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映画 Pure Japanese から見えたもの



立石大輔の母、そして祖母の目で見る👀気付かされる幻想。そして私はどうする?



映画館で鑑賞し、今まで見えなかった部分が見えた。
視点を変え、自分に置き換え、彼の運命の断片を想像してみた。(あくまで想像、妄想です。映画の内容、ネタバレを含みます)


立石が死闘の最後に語る母との思い出。そこでそれまでの空気が変り、時間と空間が切り替わる。目の前にいるのは血を吐いて人を殺している立石。だか語られるのは幼い日の思い出だ。
その思い出を、立石の母の目線で考えた。

屋外での花火が禁止されている地域で、息子と2人線香花火をする母。アメリカでは州によって違いはあるが、日本で言う玩具花火であっても、使用だけでなく売買も禁止している場所があるという。
法を犯しても花火を入手した母。なぜそこまで線香花火に拘ったのか?
そこには、言語の違う国の生活に疲れ日本の文化に助けを求める追い詰められた姿が浮かぶ。
日本が恋しいあまり思わず手に取り、法に反するとわかっていても、息子と2人、火を灯してしまう。
異国の地で、違う言語OSの中で、疲れ果てた母は花火の光を見ながら息子に自分達は日本人であると説く。日本の文化を忘れないで、日本人であることを自覚して、という思いからだろう。
しかしその状況はかなり切迫している。何故なら、幼い息子が花火を手にし、炎が手元まで達して熱さで手を離しても止めようとしなかった。通常なら、危ない!と払い落とすはず。母自身が花火の光に見入り、日本への郷愁に苛まれていたからではないだろうか。
立石少年はそんな尋常でない母の様子を見て、自分が日本人であることがいかに大切かと幼心に刻みつけたはずだ。そして花火は同時に光と痛みを彼に与えた。

そして帰国後、どのような状態になったかは本編の通り。
おかしい、自分は日本人のはずなのに、日本に戻ったのにと幼いながらも矛盾に苦しむ。見ているのが辛い現実だ。その時、母がどのように手を差し伸べたのか。愛する我が子がいじめられていたら、辛い。何とかしてあげたい。母の心が日本で健やかになっていれば良いのだか?と見えない部分に救いを求める。

ここからさらに妄想すると、立石の暴力衝動は天性のものと仮定する。親がどんなに愛情を持って育てても、それを消すことは出来ないのではないだろうか。人を傷つけることは悪いこと。命は尊いもの。弱いものは助けるもの、と教え言い聞かせた、と思いたい。
立石は真面目で実直な男として描かれている。
両親の教育の賜物か。しかし理性では抑えられても、破壊や暴力への衝動は消えることはない。
だからこそ、暴力への憧れを殺陣という職業に就くことで発散させ、母から強く聞かされた日本人としての自分を求め続ける。日本の文化の中に、かつての武士道が持つ暴力的な要素を見い出し惹かれていく。


守るべき対象となったアユミのために事務所を破壊し、アユミから感謝される。その後、江戸村の中を鼻歌を歌いながら歩く立石は、まるで少年のようだ。イジメられていた年頃に戻ったようにもみえる。暴力の衝動と弱いものを助けるという善行、両方果たされた理想的な結末のように思えたのだろう。あのシーンはとても印象的だ。
あれは立石の精神の世界か。普通の江戸村の中を歩いているはずなのに、あの様に一人で自分の世界に入り込み、周りが見えていない状態では?と感じた。


母の母、「祖母の目線」になると更に辛い。
娘である「立石の母」は異国で頼る人もなく子育てをし、辛く寂しい思いをしている。何もしてあげられない、もどかしい。その思いは届かず娘は追い詰められていく。そんな時は待つことしか出来ないのだ。いつでも帰っておいで、と。それが血の繋がり。
アメリカで育ち日本語のOSを持たない孫にも同じ血が流れている。日本が故郷であり、帰る場所だと伝えたい。

ここで、私なりにこの映画のテーマである日本人とは?という疑問に対する答えが出てくる。
日本人の血が流れる者、日本民族。

しかしそれは幻想であると映画の中で語られる。単一民族の幻想。日本語を使う人間が日本人=日本語人、と。
私の中にある血と地に対する思いが、幻想かと思い知らされる。土地に固執した価値観が「血統」で日本人と決める文化になっている。その意識が変わらなければ、日本の未来は危ういのでは?というメッセージを感じた。
絶望感?焦燥感?いや、でも、しかし。続く言葉が見つからない。

DEANさんが作りたかった映画は、私のような人間に意識を変えようと伝えたいのか?

期せずして世界では侵略により国を追われた人々の様子を伝えている。あってはならないこと、しかし現実だ。

地を追われ、血が途切れた時、そこに日本人は居るのか?日本人とは?私が信じているものは、決して永遠ではないと思い知らされた。
それでも、子供や孫たちの帰る場所を守りたい。やがては誰も、帰る人がいなくなっても。
一度は放射能で汚染された土地でも、こうして生まれ変わったのだから。

映画を観た後、色々な感情が溢れ、同時に立石への愛しさが湧いた。抱きしめてあげたい、あなたは日本人よと言ってあげたい、と。
しかし何度も言うが、彼の暴力衝動は肉親の愛を持ってしてもきっといつかは爆発しただろう。ならばせめて、日本人として死ねたのなら本望か。武士道よろしく守るべき人に出会い、彼女のために死ぬことが。

ところが彼が最後に思い出した母の言葉はなぜか英語で語られ、彼の中にある言語OSが日本人でないことを示した。その矛盾に気づいたのか、否か。
彼が犠牲者たる所以はここに現れた。

映画で語られた日本の未来像が立石の姿と重なる。
だからこそ、彼を抱きしめてあげたい。
おかえり、と言ってあげたい。

私は意識を変えられるのか?
今はまだ分からない。



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