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上場企業から案件を取り続けるパワハラ専門コンサルタント 湯澤悟社労士インタビュー

パワハラ・コンプライアンス研修登壇回数600回以上研修受講者は4万人超え。パワハラ専門コンサルタントとしてダントツの結果を出し続けるのは湯澤悟社労士。今回は、湯澤悟社労士に成功の秘訣をインタビューする。

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湯澤悟(社会保険労務士)
1972年埼玉県生まれ。 中央商科短期大学証券学科卒業。一成証券㈱(現・三菱UFJモルガン・スタンレー証券㈱)、大手ベビー用品メーカーのコンビ㈱、大手外食産業の㈱ほっかほっか亭(現・㈱プレナス)にて、約9年間、
人事部にて労務管理、人事企画、採用等の主要業務を歴任。2002年8月1日に湯澤社会保険労務士事務所開業。2013年以降、研修回数600回以上。研修受講者は4万人を超える。

社労士を知った「ある事件」

ー「社会保険労務士」を知ったのはいつですか?
「高校卒業後、入社した最初の証券会社ですね。1990年頃かな。もともと僕は商業高校出身で経理部を希望していたのですが、たまたま人事部に配属されることになって。そのときの上司というか社員の女性に『人事部なら、社労士でも取ったら』って。それが最初のきっかけでした。

もともとは商業高校というのもあって、資格としては税理士を目指していました。でも、ちょっとした事件があって。」

ー「ちょっとした事件」ですか?
「そうなんです。人事部に配属されたあと、嘱託で勤務されている70歳手前の社員さんがいました。僕が入社したのはバブル崩壊のときで、いわば『リストラ』みたいな言葉が流行り始めた頃。そんな折、その嘱託のベテラン社員がリストラの憂き目に遭ってしまったんです。すぐに退職とはならなかったのですが、大幅な減給を言い渡されたわけです。

彼は人事部で給与計算など、いわゆる社労士的な仕事を任されていたんです。それが肩たたきになるわけですから、誰かがやらなくてはなりません。それが僕の役割になったんですね。最終的に彼は退職するのですが、それまでに僕は彼から徹底的に人事部とは何か、総務や給与計算、社会保険の手続きなどを叩き込まれたんです。これと同時に、真面目に働いている人がどうしてリストラされなきゃならないんだっていう人事のやり方もとても疑問に思いました。組織ってなんなんだろう、と。

それが社労士になる大きなきっかけだったと言えます。

企業内社労士の後任に

ー社会保険労務士の資格を取ったのはいつですか?
「最初に入った証券会社を3年ちょっとで退職します。人事部のあと、実は経理部に配属になったんですけど、すぐに会社の方針が変わって営業に回されることになってしまって。それで辞めますって言って退職届出してきました(笑)。

その後、半年くらいは無職だったのですが、そうも言っていられず1996年にベビー用品メーカーのコンビに入社。人事部に配属されました。そこに、社会保険労務士を持っている女性社員がいたんです。企業内社労士ですね。そこでまた人事労務の何たるかを学ぶわけですが、この先輩がとても仕事ができる人で。社員からの相談に次々と答えていっていて、すごいなぁと思っていたら、私が後任になることになって。それで私も社会保険労務士を取ろうと決意しました。

最終的に2000年に合格。その間に転職もしていて、別の会社で勤務社労士も悪くないかなと考えていたのですが、外から様々な会社の組織を良いものにしようと考え、最終的に2002年に開業することにしたんです。

3年間は鳴かず飛ばず…しかし

「ある意味、勢いで独立してしまったところがあるので、3年位はかなり厳しい時代でした。自宅で開業し、試行錯誤を繰り返す日々。でも、様々な人脈をつくりながら、徐々に過去の人事部経験を評価して下さる人も出てきて。最初は社労士というよりも、人事部の経験者ということで、いまで言うインハウス化ですね。複数の企業の人事部を掛け持ちで業務を行うみたいな仕事の仕方をしていました。

徐々にその社外人事的な貢献が評価され、複数の企業から『うちの人事にも来て』と言われるようになったんですが、さすがに身体ひとつじゃ社外人事も限界がある。その頃月商でもう80万円くらいになっていたので、このままでも十分とも思ったのですが、このやり方だとそれ以上にはならないので、少しずつやり方を変えていきました」

ーどのような変化が?
「企業に入り込むのではなく、顧問というかたちに変えてもらうことにしました。もちろん報酬は下がりますが、その分自由に動ける時間が増える。やり方を変えていこうと考えました。

