【観劇記録】「多和田葉子の演劇 ~連続研究会と『夜ヒカル鶴の仮面』アジア多言語版ワーク・イン・プログレス上演~」(2021年10月30日16時)

川口智子演出による多和田葉子『夜ヒカル鶴の仮面』を観劇したので記す。

事前知識をなく観劇したので、あまりハッキリとしたことは書けないが、多和田葉子の芝居は別の機会に触れたことがあるし、川口智子の芝居もサラ・ケイン『クレンズド』を見ていた。

アーティストのサイトを見ると、2019年からリーディングという形でこの戯曲へ取り組んでいたようである。京都でのワークインプログレス上演もその一環と言えよう。今後の発展が望まれる。

芝居の内容は、あらすじめいたものは少々書きづらいのだが、共同生活をしている人ら(家族?)が、とある女性を看取る葬儀に参列するのだが、その経緯でお互いの不満を言い合う、というものだ。

上演テクストは、戯曲に加えてアジア諸国(中国、韓国、タイ、シンガポールなど)の俳優の葬儀に対する経験や証言を加えたものになっていた。

多和田葉子のテクストの時点で明らかであるが、「弔いの形式」を通じて、文化的差異へ肉薄していくものである。

一応は劇の形式を保ってはいるものの、物語を見せるというよりも、我々が死の形式を目の前に何を思うか、ということを突きつけられたような気がした。例えば、韓国の泣き女の例を紹介する段で、韓国では棺桶に遺体が入る直前まで写メで遺体を撮影する、というような話があった。日本でこんなことをやったら、総スカンを食らうに違いない。その他、中国やタイにおける葬儀の形式について、各国の俳優が紹介をするのだが、「異文化理解」というリベラルな思想が可能なのかどうか、と少し考えてしまった。

この二年間、日本国は外国人の受け入れを停止している。一方で、特定技能実習生が頻繁に来る国からの受け入れは継続的に続けている。日本の「優れた」鎖国政策は、今このように、異文化を排除し、同化できる/同化を強いられることを認めている外国人のみを選択して入国させている。

例えば、この二年間で、留学に行ける/留学で入国できる学生はめっきり減っているのだから、異文化理解なんてあったものではない。

政策だけではなく、普段から生活している我々の感覚はどうだろうか。例えば外国から人が来た時に「コロナを持ち込まないでくれ」と思ったりしないだろうか。国民自身が「異文化」を受け入れることに希望を見出しているのか、自分たちの都合の良い側面だけを受け入れたいと思っていたりは、しないだろうか。

今日は選挙だ。投票会場は小学校だった。恐らくは娘が通うであろう小学校である。今回の選挙で、これからの日本の未来はどう変わるのだろうか、なんてこの芝居を観た翌日であるがゆえに、考えてしまった。普段はあまりそういう風には考えないのだけれど。

「異文化を受け入れる」ということの、ハードルの高さばかりが、心に留まって、どうも暗澹たる気持ちになったのであった。

(以下、公演情報)

タイトル:2020年度劇場実験Ⅰ(延期分)|多和田葉子の演劇 ~連続研究会と『夜ヒカル鶴の仮面』アジア多言語版ワーク・イン・プログレス上演~
日時:2021年10月30日(土)16時より
会場:京都芸術劇場 春秋座搬入口

(クレジット、抜粋)

作    :多和田葉子
演出・美術 :川口智子
出演   :滝本直子(劇団黒テント) 武者匠(劇団 短距離男道ミサイル) 中西星羅 山田宗一郎

「Tomoco KAWAGUCHI 川口智子」ウェブサイトhttps://www.tomococafe.com/