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【バランス力と振舞力】書籍:論語と算盤 レビュー3

皆さん、こんにちは、横山です。

休日は運動がてらスタバまで20分ほどウォーキングして、読書してインプットし、noteにまとめてアウトプットするというのが習慣化している私です。

本日の豊田市はあいにくの雨ではありますが、気温的には過ごしやすい1日ですね。

さて本日は、先日に引き続き『論語と算盤』第3章 常識と習慣を読んだので感想をまとめてみました。

第3章 常識と習慣

常識ってなんだろう?

この章の始まりは、著者の渋沢さんが考える"常識"について書かれています。

"常識"は、社会で生きる上であった方がいい考え方ですよね。

人とのコミュニケーションにおいて相手を快/不快に配慮したり、ビジネスをする上でも常識がないと、お客様や取引先とのトラブルが頻発することでしょう。

ただひとえに常識と聞くと、『人の目や世間に合わせて生きなければならない』っという何とも息苦しい考え方として捉えている方も多くいらっしゃると思います。

実際、僕も常識と聞くとそのような印象を受けました。

世の中が多様化し、様々な価値観が生まれている中において、常識というのを定義するのは難しいかもしれません。

ですが、ここで渋沢さんが語っている"常識"というのは、規則や規律という観点ではありませんでした。次のように説明しています。

まず、何かをするときに極端に走らず、頑固でもなく、善悪を見分け、プラス面とマイナス面に敏感で、言葉や行動がすべて中庸にかなうものこそ、常識なのだ。

これは学術的に解釈すれば、『智、情、意(知恵、情愛、意志)』の三つがそれぞれバランスを保って、均等に成長したものが完全な常識であろうと考える。

渋沢栄一 守屋淳訳 ちくま新書 『現代語訳 論語と算盤』 P.65より引用

この文章を読んで僕が改めて感じたのは、他人軸の常識ではなく、自分軸の常識を育んでいくことがペースにあるんだろうなと思いました。

これは、とても自分の中でしっくりきています。

智、情、意

物事を行う上で、"知恵"は大切です。

今の僕に足りていない要素なので、そこはしっかりと学んでいこうと思いました。

物事の状況を判断する上で、知恵が伴っていないと客観的に判断することはできません。

そして知恵ばかりあってもダメです。
"情愛"が必要になってきます。

知恵ばっかり発達していくと、合理主義になってしまい、人を潰してしまう可能性があります。

人には全員個性があり、働き方や生き方も多種多様。その中で知恵に基づいた合理主義が強要されると人が人でなくなってしまいますもんね。

この部分はなるほどなーっと思いました。

そして情愛ばかりが強くてもダメだとも書かれていました。

"意志"もそこには必要であると。

情愛が強すぎると、人に合わせすぎてしまうことになり、自分の意思決定がなくなってしまいます。

その軸がブレてしまうと、自分の幸せが崩れるばかりか周りにも迷惑をかけてしまう。誰もハッピーにならないんですよね。

ただ意志が強すぎても、知恵や情愛がないと暴走列車のように突っ切ってしまい、結局自分本位で周りが幸せにならない。

つまり、この3つのバランスが絶妙に取れてこそ初めて常識と呼べるのだと分かります。

この"バランス"という言葉、僕はとても好きですね。

バランス力

昔、マネーの虎というTV番組がありました。

若いお菓子職人が単身フランスに乗り込み、フランスの超有名パティシエの方から指導されながら、新しいレシピを生み出していく。

その時に超有名パティシエの方が若いお菓子職人の方に言った言葉が好きです。

『クレープでもお菓子でも何でもそうだけど。調和、バランスっていうのは非常に大事』

『何か一つテーマを決めて、新しい商品を作る。』

甘味、酸っぱさ、食感、見た目の芸術性のバランス。作るテーマを決めて、それらが兼ね備えられたモノが人を満足させる商品になる。

今回はお菓子の話でしたが、これって人生全てにおいて大事な考え方だと思いました。

人生のテーマを決めて、智/情/意に基づき常識を従え、コトを成していく。

社会で生きていくにあたって、自分の栄達はもちろん、社会全体のためにも働き、できるかぎりの善行を植えつけ、世の中の進歩をはかりたいという気持ちを持ち続けてきたのだ。

