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帰国と隔離(ブリュッセル→イスタンブール→東京)

これは2022年年始の日本への入国の様子である。
オミクロン株が出現した時期で、日本は絶賛鎖国中、私もフランス滞在歴があったため6日隔離と8日の自宅待機が必要だった。それを覚悟で出てきたのでしょうがないが
(その割に国会はオミクロン株が出て、入国制限を厳しくして時間の猶予ができた1ヶ月近くを5万円分の支給をクーポンから現金に変えたぐらいしかやってなかったらしいが。これが民主主義の厳しいところである。)

準備

通常の帰国と異なり、水際対策が実施されている本邦では
1.出発72時間以内のPCR検査の陰性証明書
2.My sosアプリのインストール
が必要になる。
My sosは別にインストールして帰国の申請をすればいいだけなので、ちょっと手間がかかるだけだが、問題は陰性証明の方である。もし陽性が出れば1発アウトだし、陰性が証明されていればいいものでもない。ここが日本の面倒くさいところで、大半の他国はとりあえず陰性(場合によっては検査方法)が証明されていれば良い。また時間制限は厳しくなるが、抗原検査でも認められている国は多々ある。しかし、日本はそうではない。
まず、採取検体方法に指定がある。ヨーロッパで一般的な喉咽頭ぬぐい液(Throat swab)方法では認められない。専門的な知識なので当方にもよく分からないが、これだと鼻の穴の突っ込み具合が足りないから、もっと奥の鼻咽頭ぬぐい液(Nasopharyngeal Swab)じゃないといけない。
検査場にただ単にSwabと書いてあるような場所は間違いなく、Throat Swabの検査方法なので入国拒否をくらう。
鼻咽頭ぬぐい液の検査場を探すだけでも大変なのに、さらにもうひと関門ある。それは証明書のフォーマットだ。ようはハンコ社会の日本でちゃんと検査医院のスタンプがあるか、医者のサインがあるかをチェックするというわけだ。聞いた時は耳を疑ったが、本当にそれが必要らしい。さらにパスポート等の表記は当たり前にしても、検体採取日、結果決定日、検査証明交付日と色々必要なようだ。
そのため、各国の大使館は日本の厚労省が発行するフォーマットを強く推奨している。そりゃそうだろう。日本人まで入国拒否を喰らって、出発地に送り返されているのだから。
正直、個人的な持論ではあるが、外国人を病原体を理由に入国拒否するのはまだ分かるのだが、陰性証明がスタンプが足りないとか検査方法が違うとかで日本のパスポートを持った人を送り返すのは、国民の保護義務を怠っていると思う。
その時の記事がこれ↓

まあ72時間以上経っていたのは不注意かもしれんが、検査方法云々で「どうぞ外国にお帰りください。」と母国に言われるとかコントかよと

そのため、大使館は厚労省の発行するフォーマットを強く推奨する。河野大臣が慌てて火消ししていたが、国がそういう対応をしてしまった以上、大使館がこのような対応をするのは当然だ。

で、この時の私はどうしたかと言うと、フォーマットとかそんなの関係ねえと言って、医院独自のフォーマットを発行してもらった。
理由は、年末年始でもやっている所が少なかったこと、日本人向けの医院は検査結果をもらうために最低2回は足を運ぶ必要があること、既に先人がやって無事帰国していたからである。

一応検査医院に日本のフォーマットで書いてくれない?と聞いたが、そのようなサービスはやってないとのこと。おそらくスタンプとかがないのだろう。

検査場へ

場所はブリュッセル空港の出発階の外にある。道路の広いスペースを一時的に借りたのだろう。

予約制で時間を指定するが、1時間半ぐらいならんだ。列に並んでいるうちに逆に感染するんじゃねレベルの行列だった。ただ、列に並んでいる時に1組泣きながら割り込んでくる人がいた。スペイン語だったが、おそらくワクチンを打っていないのだろう。チェックインカウンターで搭乗拒否をされて慌てて来ていたが、果たして間に合うのか?
一応普通の検査は65€だが、130€払えば8時間以内には結果を出してはくれるが