最終的に現在のようなパワハラの専門家になるのですが、その最初のきっかけが遠藤晃さんでした。

遠藤晃氏
遠藤晃顧客教育研究所(株) 代表取締役(社)チームNo.1 代表理事
士業・コンサルタントを対象にセミナー戦略を活用し集客から顧客化までの戦略を構築するエキスパート。見込み顧客への「教育」を通じて売り手の「ハイポジション・ハイプライス」を構築し高確率で顧客化する【エデュケーショナルセールス】の提唱者。

自身が主催する養成塾の修了生がメンバーになれる「チームNo.1」の参加者は5年で延べ1,000人を越え、自走するコミュニティとして注目されている。
著書『たった5人集めれば契約が取れる!顧客獲得セミナー成功法』(ダイヤモンド社)が、アマゾンのベストセラーランキングでは、総合ランキング1位を達成。
(Amazonより抜粋)
※遠藤晃氏は、旧経営天才塾時代に天才塾で講師をされたこともあります。

ニッチな分野でまず、No.1を取らなきゃいけない。そこで選んだのが、パワハラでした。2012年頃だったと思います。まだ当時はこうしたハラスメント対策を仕事にしている社労士もほとんどいなくて。最初に入社した会社での事件も影響していると思いますが、パワハラ防止を通じて企業に貢献し、No.1を取ろうと考えたんです。

パワハラ研修講師のスタート

ーNo.1分野を決めたあとの活動は?
「とにかく研修でしたね。ある団体を通じて講師のオーディションをしたらそれが通って。研修を重ねる度にお声がかかるようになり、とにかくパワハラ対策の研修を行いました。徐々に上場企業や大企業からも声がかかるようになり、現在の600回超の実績に至るという感じです。」

ーなぜ、そんなに湯澤さんが呼ばれるのでしょうか?
「ほかの研修講師と違うからだと僕は自己分析しています。僕は役所が提供している資料は一切使わないし、とにかく再現性の高さを追求した研修になっています。いまでは社労士の経験も20年。人事の経験は9年。現場の意見もわかるし、客観的な視点もある。そうやって研修を作り込んでいきました。それが評価されているんだと思います。」

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パワーコンテンツジャパン株式会社との出会い

ー当社のことを知ったきっかけは何ですか?
「僕がLEGALBACKSなどを利用し始めたのは、実は歴が浅くて2019年頃だったかな。でも、横須賀さんのことは結構昔から知っていて。2005年とか2006年頃かな。でも、当時は『この人は何か違うな』って思っていて(笑)。でもやっぱり思い込みで判断するのもどうかと。それで一度相談してみようと思っていたら、コロナ禍になってしまって。

これまで僕は研修がビジネスの中心だったわけです。それがこのコロナ禍。一気に研修の仕事が吹き飛びました。これはもう好き嫌い言っている場合じゃなくて、結果出している人に相談してみよう。そういう経緯で横須賀さんへの相談を始めました。」

ーそうですね、その頃初めてZoomでお話しました。
「タイミングもあったと思います。ただ、一番響いたのが横須賀さんがどこかで『信じてくれた人は、絶対に勝たせる』っておっしゃっていて。それで一度は信じてみよう、と思いました。で、話を伺っているうちに、全部任せてみようと。それで、退職勧奨やパワハラ対策研修のLP制作や広告運用など、全部お任せしました。

結果、これがいま大当たりしています。1万人を超える大企業からの相談。上場企業からの研修依頼。正直、どうさばいていくかが今の一番の課題になってしまったくらいです。しかも、ほとんど会う前に成約しているというか、クライアント側が依頼することを決めてから相談して下さる。これはLPの力だと思います。」

LEGALBACKSで何が変わったのか?

ーパワーコンテンツジャパン株式会社と出会って何が変わりましたか?
「一番は、私は最高経営顧問という個別の契約をしているのですが、とにかく私のやりたいことや状況を把握して下さっていて。どんな相談や悩みもすぐに解決してくれる。だから悩む時間がなくなりました。まずこれが大きい。

特にLPは私が何もしないでずっと営業を続けてくれているので、本当にこれがありがたい。営業に費やす時間がないから、既存客にも手厚く提案できるし、研修の開発もできる。正に好循環ですね。

だから、もしLEGALBACKSというか横須賀さんへの相談を躊躇している人がいるとしたら、まず一度相談してみてほしいと思います。合わなかったら合わないで良いと思いますし、費用対効果的にも私は抜群だと思います。この先が見えないと思ったら、一度ダメ元でも良いので、相談してほしいですね。」

インタビュアー:横須賀輝尚
執筆協力:金子千鶴代


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