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それって、いつの時代の話?

引越しを前にいろいろ片付けをしなくてはならないのに、Netflixを観てしまう。私のタイムラインで絶賛の嵐だった『クィーンズ・ギャンビッド』。思わず、ハマりすぎて一気観してしまう。

友情、努力、勝利といった、かなりわかりやすくジャンプ三原則を内包している。一人の天才(チェス)が困難を乗り越えながら覚醒していく物語。主人公が女の子になるだけで俄然、今っぽくなる不思議。衣装も美術も色彩トーンも画角も素晴らしく、どのカットも麗しい。眼福映像を観ながら、ストーリーはどんどんドライブしていく。

そして、私が最もこの作品の“今ドキ“を感じたのは、主人公の性の目覚めも描きながらも、主人公を取り巻く男性陣との関係性を描きながらも、安易に恋愛ストーリーに舵を切らなかったことだろうか。そうなってもおかしくない展開はたくさんあったのに! 

続けて、何も考えなくて楽しく観られる代表のような(褒めてます!)映画『ホリデーオンリー:とりあえずボッチ回避法?』を観る。

女友達でも恋人でも、セックスフレンドでもなく、ただ、休みの日を楽しく過ごす相手が欲しいと思う人はたくさんいると思う。自分を偽ることなく、自然体で振る舞え、安心感があり、永遠を感じられる存在は本当に貴重だ。

この二人はその利害関係で一致し、休日を一緒に過ごすようになる。

とはいえ、以下のように公式HPに書かれているあらすじから、二人の関係の展開は容易に想像していただけるかと思う。

同伴者なしでは厳しい年間行事を乗り切るため、祝日限定のパートナーになった2人。プラトニックな関係だったはずなのに、やがて淡い恋心が芽生え始めて...。

楽しく観ることはできた。

なのに、なのに! 『クイーンズ・ギャンビッド』を観た後は、なんともそのエンディングが物足りなく思えてしまった。

少し前に以下のようなニュースを読んでいたことも大きかったかもしれない。

二人は同性愛者ではなく、趣味を通じて出会い、12年間共に生活をする中で、お互いが欠くことのできない存在であることを確信し、家族になりたいという気持ちからパートナーシップを宣言したという。

以下の表に、なんとも言えない無限のワクワクを感じたからかもしれない。

元来のブロマンス好きが起因しているのかもしれない。

阿佐ヶ谷姉妹の関係に憧れを抱き続けているからかもしれない(以前携わっていた媒体での記事より)。

仕事の話以外にも、「どこそこに猫が三匹いた」とか、「今日はスーパーで豆苗が安くて得した」とか。独り身の人間にとって、どうーでもいい話を話したいと思ったときにできるというのは、ものすごく貴重なことなんですよね。

そもそも家族のカタチを考えがちだからかもしれない(以前書いたブログより)。

現状国から認められている「これまでの家族」の形態だけにとらわれることなく、個々人が思い思いにつながっていく。それぞれが心地良いと思う「つながり」に身を置くことができ、自分とは違う「つながり」をそれぞれに認め合える、そんな時代になっていけばいいな、と私は思うのです。

話が飛びまくってしまった。

結論は、「男女の友情は成り立つのか?」「男女は必ず恋愛しなきゃいけないのか?」のような議論が、私個人としては、なんだか不毛に思え、ピンとこなくなってきている、という話でした。

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