そんな人を見ながら、わいの番に
到着時と違って、無言で鼻に棒を突っ込まれて終わった。やっぱり痛い。

結果

結果はユーロスターを撮っている時にメールできた。
無事陰性でベルギーでは隔離されることなく、帰国できる。

My sosの入力

続いてMy sosの入力
これで院生証明書等の帰国に必要な書類の申請をするが、どうせあとで紙の原本のチェックもするという謎仕様だ。

羽田に到着する便名と帰国後の誓約書を入力させられる。いいえなんか選択できないのに、なぜか解答欄だけはある。一応自由意志だよと強調したいのか。北朝鮮の投票かよと。

夕方の便で出発なので、それまでブリュッセル中心部を観光
グランプラスもこの状況ではしばらく見納めだろう

チェックインカウンターで提出する資料が多くあるので、早めに空港に向かう。
中央駅ではGenk~BlankenbergeのICに使われている、編成中央に機関車が入った組成を見ることができた。
これもいつまで見ることができるか分からない。新型のM7が増えれば、機関車が編成の真ん中に入ることはなくなるだろう。

中央駅から空港まで乗った列車はAM96
この列車は面白いことに空港行きとなっているが、折り返しすることなく、大きいデルタ線を通ってブリュッセルに戻っていく。
まるで路面電車のような運行形態だ。
最後までありがとう!

帰国の始まり

搭乗手続き

自動チェックイン機にはANAの文字が現在、ブリュッセル行きのANAは年末年始と3月の移動需要が高まる特定日のみの運行で、定期便は復活していない。

チェックインでは陰性証明書、my sos、QRコードの確認をされ、比較的スムーズにできた。また、帰りは行きと同様にターキッシュを利用するが、出発時刻3時間前でも普通に開いていた。恐らく、コロナで書類確認に時間を要するから、一日4便あるため開けっ放しにしているのだろう。
書類を多く要する国に行く自分としては助かる。

空港には最近ブリュッセル空港に乗り入れを始めたAIR BELGIUMの広告があった。まさかこの航空会社の旅客運用の全盛期がコロナ禍になるとは思わなかったが….

空港はクリスマスムードだが、やはり人はいつもより少ない。
便数自体も減っているのだろう。

ラウンジへgo

ラウンジに向かったが、ブリュッセル航空のラウンジは閉まっていた。しかし、これは困った。出発時刻までやることがない。スイスのジュネーブ空港でもラウンジはちゃんとやっていたのになあ…

と諦めて、ゲート前のベンチに行くかあと思った横にもラウンジがある。DIAMOND LOUNGEは普段、BAやアリタリアのようなスターアライアンス系以外の航空会社で使えたはずだが、ダメ元で聞いてみた所、なんかいいらしいので、ここで出発を待つことにした。
ラッキー

ラウンジは空いていた。半個室みたいな席もあり、そこに座って出発を待つ。

ここのラウンジはブリュッセル航空のラウンジよりもすごくシャワーがある。今日は深夜便だが、イスタンブールで乗り継ぎ時間が短いのでブリュッセルで浴びれるのはありがたい。

ちなみに、このラウンジは2024年現在、インターネットを見る限りはスタアラ系の搭乗券を持っていても使えるようになっているらしい。ブリュッセル航空のラウンジは閉まっちゃったのかな。

ブリュッセル→イスタンブール

窓側に着席したが、もう夜なので外は真っ暗。
機材はA321NEOと新しい機材だ。
ゲートでは特になんの確認もなく、飛行機に搭乗。
なんとこの飛行機は満席だった。

ディスプレーは東京線に使われるような長距離機材と同様のものを採用しているため、日本語の設定もある。ちょっと怪しいところもあるが、一時的なものなのでここは目を瞑ろう。
ターキッシュはコロナ前は自国以外に最も多くの路線を飛ばしている航空会社だ。
ソマリアやアフガニスタンにも飛ばしている。やはりイスラム教を国教とする会社は、自国の宗教が異質なものであるために、他国にも入りやすいのと、中東付近は立地がよく、全世界へ無給油で飛ばせるのが大きいのだろう。

定番の機内食
ターキッシュの機内食は旅行界隈にも評判がいい。ビジネスクラスにはシェフが乗っている便もあるらしい。
私はそんなお金はないので、エコノミーだが、エコノミーでこれなら満足だ。特に最近のFSCは機内食のサービスは縮小気味なので、たった3時間のフライトでもしっかり機内食が出るのは逆に驚きだ。

