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『わかりやすさの罪』武田砂鉄

フリーライターの武田砂鉄が「わかりやすさ」をテーマに書いた一冊。

「悲報」のテロップで受け止め方を規定してくるニュース番組、
会話だらけで全部説明するドラマ、
「~はバカ」とすぐ決めつけてくる論客、
キャッチーな言葉だけを連呼する政治家..。
現代に跋扈する「わかりやすさ」に対して、筆者は疑義を呈していく。

確かに社会には色んな立場・事情の人が居て、誰の目も「悲報」「バカ」と即決できることなんてまずない。
そして社会だけでなく、自分自身の中にも色んな考えがある。
でも多くの人が、そう簡単に単純化できるわけない社会や自分をふるいにかけて、消化しやすい結論だけ提示することで、異なる見方をなかったことにしていく。

この分かりやすさの波に抗って、何もふるいにかけずに、複雑雑多な人間の思考をそのままに提示してみる。
そう割り切った筆者の文章は、確かに分かりづらい。
「分かりやすく」テーマを描いたわけではない抽象画の印象が見るたびに変わるように、具体的なこの本の感想は今後も変わっていくと思う。とりあえず、分かりやすくない自然状態の人間や社会を思い出させてくれるような読書体験は有意義だった。

1つ筆者の論調に違和感があったのは、分かりやすくないことを美徳としているフシがあるところ。
現実社会はずっとそんな抽象画みたいな思考状態で居られるほど平和じゃないと思う。
喫緊の課題を前にして意見や行動を求められることもあるし、選挙になれば投票先は決めないといけない。
日々の仕事のメールや資料だって、読み手の時間と労力をとらないように分かりやすくしている。

ぐちゃぐちゃの状態の思考や社会から「これが大事だ」という答えを一旦選んで、投票用紙やメールに書き込むとき、当然そこには選ばれなかった何かが存在する。

自分の答えが暫定的なものであること、そこから捨象された視点や人が存在することをせめて意識しながら、行動していきたい。

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