学びと忍耐

 どうしても少し書き留めておきたくて、エッセイでも日記でもないけれど、とある記事を読んで、備忘録として綴っておこうと思った。あえてその方の記事は引用しない。この備忘録が妨げになるといけないから。

※センシティブな内容を含みます。感じやすい方、苦手な方は読むのをお控えください。

 学ぶということが、とても大変なのだと最初に気づいたのは、大学生の頃だった。研究室に振り分けられ、院生さんたちの話を聞き、教授の深い思考を目の当たりにしたとき、この道の険しさを知った。それまでは、教科書や先生の教えに従って、知識を吸収し、応用し、受験勉強や日々の生活に生かしていればよかった。しかし、大学での学びは、自分でテーマを設定し、知識を集め、考察を深めていくというものだった。書くのは簡単だが、まずテーマを設定するためには、膨大な知識を得なければならない。そこから選びとらなければならない。私は、研究の道には進まない、進めないと思ったし、就職活動も難航したから、卒業論文のテーマを熟考できず、なんとなくの興味で決めた。テーマも浅ければ考察も浅かった。尊敬する学部生の先輩で優秀作として選ばれたものは本当に素晴らしいものだったから、学部生だからなんて言い訳は通用しない。膨大な知識を得て、考える。途方もない道のりを行くために、私には足りない忍耐力がいるのだと知った。
 前職の仕事においても、学びの大変さを痛感した。かなり特定しやすい職業なので職業は伏せるが、一緒に仕事をさせていただく方々はエキスパートだった。造詣が深く、当たり前のように高度な知識が求められる。やりとりの度に辞書や本、インターネットで調べ、それでも調べただけではやっとスタートラインに立ったに過ぎないのだ。思考の森を彷徨って、本当に一歩一歩、亀の歩みで歩を進めていく。学生の間にはまだ理解しきれていなかった。エキスパートの方々と対等に仕事をすることの大変さを知った。知識を吸収するのは楽しく、点と点が繋がって線になったときの快感は得られるが、苦労のほうが多かった。
 私自身の未熟さと、仕事量の多さが相まって、マルチタスク管理能力のキャパシティを超えたのが、昨年だった。既に一昨年の時点で限界に近かったのだが、なんとか任された大きな仕事2つをやり終えなければと必死に日々を送っていた。一昨年から昨年の2月にかけては、誇張なく残業時間が100時間を超えていた。2月に仕事が一段落した後、最初は燃え尽き症候群だよ、なんて周りに言われていたけど、それを経験したことがないから何とも言えないが、2ヶ月経っても復調しなかった。頭の中が真っ白になり、何も考えることができない。大好きな人の配信ライブも楽しめない。どうしたんだろう。どうすれば元に戻るんだろう。違う森に迷い込んでしまった。尊敬する先輩に、しばらく溜まった有給休暇をとること、それでも復調しなければ病院へ行くことを勧められた。病院……?私が?数年どの病院にもかかっていない私が、病院……躊躇ったが、どうしてもこの状況から抜け出したかった。次の大きな仕事が始まる前に、決断が迫られ、約1ヶ月の有休をとった。すぐに電話をしたが、病院の予約がとれたのは有休の最終日。それまで、実家で過ごした。がむしゃらにほとんど休まず5年以上働いてきた。でも、実家では本当にゆっくり過ごした。過ごさせてくれた。ほぼ横になっていて、たまにラジオを聴いて、久しぶりに3食ごはんを食べて、できるときに家事を手伝って、両親の観るテレビをぼうっと眺めた。罪悪感ばかりが頭の中を占めていたのが、少しずつ頭の片隅へ追いやられていった。あっという間の1ヶ月が終わり、病院に行くと、看護師さんと先生がじっくり話を聴いてくださった。家族の前でもあまり泣かない私が、人前で号泣した。ぐちゃぐちゃになりながら話し終えたら、もう少し休みましょうと言われた。そして会社に連絡し、しばらくの休職が決まった。
 休んでいる間、無でいることに耐えられなくて、散歩をしたり、今までできていなくてぐちゃぐちゃだった部屋を少しずつ片付けたり、料理をしたり、その日にできそうなことをできそうなところまでやった。だんだんとできることが増えていって、観るのが辛かったテレビも少しずつ観られる番組が出てきた。そのうち、何も得られないままこの期間を終えてよいのかと、葛藤し、模索した。好きなことは、元気になったら自然とやるようになる。時間も見つけられる。だから、好きではないことに向き合ってみたい。復職のためのリハビリも兼ねて。調べて、悩んだ末に、簿記を勉強することにした。0からのスタートで、最初は専門用語でちんぷんかんぷん。これは借方、これは貸方、と一つ一つ覚えていった。少しいい電卓も買って、毎日教科書や動画で知識を得て、問題集を解いた。1ヶ月超で3級、さらに1ヶ月超で2級をネット試験で取得した。黙々と新しい知識を得て、問題が次第に解けるようになるのは楽しかった。全然わからなかったことが、霧が晴れるように見えてくるのは快感だった。なかなか貸借対照表や損益計算書の借方貸方合計を一致させるのは難しかったが、2級の試験で、第3問の損益計算書、第2問の連結精算表とも満点を取れたのはとても嬉しかった。第5問も得意な直接原価計算で満点。逆に第1問と第4問で間違えたのは悔しかったが。それでも、まだ完全には理解しきれていないなと思った。動画の先生はとにかくすごい。理論的に速く丁寧に説明してくださる。ついて行くのは大変だったが、点と点が繋がると嬉しかった。その先生の理解力と比べると当たり前だが月とすっぽんほどの差がある。簿記1級は難易度も高く範囲も膨大なため、スケジュール的に厳しいと断念した。
 簿記という、久しぶりに私にとって真新しい知識を得て思ったのは、一番最初のまっさらな状態で一つ一つ覚えて理解していくことが大変で、忍耐力がいるということだった。そこを乗り越えるための壁は高かった。乗り越えた先にしか見えない景色が見えたとき、やっとスタートラインに立って歩き始めることができた。1ヶ月超と言ったけれど、仕事をしながらの1ヶ月ではない。家事はあれど、たっぷり時間がとれる1ヶ月だった。これをこれから新しい職場で仕事をしながらやれるかというと、新しい仕事を覚えるだけで大変で、日々のことで精一杯だろう。時間と余裕があったからできた。直接仕事には生きないかもしれないけれど、新しいスキルを手に入れて自信がついたし、財務諸表が少しだけ読めるようになって、会社のお金の動きのことも、あれはこういうことだからこうしているんだなと少しわかるようになった。学ぶ前と比べると、同じ景色を見ても見え方、感じ方が違うようになった。
 それは、簿記に限らず、noteで新しく挑戦していったことでも同じだ。noteを始める前と後では、日々の感じ方、考え方が変わった。初めて人前でエッセイを書き、小説を書き、俳句や短歌を詠み、朗読をして、と挑戦する度に、変わっていった。発信者としてだけではなく、受信者としてもそうだ。いやむしろ、受信者としてのほうが最初で、新しいことに触れる度、こんな世界があるのか、こんな風に考える人がいて、こんなものを生み出せるのか、と新鮮な驚きの連続だった。そして、すごいものを生み出す人は、博識で造詣が深く、途轍もない努力家だ。この記事を書くまでに、どれほど学び、考え、経験してきたのだろう、すごいなぁと心が震える文章と出会うことができるのが、このnoteという場だ。そして、今新しく始めようとしている人に出会い、感銘を受けるのだ。その途方もない旅を、あなたは勇気をもって始める覚悟を決めたのだなと。社会復帰を控え、もともと忍耐力が持続しづらい私には、真似できない。心から尊敬するし、応援したい。
 休んでいる間、noteも休んで、戻ってくることが怖かったけれど、戻ってきてよかったと思う。素敵な記事に出会えたから。私も、学ぶことを恐れずに、けれども無理のないよう、仕事やプライベートに影響が出ないように、落ち着いて余裕が出てきたら、何かに本気で向き合ってみたいなと思わされた。