イスタンブールに到着。
まさかの沖止め。

イスタンブール空港

最近アタチュルク空港から、新空港に移って来たらしい。私もアタチュルクを何回か利用したが、こっちの方が天井も高く、通路も広いので広々としている。しかし、この空港もコロナで一部エリアしか解放されていなく、本領発揮とは行ってないようだ。しかし、こんだけ広いのにこれ以上広げたら、歩くの疲れないか心配になる。

空港のコンコースはコロナ禍とは思えないような人の賑わいを見せている。基本はみんな乗り継ぎで、出発案内の前に人が集まっていた。
行きの羽田空港とは大違いだ。

電光掲示板の背景が青色のせいで見にくいが、なんと日本語の案内もある。コロナ前はターキッシュが成田、羽田、関空に飛ばしていたため、日本人の乗り継ぎ客も増えると見込んでいるのだろう。たしかに、スタアラ系のエアラインで、中東に本拠地があるのはターキッシュしかなく、ライバルのワンワールドに比べれば押され気味だ。そのため、普段ANAに乗っている人が中東に用事や、ヨーロッパ方面へ安く行く場合はイスタンブールでの乗り継ぎが多くなると見込んでいるのだろう。実際に多くなるのかは不明だが、フランクフルトやロンドンに乗り継ぐより、イスタンブール乗り継ぎの方が東欧方面はずっと近くなる。
それもあって、ANAもイスタンブール線の開設を検討しているのだろう。

余談だが、ANAは以前、名古屋~イスタンブール線の運航を計画していた。2013年ごろの話だが、それから9年、全くそれ以降の話は聞かないし、そもそも需要あるのかも怪しい。発端となったのは安倍総理とエルドアン大統領が日本とトルコの直行便を増やしましょうという話が出たからだと思う。

歩いてラウンジへ向かう。
コンコース脇のお店も深夜にも関わらず、全て開いていて活気がある。全てじっくり見ようと思ったら、半日以上かかるだろう。

ターキッシュのラウンジへ到着。
受け付けは人がやるのではなく、自動改札になっていた。日本もチェックインカウンターの人員を削るのではなく、ラウンジの受付を減らしたほうがいいんじゃないかと思うが

ラウンジの入り口に続く階段にターキッシュの制服を着た人が立っていたいため、ボーディングパスのチェックかなと思ったが、たまたまそこに立っていたらしく、その人にたまたま聞いてしまった自分は、搭乗口を探していると勘違いされ、電光掲示板の方を指さされて、そっちにラウンジの入り口があると自分は勘違いをしてしまい、そっちに行っていくらラウンジを探しても見つからず、戻ってきてラウンジへ行きたいのだがと言うと、向こうもおおって感じで笑って階段を指さしてくれた。やっぱり、言葉を交わす必要がある。

ラウンジの中にはアタチュルク空港時代からある、車の模型がレースするレーンがある。トルコでもF1が開催されているらしく、トルコ人はけっこう車熱が高いのか。

食事はスーパーのコロナの影響で、提供されているモノに制限があったが、それでも、スーパーにあるようなサンドイッチから、ライブキッチンでスープやパニーニを出してくれた。
温かいものをちゃんと出してくれるだけありがい。

ラウンジはおしゃれなカフェみたいな雰囲気だ。本来は真ん中の机にも飲食物が置かれるのだろう。

イスタンブール→東京

出発1時間前にはボーディングが始まるとチケットに書いてあるので、それよりも余裕を持って搭乗口へ。
コロナ禍は何が起こるか分からないので、余裕を持った行動が大切だ。

搭乗口には既に日本人がかなりの数、集まっており、これでヨーロッパとも本当のお別れだと感じる。さすがに行きにいた、謎のコロナ禍でもおかまいなく開催さる、老人の団体旅行客はいなかったが
老人のために鎖国しているのに、その老人が旅行したらいかんだろと個人的には思うのだが