渋沢栄一 守屋淳訳 ちくま新書 『現代語訳 論語と算盤』 P.70より引用

振舞力

そして、コトをなす上で、仲間と関係を作っていく上で大切なのは、"志""振る舞い"の2点。

志が聖人君子のようであっても、実際の行動振るが伴っていなければ意味がないと言うことです。

有言実行、無言実行の男で常にありたいと思います。

『人々がいて、郷土のお社(やしろ)があるような環境であれば、現実から十分に学ぶことができます。どうして書物を読むことだけが、学ぶといえるのでしょう』との一節がある。これは孔子の弟子の、子路(しろ)の言葉だ。

渋沢栄一 守屋淳訳 ちくま新書 『現代語訳 論語と算盤』 P.80より引用

外部の環境のせいにするのではなく、自分自身の心を育みコトを成す。

いやー心に刺さりますね。
自分はまだまだできていないなと思います。

日々精進ですね〜。

意志の鍛錬と常識

ある人に教えてもらった言葉があります。

"人や組織にはステージ(段階)がある。
完璧を求めてはいけない。"

この言葉に衝撃を受けたことを今でも覚えています。

自分自身も含めて人には成長速度や心のあり方の立ち位置が異なります。

完璧な状態の人などいないということを理解した上で、現状を把握して、皆と共存していく。

相手のできていないところは、実は自分もできていないところ。

相手の美点を探し、自分の美点も探すことができた時に最高のチームが生まれていくと考えます。

これからのチームビルディングや組織開発で必要な事と感じました。

ビジネスで
騙されることもあるけど

お恥ずかしながら、過去に僕はビジネスをする際に金銭面で人に騙された事があります。

目先の欲に負けてしまった情けない経験がありす。

そんな時、改めて次の言葉を意識しようと思いました。

相手の言葉に対して、常識に照らし合わせながら自問自答してみるとよい。こうすると、

『相手の言葉に従うと、一時は利益を得られるが、あとで不利益が起こってくる。』

『この事柄に対しては、こうきっぱり処理すれば、目先は不利でも将来のためになる』

といったことが、はっきりとわかってくるものである。

渋沢栄一 守屋淳訳 ちくま新書 『現代語訳 論語と算盤』 P.81より引用

相手に嫌われるかなーっとか、目先のビジネスの成立にフォーカスするのではなく、将来目線で価値あるモノであるか。この心持ちが大切。

しかし、これらの意志って一朝一夕で身につけられるモノではありませんし、本書を読んだ程度で身につくモノでもありません。

継続的な習慣と鍛錬が必要ですよね。

この継続的な習慣を意識的に持つことにより鍛錬できる気がしました。

『意志の鍛錬』の目標は、常識に照らし合わせつつ実践していくことになる。こうした鍛錬した心で、物事に臨み、人に接するなら、社会を生きていく上で過ちを犯すこともなくなるだろう。

渋沢栄一 守屋淳訳 ちくま新書 『現代語訳 論語と算盤』 P.82より引用

総評
〜振る舞いを積み重ねる〜

『意志の鍛錬』には常識が必要である、とういうことになってくる。やはりその根本にあるのは、親や目上を大切にし、良心的で、信頼されることだろう。

特に、良心的であることと親を大切にする気持ち、この二つから組み立てた意志を持って、何事も順序よく進展させ、静かな気持ちでじっくり考えてから決断することだ。

渋沢栄一 守屋淳訳 ちくま新書 『現代語訳 論語と算盤』 P.83より引用

まだ僕はこの言葉の真の意味が分かっていないような気がします。

まだまだ苦手な人はいるし、社会や組織に立って不満もあったりします。

だけど昔よりも大人になったなとも思っていますし、まだまだ甘ちゃんな面もあります。

そう僕はまだ成長途中な状況です。

第3章では、タイトルにも書いたようにバランス力と振舞力が重要と感じています。

自分の我を出しながらも周りの意志とも調和させ、全体が強固なバランス力を持って、1つのテーマを成し遂げていく。

その前提には、振舞力が伴っている必要があることも。

ここまでの長文を読んでいただきありがとうございました。

皆様のGWが素敵な休日になることを祈っております。

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