30年後の同期。

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「となりの部屋へ行くんだ。仕事をする。仕事をさせてくれ」
/ 手塚治虫


スーパーに行ったら、年賀状印刷と喪中ハガキ印刷のチラシが置いてあった。年賀状より喪中のチラシが前に来てるのはイタズラかと思ったら、どうやら最初からそういうものらしい。

普通に考えれば、この印刷所は「喪中はがきの方がビジネスになっている」から前面に出しているという事になる。

確かに、年賀状はコンビニや文具店でも買える事を知ってるけど、喪中はがきを売ってるかどうかは確証が持てない。それにスーパーの客層は、高齢者が多く、年賀状よりも喪中の方がリアリティがあるのかもしれない。


ところで。

この前、ひさしぶりに大学の同期二人と飲んだ。
KとAと僕。神戸芸術工科大学という学校の一期生で、同じ学科で、さらに3人で「コンピューターサークル」というのを作っていた友達だ。

若い人は「コンピューターサークルって何?」と思うかもしれないけど、当時は Windows も無く、ホビーにしか使えないパソコンが20~40万の値段で、さらに120「MB」のハードディスクに10万も払っていたような時代であり、オタク学生にとってはパソコンに触る事それ自体が貴重なエンタメだったから、サークルを作ってしまうのも仕方ない。仕方ない?

まあとにかく、僕らはサークルを作った訳だけれども、部室がある訳でもなく、たまに会ってダラダラと話す程度の間柄。親友とは呼べないけど、友達ではあるよね?程度の距離感だった。


僕ら3人の性格は全然違っていた。

Kは合理的で頭が良かった。プログラム好きだが、アート関係にはあまり興味がない感じ。卒論でも「真の3D立体視」がなんとやらの論文を書いていた。

Aは優しい事が取り柄。あまり要領がよくなくて、デパートの任天堂売り場でバイトしていて、気づいたら留年しているようなタイプ。ただ、童貞を捨てた事を2年くらい隠していた秘密主義者でもあるのでイマイチ信用出来ない。

僕は二人と並べると「変わった事をやりたがる」タイプだった気がする。留学したり、学科を横断してファッションショーを企画したり……と、こうやって書くとなんかイケイケ感あるけど、こういうタイプは美術系にはよくいるし、そもそも全然モテなくて人生に絶望をしていた。

そんな僕らはお金を貯めたり親に借りたりしてパソコンを買う訳だけれども、

Kは X68000。
Aは PC-88VA。
僕は FM-TOWNS。

と、バラバラのチョイス。当時のパソコンは、所有する事=その機種の宗教に入信するようなもの。なので、僕とKはハードスペックについて下らない言い争をしたりする訳だけれども、その時はAが「まあまあ」となだめに来たりした。というか、Aよ、お前は何故88VAを選ぶのだ……


大学を卒業し、就職する事になった時、僕とKはゲーム会社であるナムコに入った。当時のナムコはリッジレーサーをリリースし、リアルタイム3D技術では世界トップレベルの技術力を誇るメーカーとなっていた。まあつまり、オタク憧れの企業だった。

僕はデザイナー、Kはプログラマーとして、それぞれ違う部署に分かれる事になる。

その頃、Aは何をしていたかというと、普通に就職活動に失敗していた。
バイトに明け暮れた結果、殆どのゲーム企業選考に落ち、ナムコも当然落ち、地元の出版社のような会社で細々と CD-ROM を作るような仕事をしていた。

就職してから数年した時、僕はAをナムコに誘った。新卒で正面突破するのは難しいが、中途採用はそれほど難しくない。社員の推薦があればなおのこと。こうやって、運良くAは大手ゲームメーカーにデザイナーとして入る事が出来たわけだ。

後から知った事だけど、当時のナムコ(の自分のいた部署)では「一度落ちた人間は受からない」という裏ルールのような物があったらしい。だがAは、入社試験の前のSPI(適性検査)で既に落ちていたので、記録にすら残っていなかった。スゴイな、A。まあ、強運とも言えるけど。


そして、30年が経過した。

Kはプログラマーとしてマイクロソフトに行き、渡米し、アメリカ人と結婚し、nvidia で働く、と派手にキャリアを積み上げた挙げ句、アーリーリタイア。今では家を何軒も買って、それを人に貸して暮らしたりしている。貸家業の何が楽しいか知らないけど、K曰く「効率よく儲かる事が判っているのであれば、効率化の好きなプログラマーとしてはやらなくてはいけない」らしい。

僕はソニーに行ったり無職になったりしながら、紆余曲折を経てデザイナーからディレクターに転身。「ニーアオートマタ」がヒットしたおかげで仕事も増えて、忙しい毎日を送っている。物語を書く仕事に就くなんて思ってなかったけど、まあ、楽しくはやっている。

Aはというと、僕についてくるような形でソニーに行ったりしたものの、結果的にはCG会社のデザイナーとして今でもチームマネージメントをしたりしている。Kや僕と比べると目立たない仕事なんだけど、三人の中で唯一子宝に恵まれた。寓話だと一番ハッピーエンドとして扱われるヤツだこれ。


普通なら「こうやって同期の3人は成長しました。これからの未来が楽しみです」というトコロだけど、来年、僕らは50歳だ。未来に期待できる程の時間は残っていない。サッカーで言えば「ロスタイム……とはまではいかないけれど、後半残り15分くらい」の微妙な時間じゃないだろうか。

結婚式よりも葬式が増え始め、どんどん死が近づいて来る。
でも、オタクだった僕ら3人は、それぞれのフィールドで、若い気持ちのままボンヤリと立っている。

いや、死は近づいてるんじゃない。
最初からそこにあったのかもしれない。

もしかしたら、スーパーの喪中ハガキの宣伝は、昔から「喪中推し」だったのかもしれない。歳を取って、自分が死に近づく事で、初めて気づけただけなのかもしれない。

そうやって死について考えてる今、仕事を受けすぎてヤバイ。
こんなの書いてる場合じゃない。

ヤバイ。

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