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ダブリンの天使

2009年3月11日~21日 アイルランド紀行3

3月11日成田出発の同日19時、アイルランド首都ダブリンに無事着陸。
アイルランドは寒いと聞いていたが、肌感覚は東京と同じくらい、それよりも若干あたたかく感じられた。

ダブリン市内は空港から約12km南にあり、バスでのアプローチは3通り。
・ Aircoach 片道7ユーロ(往復12ユーロ)
・ Air Link 6ユーロ
・ Dublin Bus 2.2ユーロ
(2009年当時の価格です。)

Aircoachは高いだけあってフカフカシートでいかにもリムジンという感じがした。が、旅は始まったばかりで財布の口がかたかった我々は最安値のDublin Busを選択。

乗車してみて、Dublin Busはひとつひとつの停留所にとまっていく市バスということがわかった。ダブリン市民の足なのだから、安いはずだ。止まっては乗客を乗せ、300mほど走ってはまたバス停に止まり……バスはえっちらおっちら進んでいく。

「市内直行のAircoachだったら、もうとっくに着いていたかもしれない。旅はケチってはいかんな。」と、ウダウダ反省しながらも観念し、長旅で疲れた体を堅い座席にもたせかけ、ぼーっと乗り降りする人々を眺めていた。

やがて赤ちゃんを片手に抱き、もう一方で3歳くらいの男の子の手を握った女性が乗ってきた。後ろで父親らしき男性は両手いっぱいの袋を抱えながらバス料金を払っている。

と、バスの中ほどに立っていた男性が、パッとその親子を追いこして、乗車口から飛び出した。何ごとかと思ったら、バス停に残されていたベビーカーをかついで戻ってきた。
多分、父親は運賃を払ったら取りに行こうとしたにちがいない。
思わぬ助っ人に父親はニコリ、母親もイライラした顔から笑顔に変わった。男性もうなづきながら、ほほ笑んだ。

ダブリン・天使の詩だ…。
旅の疲れでまどろみがちな意識で古い映画を思い出した。
違う…あれは「ベルリン・天使の詩」か…ダブリンとベルリン似ているよな。

キリスト教の国へ来たのだな…。
天使と聖家族の絵画を思わせるような、やさしい風景だった。

ここは首都か?

バスに揺られて30分、すでに街の中心部に入ってきたはずなのだが、さびれた雰囲気が否めない。ひと気がなく、繁盛に縁のなさそうな東南アジア料理店やピザ屋が目につき、街に彩りを添えるジョージアン・ドアのペンキもはげて色落ちしている。

ここが首都なのか???

メイン・ストリートのオコンネル通りに入り、道は太くなったが、街灯は少なく、相変わらず暗い。時間が遅いからだろうか、それともオフシーズンだからだろうか、数件の土産物屋が空いているだけで、閉店後のショーウィンドーにぼんやりと浮かびあがるマネキンの姿が少々不気味にも感じられる。

「なんか、首都のわりに地味だよね。」
どうやら同じことを感じていた夫がつぶやく。
「私もそう思っていたとこ。」

もうちょっとしたらネオンギラギラで不夜城のような繁華街にでるにちがいない、もう少ししたら……と期待しているうちに、ホテル最寄りのバス停に着いてしまった。

初日の宿泊場所はダブリン中心を流れるリフィー川北岸のホテルで、ダブリン到着が遅くなることを見越して日本で予約をしたものだった。

まばらに立つ街灯の光が反射する川のゆらめきを見ながら、私はガラガラとトランクを引き、夫は肩にしたボストンバッグを何度か背負いなおし、ようやっとチェックインした。

長旅で疲れていたが夕飯を食べに、ホテルを出てオコンネル橋を渡り、対岸のテンプル・バーに向かった。旅の目的の一つである 「ギネスビールで乾杯する!!」を達成させる意図もあった。なにしろアイルランドはギネスビールの本場なのだ。

テンプル・バーは『ダブリンの若者が集う場所、レストランやパブ、カフェクラブがひしめいている』とガイドに紹介されていたので、ここに来れば首都の華やかさを味わえるかと思いきや、集中的に店が開いている区間は50mくらいでほんの10数件、その先は暗くて、観光客が踏み入れるのは危ない感じがした。ここもまた不夜城ではなかった。

テンプル・バーを1往復半し、迷った挙句にひと際照明の明るい、サンドイッチをほおばっている人の姿が窓越しに見える店にに入った。パブではなかったが、当然どの店にもギネスはあるだろうと注文したら、

「ギネスはありません。」
ガーン!!

そこはアメリカ・シカゴが本店のカフェだった。
待ち望んだ黒い液体ではなく、アメリカンエールとチーズオムレツ、野菜スープでアイルランド島到着を祝うことになった。それでもパンに添えられたバターは、アイルランドのものであろうか、おいしかった。

「まあ、旅は始まったばかりなのだから、ギネスを飲む機会はいくらでもあるでしょう。」とひとりごちた。オムレツをつつきながら、空港からの街の景色を思い出し、この地味さがダブリン、いやアイルランドの良さなのだと自分を納得させてみた。

しかし、私は忘れていたのだ。旅に出る前に読んだアイルランドの解説書のことを。
『ダブリンでわたしは錯覚することがある。北と南が逆に思えるのだ。頭では、リフィー川南岸のダブリン城あたりがもっとも古く、次いでその北岸に広がり…(略)…どうも新しいはずの北が貧しく治安が悪く、町の誕生以来あった南の地域(いわば下町)のある方が治安も良い、というのが身体の常識にあわないらしい。
ではダブリンではなぜ北の新市街が貧しくなったのか。1000年も昔に、ヴァイキングによってダブリンはリフィー川の南岸に町として現れた。時代がすぎて住民がふえ、町が古くなってくると、ごちゃごちゃしてくるし、汚れて住みにくくなる。それで、金持ちは北に豪邸を構えるようになり、十八世紀にはそちらが上流社会の中心になった。…(略)…ところが、ダブリンは西風が吹く。特に冬は強い。暖房に焚く草炭の煙が南西方向から北の新開地にもろに吹き付けて金持ちたちは意外に不快な生活を強いられた。新市街は余り住み良くなかったわけだ。これが新開地の運命を他の大都会と分ける一因となったといわれている。』(図説アイルランド、河出書房新社)

翌日早々に、私たちはダブリンを後にし、レンタカーでアイルランド周遊の旅に出た。ダブリンに舞い戻ったのは7日後。そのとき初めて、南岸に広がる壮麗堂々たる首都ダブリンの姿を間の当たりにするのであった。

※この旅行記は以前に閉じたブログの記事に加筆して、2023年3月にnoteに書き写している。

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