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誰かの第三者🐼

今日は、いろんな片付けをしようと思ってたのに…

今から8年前…って、もうそうなるんだ…娘っちが不登校になってからのいろんな資料が気になって、朝から読みふけってしまう。

スクールカウンセラーには、心が開けず、保健室でも背筋を伸ばして窓辺に1人座り、甘える事が出来ず、ただただ窓の外をただひたらすら眺めてた娘っち…

カウンセリングに行かせるのも、辛くて私だけがカウンセリングを2年通った時の記録を読み返しながら、よくここまで娘っち頑張ってきたなぁと。

何度も何度も、「もうダメかも…」と思ったなぁ。
今日が最後かもと思いながら、心細そうな制服姿を見送ってました…今から思えば、何がダメやったんかなぁって思うけど…

学校からまだ登校してないと連絡があって、ネットで事故のニュースがないか心配で震えながら検索していたら、駅のトイレから「今日はやっぱり無理…」とLINEしてくる娘っちに、どれだけ私は無理強いしてだんだろうと…一回だけで無く何回もありました…

あの時は、親子して学校にしがみついてました。今ならきっと、もう少し違う選択をしてたかもとも思いますが…でも、幸いにも、高校の担任お2人がとにかく、娘っちに卒業するまで、寄り添ってくれてたのが、感謝してもしきれないです。皆で一致団結みたいな全体集会の後にはフォローをしてくださったり…
お友達の応援が返ってしんどかった時も、直ぐに対応して下さったり。高校1年の時の担任の先生は、先生ご自身が経験者の親だったから余計に親身になって下さいました。2人で泣きながら面談した日は、忘れられません。

やっぱり、理解してくれようとする大人の存在は大きいなぁと。
何度も退学や転校を考えましたが、親子してお二人の先生に支えられてました。それと同時に、カウンセリングを受けながら、私も少しずつ変化していきました。

高校は私立で先生にも恵まれてたので、不足単位と出席日数は、補講を娘っち1人だけのためにして下さり、後はレポートで無事に皆と一緒に卒業し、大学進学も…
卒業までの任意登校は全て欠席しましたが…

今、思い出すのは高校の卒業式の日に、私の側から離れられない娘っちに、ほんとに辛かったんだなぁと改めて感じたのを思い出します。それでも、卒業式に出席したのは、娘っちなりの先生への感謝と、自分と私へのyellだったのかな?真意は分からないけど。

高校卒業して、やっと不登校から解放!って親子で思ったのも束の間、再び大学1年6月あたりから、大学に足が向かなくなりました…単位は、ギリギリ取得して留年は回避してましたが、大学2年の5月あたりまでは、「生きる意味がわからない…」と、娘っち。

でも、やっぱりここでも、人に助けられるんですよね…
バイト先の上司に、仕事ぶりを認めて貰えたり、サークルの知人に褒められたり、少しずつ、自分では気づがない良さを認めて貰えることで、ダメな自分だと思ってたけど、そんな自分を認めてくれる人がいる…
自己肯定感が少しずつ高くなっていったようです。これは親だけの力では出来ないことだなぁと。第三者の大人の存在は、子供や若者には、ほんとに大切だと。

娘っちの不登校になった原因は、複数あります。彼女の持って生まれたHSPの繊細さと、私の過干渉と、学校や社会の同調圧力etc…
原因追求は、自分を責めるんじゃなく、「誰の何が困りごと?」「じゃあ、どうしたらいいのか?」と考えるように…と自戒を込めて、最後に書いておきます。
また、感情が先走り忘れちゃうから…とほほ。

あー片付けしよう!から何をつらつら書いたのかしら(笑)まぁいっか。
私のひたすら書くnoteだから、私らしくダラダラと。

あっ、今、大学4年の娘っち
「まぁまぁ幸せやで!」だそうです。「まぁまぁ」が良いなぁと思う私です。

そして私も誰かの第三者の大人でありたいです🐼



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