▶詩の意味を問う名文
たまたま見つけた小川未明の詩論(大正11年(1922)のもの)が素晴らしかったので、シェアします。
小川未明といえば、国語の教科書で「野ばら」を読んだ方も多いのではないでしょうか。世間的には童話作家・小説家として認識されている小川未明ですが、その未明が詩論を書いており、しかもそれが、私が自分の詩に求めているものをドンピシャで言語化したものだったので、目の覚めるような嬉しさがありました。
テキスト化してくださった青空文庫さんに感謝です!
▶小川未明とは
▶要約(500文字):小川未明「詩の精神は移動す」
古いものが破壊されてできた新しいものが、単に古いものがそのまま形を変えたものであったなら、それは創造ではない。詩においては、その詩がどんなに快いものであっても、そこに含まれる思想が従来のものであるなら、それは私の求める詩ではない。旧文化に安住し、その時代の感情に陶酔している人々には、本当の意味での詩はない。子守唄が子どもを寝かしつけるために、舟唄が舟を漕ぐ苦労を忘れるために、糸とり唄が歌う少女を自ら感傷的な気持ちにするためにあるように、単純な目的のために唄われる歌があってもよい。しかしそれらは、私の求める詩ではない。今までの詩が休息の状態に足をとどめているものだとするなら、私達の詩は疑いと激動の中から生まれる。詩はその時代の生活の炎だからだ。新しい生活・新しい世界を求め、それに最も敏感である詩人なら、破壊と建設の姿が詩に現れないはずがない。生活に対して愛を感じている人達が何か感激を感じる時、その中にはいつでも詩が含まれている。子守唄・舟唄・糸とり唄を作るにせよ、私たちが詩として人々に与えるものは、従来のものと同じでよいだろうか。今日の詩人はもっと詩の王国が移動したことに対して覚醒しなければならない。
▶全文:小川未明「詩の精神は移動す」
▶おまけ:Chat GPTによる要約(ちょっと薄味…?)
この文章では、新しいものが生まれる際には古い形が破壊され、破壊という言葉は不自然に感じられるが、創造という言葉は美しいとされています。詩は社会革命の先駆けとなり、労働者や革命の歌として人々の魂を表現し、感激的な叫びを通じて創造されると強調されています。在来の歌や文化に安住することは真の詩を生み出さないとし、新しい時代にふさわしい詩は破壊と創造のプロセスを経て現れるべきだと主張されています。また、詩は疑念と激動から生まれ、現代の慌ただしい感情や進歩への欲望が詩に表れるべきだと述べられています。この詩的な表現は、革新的であり、古い価値観や文化を超えて新しい世界を形成する意義を強調しています。