 休むことは罪悪感が大きかったし、休んでいる間とても悩み苦しい思いをいっぱいした。もう二度と前のようには戻れないんじゃないか、人に迷惑をかけ続けるんじゃないかと、辛かった。完全に元気とは言えないかもしれない。いつか完全に元気になるかもしれないしならないかもしれない。それでも、冬眠のようにじっくりエネルギーを蓄えたからこそ、簿記に限らず新しいことに向き合って学べたし、初めての経験をたくさんした。見え方が変わった。というより、寛容になったというか、心の器の大きさが少し大きくなったように思う。苦しいことを経験するのがよいとは思わない。できれば経験せずにみんなに元気で楽しく生活を送ってほしい。私も、休んでよかったとは、残業がんばったから得られたものがあるとはとても言えない。やっぱり普通の人と同じように適度に働いて適度にプライベートを充実させて元気でいたかった。でも、過去は変えられない。だから、この経験をこれからの人生に生かしたい。辛い思いをしている人に、自分のできる範囲でそっと寄り添いたい。そして、苦しくならない程度に、忍耐強く学びたい。学んだその先に見える、感じられる新しい世界を見たいと思ったから。

 最後に。私がここに戻ってこられるようになったのは、両親と妹の献身的な支えがあったからだ。心から感謝している。少しずつでも恩返しをしていきたいと思う。だからこそ、これからはプライベートを大切に、仕事ともnoteとも向き合いたいと思う。

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