっており、たまにギターソロなんかも弾いたりしていた。

バンドを組んだと言っても、高校の軽音楽部の定期ライブくらいでしか人前でのライブもしなかったし、今考えるとそんなに広がりのあるものでもなかったなあ。

でも当時はそれが全てだったし、本当に楽しい日々だった。
(1階の倉庫から3階の練習部屋まで、ツインリバーブのコピーモデルを階段で運ぶのは死ぬほど辛かったけど)
今でも当時のバンドメンバーとは、何となくではあるけど交流も続いている。
そういう意味では、音楽を仲間と一緒にやるという楽しさをその時に知ることができたのだと思う。

その頃はミスチルにハマっていたというのは前回も書いた通りだけど、自分は生来物事に深くのめり込む性格(オタク気質ともいう)なのである。
インタビューなんかを読み耽った結果、桜井さんの曲作りスタイルに興味を持ち始めた。

「山形にホームスタジオを持ち、自分で多重録音をしてデモテープを作っている」と。

一人多重録音という文化を知った瞬間だった。

これは面白い。

前はギター譜しか読まなかったバンドスコアの他パート(ベース、ドラム、鍵盤などなど)を読んでは、演奏するイメージを妄想する毎日。
そしてそれだけでは収まらず、そのイメージをどうにか音に落とし込みたい欲望にかられたのだった。

とは言っても、多重録音をできる環境なんてない。

いや、あった。

当時一般家庭にも普及し始めたPCだ。

仕事柄PCに詳しかった父親が、そんな自分の興味を知ってMIDIの存在を教えてくれた。
10数年前のことなので、まだまだハード音源が主流の時期。
もちろんそんなものは持っていないから、出始めのしょぼいソフト音源で音を鳴らす方法をどうにか勉強した。

そしてバンドスコアの譜面を打ち込み始めた。


自分の弾いているギター以外のパートを譜面でも音でも確かめられるようになって、バンドの音をぐっと立体的に捉えられるようになった。
この時の視点の変化は本当に大きかったように思う。

そして打ち込みだけでは飽き足らず、バンド練習の休憩時間には他の楽器を触るようになっていった。
まあそれはあくまでも演奏の妄想から一歩進んだだけの話で、きっとしょぼい音を出していたんだろうなあと思う。

けど、これがまた将来生きてくるのである。


また長くなったので続きはまた。
いつ書き終わるかな…。

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