小説『スノコの精』第一話 韮山時代劇場

※この文章はフィクションです。

第一話 韮山時代劇場

 私は幽霊だ。劇場に巣くう生命体で、ここに集う人たちを見守っている。私は多くの場合、天井から人々を見下ろしているために、「スノコの精」と呼ばれている。
 私は、劇場という場所、それぞれの場所に存在しているとも言えるし、私が様々な劇場に移動をしているとも言える。時々、いたりいなかったりもするし、ましてや「劇場」という空間に縛られているわけでもない。また私は、近代的な産物ではなく、古来より存在していて、人が人に何かを見せようと欲した時から、存在している。言うなれば、私は現象しているし、現象してきたのだ。
 私にまつわる話は、決して多くはないが、同時に世界中によく知られてもいる。18世紀半ばにオペラ座のシャンデリアを落ちて、劇場が燃えた時、人々は私が犯行したと思い込んで、私にまつわる怪人話をでっち上げたりもした。今でも良く、人は私を目撃したと言って楽屋で幽霊話をするものもいる。俳優が袖から舞台へ出ていくときに拝むのも、私のことだ。私自身、人に何か影響を与えたり、そこにある物を動かしたりすことはない。ただ、人がそこで活動をしたり、機械が動いている時、私は目を覚ます。その時偶然、目が合った人が、私のことを語り草にするのである。
 私のことを話す人は、このように決して多いわけではない。ただ、そういう人と私は、「つながる」瞬間が確かにあって、恐らくは私は、そういった瞬間や経験、過ぎ去った記憶と、願望される理想像の集合体のようなものなのだろうと思う。私という存在は、人が人に見られたい、という欲求を起源としているものの、私が語ることができる記憶は実に様々で、そのほとんどが断片的である。小さな子供が親に歌や踊りを披露したいと望んだ、そのイメージもあれば、劇場内で作業をしている時に落下した構造物の下敷きになった作業員のイメージもある。小さな小屋の楽屋で静かに化粧をしている俳優のイメージもあれば、上演中にテロリストによって銃撃された観客のイメージもある。私は、人が願望するその先にいる存在であって、人が願望し、そこで起きる事件や事故のイメージというものを、何故か強烈に覚えている。その記憶の淡いが、私を構成しているのであり、私は思い出そうとすれば様々なことを思い出せるし、幾重に重なった記憶を通して、このようにしてスノコの上から、人々を見下ろしているのだ。

 これからお話することは、だから、私を構成する一つのイメージである。私はどこにでもいるし、どこにでも行こうとする。しかし抽象的な存在というわけでもないので、私が現象できる時空間には限りがある。このことを説明するのは難しいことだが、恐らくは「記憶」ということと深く結びついているに違いない。私は、記憶される場所にいて、記憶をする人と共に様々な経験を記憶しながら、その記憶を使って、次の記憶をつむごうとしているのだ。それには時間や場所が必要であり、その場所として「劇場」という場所を、優先的に選んできたに違いない。
 そして何よりも、「劇場」という場所や、「演じる」ということを愛する人間と共に歩んできたのであって、私はその意味において、有限的な存在なのだろう。 

韮山時代劇場

 夏の暑い時期だった。よせば良いものを、この地方のホールで大きな建て込みがあった。
 韮山時代劇場は、静岡県伊豆の国市にある複合文化施設である。その施設の中に大ホールがあり、私はそこに出かけて行った。
 このホールは、いわゆるプロセニアムアーチの正面舞台ではなく、上手側に大きな出演者の袖があり、客席も上手側に二階客席が伸びており、L字型をしている。
 また舞台上空には、自由になるバトンがなく、常設のカーテンを吊るためのスクエア型のトラスが組まれている。
 機構的には制限が多いが、荷物の搬入や観客の導線はシンプルであり、また距離も短く取られており、使い勝手が良い。観客の導線は非常に親切で、ホール棟を入ると、すぐ目の前がロビーで、そこに客席用の入り口があり、受付もスムースに行えるようになっている。
 一日仕込みで行うようなコンサートや講演会といったものは、やりやすい会場ではないかと思う。

 さて、私がお話したいのは、ここで大規模な建て込みをして、連日のリハーサルを重ねた上で、お芝居を上演していた時の話だ。
 私はいつものようにスノコにいた。
 そのお芝居では、ナチュラルウッド調の舞台壁面を全て黒布で覆い、さらに仮設バトンを増設して、照明や仕掛けなどを吊りこみ、舞台中央には巨大なイントレを仮設するような内容だった。
 私は普段、通常スノコと呼ばれる、劇場の舞台面の上空、観客席から見えないところ、家屋でいう天井裏の小屋梁に位置するような場所に佇んでいる。しかしこの時は、バトンがホールに不十分であるために、人々がウインチや15mmのロープを持ってスノコまで上がってきた。
 バトンを吊り下げている構造体と同じレベルの梁に、彼らは細工を始めた。建物の上部は、熱気が立ち上がってくるので、とにかく暑い。空調も当然ないようなところだ。さらに具合の悪いことに、スノコに上がるには客席を一度通過せねばならず、天井と舞台床を何度も往復しながら、彼らはこのホールに仮設バトンを仕込み上げた。
 電動ウインチは、イントレを持ち上げ、崩れないようにするために使用したので、幕類は全て人力での巻き上げだった。男衆が8人がかりで巨大な幕を吊り上げ、固定していた。
 その後、お芝居のリハーサルは連日続き、この暑いスノコの上にも何度も人が往来した。
 おかげで、お芝居は盛況に終演し、公演は無事に幕を閉じたようだった。

 広い敷地に位置するこのホールは、とても自然豊かな場所にあり、ホールの外は畑や水田がまだまだ残っている、閑静な住宅地である。
 私は、こういう静かで自然豊かな場所にあるホールが好きだ。そして、そこに集まってくる人たちがいて、この施設に愛着を持つ職員によって運営されている、そんな人の想いが支えているホールが好きだ。
 夏の暑い時期だった。そんな静かな場所にあるこの場所で、男たちが暑い暑いスノコの上で、必死に仕込みを行っていたことを、私はふと、猛暑の過ぎ去った、少し肌寒い日に思い出した。