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『水中の哲学者たち』永井玲衣

勝手に学術的な内容を期待していたので、エッセイ風に綴られる平易なコラムの数々に、最初は「違うな」と思ってしまった。でもだからといってこの本を閉じてしまうのは、もっと違うなと思った。

というのも筆者は「哲学対話」を実践していて、そこでは誰の意見も否定せずにゼロベースで「なぜ人は生きるか」のようなテーマを考えている。そんな筆者が答えのない日々の思考を淡々と開陳する本書に対して、早々と「エッセイ」と決めつけて途中で閉じてしまう行為は、「哲学」と「対話」からの逃避だと思えてならなかった。

大人になればなるほど、この「逃避」をしたくなる。分からないことが恥ずかしくなり、時にコメンテーターや誰かのツイートを頼りにしながら、何でも「これはこう」と足早に座標を決めつけたくなる(本の感想を短い言葉で記録するこの行為もそう)。
そんな大人のメッキを剥いで座標軸そのものを問い直す哲学は、今の自分に1番必要だったかもしれない。

哲学を1回ちゃんと勉強したくて暗号のような『カント入門』を読んだのも結局大人のメッキで、思考の前提を考え直す哲学のヒントは案外些細な日常の1コマにあった。
カントの言葉は難解すぎて「哲学って机上の空論では?」と思ってしまったけど、平易な言葉で現実世界と哲学を繋ぎ、政治的な討論の司会もこなす永井玲衣さんは本気で哲学から現実社会の分断を変えようとしているのかもしれない。
自分もせめて自分なりの哲学対話として、友人と同じ本を読んで感想を語る会は続けようと思った。

ちなみに「水中」は「考え中」のメタファー。この本に出てくる「哲学者」たちがまだ陸に上がっていないのが好き。答えをすぐに決定せず、「分からない」「ぶれる」という姿勢に自信を持っていこう。

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