それはともかく、東京行きの搭乗ゲートの前ではターキッシュのスタッフが陰性証明書確認を入念に行っていた。一般的に強制送還になった場合は、乗ってきた航空会社の確認漏れということで、その航空会社の負担で出発地に送り返さないといけない。そのため、ここでチェックして、陰性証明書に漏れがある場合は乗れないという結末が待っているのだろう。
実際にコロナ禍で、日本に入国するのに強制送還をされている日本人がいる以上は神経を尖らせてみる必要があるだろう。
(やっぱり、この記事を書いてて、日本人が日本に入国拒否をくらうっておかしくないかと思うんだが…)
自分は漏れがないことをターキッシュのおばちゃんにしっかりチェックされ、搭乗券にスタンプを押してもらった。これが確認したことの証明なのだろう。
それで、そのおばちゃんが陰性証明書を返してくれるのかと思いきや急にどこかに行ってしまう。見ると他の日本人がどうやら、怪しい陰性証明書を持っており、私のを見せて「これがいる」と説明しているようだ。しかし、私もそれがないと東京に着いてから困るので追いかけていく。
無事返してもらうことができたが、紙の印刷を必須としている日本は、メールのPDF画面だけ見せても入国させてくれないので、紙がなくなるとアウトとなる。
ちょっと冷や冷やした。

搭乗便は間違いなくターキッシュだが、エジプト航空ともコードシェアをしているらしい。

搭乗が始まり、スターアライアンスゴールドが呼ばれたが、自分しかいなく、真っ先に搭乗。しかし、飛行機に入るとCAに呼び止められ、まだチーフパーサーが乗り込みの許可をしていないとのこと。
再びボーディングブリッジで待たされ、搭乗。別にそんなに待たなかったが、搭乗開始=チーフパーサーが乗り込みを許可というわけじゃないんだな。

機材はボーイング787-9
コロナ後は777に変わったらしい。
ターキッシュはA350と787の両方を持っており、最新機材の投入に積極的だ。

離陸後の機内食はパスタとワインをチョイス。出発が現地時間の深夜2:00過ぎで、ヨーロッパ時間でも深夜1:00。ラウンジでお腹は満たしたので肉はパスした。食事を食べずに寝ている人もいた。よく寝た方が時差ぼけにはいい。わいはどうせ隔離だからいいだろうと、遠ざかるヨーロッパに思いを馳せながら夜更かしした。

ボーとフライトマップや映画を見ながら時間が過ぎていき、着陸前の機内食の時間になった。
プラスチック感丸出しのお皿より、こっちのほうがいい。
それと、これは食べたことがある人しか分からないが、ターキッシュの卵焼きは美味しい。
それと、卵の下にポテトもあるのだが、これもまた美味しい。機内食は本当にいい航空会社だ。

我が家は東京ではなく、愛知にある。そのため、ここでパラシュートで飛び降りたいと思う。東京で隔離より、家で隔離の方が断然いい。
ターキッシュの東京便は成田時代にも1回乗ったが、その時は成田発がシベリアルート、イスタンブール発がシルクルートだったが、今回は往復ともシルクルート経由だった。
最近では、ロシア上空が飛べない関係で多くの便がシルクルートを飛んでいる。
ところで、ロシア上空が使えない分、トルコは空域通過料をたくさんもらえて、お上はウハウハだろうが、管制官は大変だろう。多くの欧亜航路がイスタンブール周辺を飛んで行くのだから…

到着と本当の地獄の始まり

羽田に到着

無事、羽田に19:00ごろ到着
まあPCR検査して21:00頃には空港を出られるだろうと思った。いつもより時間はかかるがこればっかりはしょうがない。

しかし、飛行機はスポットインしてボーディングブリッジに接続したが、なかなか降ろしてもらえない。
どうやら、厚生労働省の職員が何かしらの確認を行っているらしい。
ようやく、ドアが開いて周りの乗客も降機の準備をする。自分もその波に遅れぬように、準備を忙しなく行う。
準備万端!あとは案内されるのを待つだけ…
と思ったら、急にCAが席に着くよう指示をする。なぜか分からなったが、大人しく座ることに
そしたら、マニラへの乗り継ぎ客のみ先に降りろとのこと
え?と思った。
乗り継ぎ客は検査なしでこの飛行機に乗れるんだったら、PCR検査とか書類の確認とかなんのためにあるの?と
飛行機に乗るときは特別な感染ガードでもできると厚生労働省の職員は思っているのだろうか…

