三浦春馬さんの死を重ねて想う

お悔やみ申し上げます。

この時期だからこそ、全国のファンのショックの声が大きいと思う。

けど、少し羨ましい・・私もできることなら・・

活動中、何度も思った。

追い詰められていた。

終わった後、空っぽになった。燃え尽きてしまった。

その空っぽの自分に、人は勿体ない!もっとこれから出来るはず!!と

励ましてくれた。

なんで生きてるかな。これ以上私ここにいる必要あるかなと。

私が今までやってきたことはこういう結末だったのかな・・。

コロナ前に思ってたところでコロナ襲来。

真面目な人ほど、

人の期待以上に頑張ろうと活動して、自分のキャパ越え、200%以上、で任されたら、責任持って取り組む。

真面目な人ほど、

自分より人のためにと頑張って活動しようとする。

いろんな障害を乗り越えながらも、きっとその先には何かあると信じるが、

途中から、何の為に、誰のためにやってるのか、わからなくなる。

なんだか苦しい。でも途中破棄出来ない・・

それって、全て、貴方がやりたかったからでしょう?

貴方が決めたことでしょう?

なんで手を抜かないの?・・いや、それは出来ない・・

・・確かに・・

・・のはずだ・・

・・・あれ?そうだったっけ・・そうか・・

自問自答。

人のせいにも出来ない、

自分が悪いんだ。


だから相談もできなくなる。弱音も吐きずらい。

吐いたとしても、自己嫌悪でさらに苦しむ。

ある意味 不器用。

でも外からはそう見えない・・。

物凄く活躍して、人生を謳歌しているように見えてるらしい・・

内面と外面とのギャップ。

この時代に困難でも、器用にこの世を泳げる人はいい。

たまに休みながら。

または、本当に寝る間も惜しんでやれる人もいるだろう。

ただ、そういう人はその人の努力と時代にタイミングが当てはまってるのかもしれない。

ゲーム感覚で人生を乗り越えれる人もいる。

不器用ながらも楽しく人生を謳歌している人もいる。

人それぞれだ。

ある不器用な人は不器用と見せないように自分の心内を必死に隠して、

人前では明るくして・・。

まさか自殺するような人とは思えない・・と言う記事があった。

・・いや、本当は、そういう人が危ないんよね。

ただ、今、苦しみながらでも、生きるのが正しくて、向こうに逝く選択をしてしまう人が間違ってるとも、私には、言い切れない・・

いつになってもこの国の、強者には弱くて弱者には厳しい世の中が変わらないから。

特にコロナ後政府の給付金の申請のルールとかもそうではないですか。涙

儲けて税金払ってる人たちに支援しますよ、って。言ってるような仕組み。他の弱者にはこれで何とかしてとみんな一律。仕事ある人も一律・・っておかしくないですか・・おっと脱線。

この時代になんとかフィットする人はいい・・。

みんな辛い時期なのはわかってる。

けど、本当に今の世の中、おかしくないですか。と

ごめんなさい。限界です・・と、

何も言わず、自分の死で提示したような彼の死は 

ある意味

尊い。

これは私が感じたことです。

これも人それぞれの感じ方だから・・

ご冥福をお祈りします。





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