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初期キリスト教信仰について②

 さて、早速、初期キリスト教信仰についてみていきます。

 まず、以下のパウロの年表と新約文書の年表をご覧ください。わたしたちは、「新約聖書」について、キリスト教の始まりから既にそうであったかのように感じると思いますが、たとえば「新約聖書」の最初の文書は「マタイによる福音書」です。これは、「マタイによる福音書」が「新約聖書」の中で最も古い文書であり、次いで「マルコによる福音書」がその次に古いというような成立の順番ではなく、後のキリスト教会において定められていったものです。

 そのため、新約聖書に含まれる文書で最も歴史的に古いもの、最初に書かれたものは何かと言えば、それは「パウロ」の直筆による手紙によるものが最も古い文書であるという事になります。

 このパウロとは誰なのかと言えば、「使徒言行録」にペトロと並んで紹介されている宣教者であり、新約聖書に含まれる文書の内で「パウロの直筆による」とされるものは27文書中7文書(新約聖書IV『パウロ書簡』、新約聖書翻訳委員会訳、岩波書店より)と、個人が記した文書として最も多く新約聖書に含まれているほどキリスト教会において重要な人物です。


パウロと新約文書の関係


パウロとは?

 新約聖書において、パウロの手紙は、「4つの福音書」、「使徒言行録」とあり、それに続けてパウロによる「ローマの信徒への手紙」「コリントの信徒への手紙1、2」「ガラテヤの信徒への手紙」と続いていきます。この順番で読んでいると、「4つの福音書」が最も歴史的に古く、その後「使徒言行録」へと続き、その後、パウロの手紙となりますが、歴史的には「使徒言行録(およそ紀元90年頃)」よりも、「4つの福音書(紀元60~150年)」よりもパウロの手紙の方が古く、そうした事もあって、「4つの福音書」は、おそら「パウロの手紙」について、少なからず知っていたのでないかと考えられます。

 歴史的には、イエスの十字架と復活の出来事の後、使徒たちによる宣教活動がエルサレムからはじまります。そうした初期のキリスト教の歴史について記している最も古い文書が「ルカによる福音書」の続編である「使徒言行録」です。しかし、研究者による専門的な分析によって、「使徒言行録」が「理想的な歴史」を記していることが明らかであり、そのため「歴史的資料」として「使徒言行録を使う」ということには注意が必要です(たとえば、ガラテヤの信徒への手紙にはエルサレム教会のケファとパウロが激しく衝突したことが、パウロの直筆によって書かれていますが、使徒言行録にはそうした記述がありません)。しかし「使徒言行録」ほどに当時のキリスト教の姿について触れている資料が他に無いため、そうした「偏向がある」ことを踏まえた上で「使徒言行録」を読む必要性があります。

 パウロは、自分自身がキリスト者になった由来について、ガラテヤの信徒への手紙1:11~2:10において、以下のように記述しています。

わたしはこの福音を人から受けたのでも教えられたのでもなく、イエス・キリストの啓示によって知らされたのです。あなたがたは、わたしがかつてユダヤ教徒としてどのようにふるまっていたかを聞いています。わたしは、徹底的に神の教会を迫害し、滅ぼそうとしていました。(ガラテヤの信徒への手紙1章12~13節)
しかし、わたしを母の胎内にあるときから選び分け、恵みによって召し出してくださった神が、御心のままに、御子をわたしに示して、その福音を異邦人に告げ知らせるようにされたとき、わたしは、すぐ血肉に相談するようなことはせず、また、エルサレムに上って、わたしより先に使徒として召された人たちのもとに行くこともせず、アラビアに退いて、そこから再びダマスコに戻ったのでした。
それから三年後、ケファと知り合いになろうとしてエルサレムに上り、十五日間彼のもとに滞在しましたが、ほかの使徒にはだれにも会わず、ただ主の兄弟ヤコブにだけ会いました。(ガラテヤの信徒への手紙1章15~19節)
その後、わたしはシリアおよびキリキアの地方へ行きました。キリストに結ばれているユダヤの諸教会の人々とは、顔見知りではありませんでした。
ただ彼らは、「かつて我々を迫害した者が、あの当時滅ぼそうとしていた信仰を、今は福音として告げ知らせている」と聞いて、わたしのことで神をほめたたえておりました。(ガラテヤの信徒への手紙1章21~24節)
その後十四年たってから、わたしはバルナバと一緒にエルサレムに再び上りました。その際、テトスも連れて行きました。エルサレムに上ったのは、啓示によるものでした。わたしは、自分が異邦人に宣べ伝えている福音について、人々に、とりわけ、おもだった人たちには個人的に話して、自分は無駄に走っているのではないか、あるいは走ったのではないかと意見を求めました。しかし、わたしと同行したテトスでさえ、ギリシア人であったのに、割礼を受けることを強制されませんでした。(ガラテヤの信徒への手紙2章1~3節)
おもだった人たちからも強制されませんでした。――この人たちがそもそもどんな人であったにせよ、それは、わたしにはどうでもよいことです。神は人を分け隔てなさいません。――実際、そのおもだった人たちは、わたしにどんな義務も負わせませんでした。それどころか、彼らは、ペトロには割礼を受けた人々に対する福音が任されたように、わたしには割礼を受けていない人々に対する福音が任されていることを知りました。割礼を受けた人々に対する使徒としての任務のためにペトロに働きかけた方は、異邦人に対する使徒としての任務のためにわたしにも働きかけられたのです。また、彼らはわたしに与えられた恵みを認め、ヤコブとケファとヨハネ、つまり柱と目されるおもだった人たちは、わたしとバルナバに一致のしるしとして右手を差し出しました。それで、わたしたちは異邦人へ、彼らは割礼を受けた人々のところに行くことになったのです。(ガラテヤの信徒への手紙2章6~9節)

 上記の「ガラテヤの信徒への手紙」を読むと分かるのは、「使徒言行録」においてパウロについて記述されている事柄と「重複すること」が見て取れます。

 そのことを踏まえた上で、最初に図で示した「ガラテヤの信徒への手紙」と「使徒言行録」との歴史的な前後関係を見ると分かりますが、パウロがガラテヤの信徒への手紙で記述している内容の方が歴史的に古いのです。

 つまり、わたしたちは通常、「4つの福音書」「使徒言行録」と読み、その流れの中でパウロの手紙を読むため、何となく「使徒言行録」におけるパウロの記述が先で、パウロの直筆による「ガラテヤの信徒への手紙」の方が歴史的に後に書かれたように思いますが、そうではなく、ここには新約文書における「歴史の逆転」があるのです。

 そして、その「歴史の逆転」を踏まえた上で「新約文書」を読む時に、色々な(信仰的な)特徴が見えてきます。その具体的なことを次から見てまいります。

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