国家公務員の考えることはよく分からないが、まあそういうルールなのだから従うしかない。

そして、乗り継ぎ客が降りて行った後に我々が降機。

ありがとう787

到着した客にはこのような印が付けられる。なんか印で区分されるとは、新劇の巨人の差別を受けている人種のような感じだ。(それがダメとは言っているのではなく、そう見えるという話)

第一関門 書類審査

まず入国前に、羽田の本館からサテライトまで歩かされ、そこで書類のチェックが行われる。列に並び、まずは滞在国の確認。
フランスにいたことが確認され、6日のホテル隔離がやはり確定した。長いなあと
そこを抜けると、次は質問状の確認のために再び列に並ぶ。
質問状で14日隔離することや空港から家までの移動手段を聞かれた。
そのあと、また列に並んでいよいよ陰性証明書の確認があった。
ここで、「はい、お前の書類ダメだから出発地に帰れ」と多くの人が言われたのだろう。
私は無事通過できた。ここで、紙の証明書は回収となる。この回収作業のために日本は紙に印刷してこいと言っていたのだ。この回収された紙はどこに行くんだろう。

第2関門 抗原検査

それで、書類審査が終わったらようやく抗原検査になる。抗原検査は発熱症状が出ていないと、陽性にはならないが、まあここで検査があるのはしょうがない。嘘を申告して入国する人もいるのだろう。

地獄の始まり

続いて、My sosの設定を行うためにまた列に並ぶ。ここで、住所を設定してしばらく待つ。
最初はなぜ待つのかよく分からなかった。
しかし、みんな待っているので待つ。遠くでアナウンスの声が聞こえるが、我々には関係ないらしい。

しばらく椅子に座っていると、係員が来て「ここだとアナウンスが聞こえないから、下の階に下がって、もっと進んで欲しい。」とのこと。
ようやく先に進めると思ったら、今度は「どうぞ、そこら辺の椅子に座ってお待ちください。」と同じ案内になり、また待ちぼうけをくらう。

とっくの昔に空港を出られると思っていた21:00を過ぎ、ひたすら空港のベンチで待っていた。アナウンスとは、抗原検査の時にもらった番号札を読み上げている声だった。これで、自分の番号が呼ばれれば陰性で空港を出られるということなのだろう。
飛行機の到着時刻は19:00頃なため、コロナ禍ではあるがその時間は2,3便集中していた。そのため、検査をしている人が多く、なかなか自分の番号が呼ばれない。
それに、ちょっと空腹を感じたが、カウンターに用意してあったビスケットやおにぎりが入った段ボールは既に空になっていた。おそらく、今日一日、ここを通過した人が待ちきれずに全て食べたのだろう。無理もない。

読み上げられる番号札は、自分の持っている札よりずっと若い番号の人ばかり。これは長期戦になるなあと予感した。

まつこと2時間半
ようやく自分の番号が呼ばれた。これほどの行列に並ぶことはこれで最後にして欲しい。他国の検査場でもここまで並ぶことはなかった。

ここで、宿泊施設の説明を受ける。内容は簡単で、禁煙ですとかそのような内容と、今後の行動についてだ。
ここで、ちょっと個人的な問題があった。それはどこに6日も収容されるかということだ。普通であればホテルなのだが、TwitterのFFさん情報によると、この年末年始の時期は帰国者が多く、国が用意したホテルでは足りなかった。また、オミクロン株の出現で厚生労働省は、ホテル隔離を強化していた。そこで、ホテルに収まりきらなかった人はどうするのか。自由の身になれるわけはなく、埼玉県の学校施設の寮に押し込まれるらしい。
既に日付が変わりそうな時間だが、今から埼玉まで連れて行かれるのは勘弁して欲しい。それとこの学校寮、アメニティの類はなく石鹸も石石鹸しかないらしい。それで6日も過ごすのはちとキツイものがある。

まあともあれ、待ちぼうけからは解放された。

入国

いよいよ入国が許可されるようで、このような紙が渡された。
TwitterのFFさんがよくツイートしていた紙だ。

日付を跨いだころ、ようやくバゲージクレームに辿り着けた。
ここまで驚異の5時間越え。
東京から博多まで新幹線で行けてしまう。

職員さん遅くまでお疲れ様です…

空港脱出

ここからは普通の到着口を通って、隔離ホテルまでバスで向かう。ここで再開を喜ぶ人がいた。隔離期間中なのにいいのだろうか。

高速に乗ってバスに揺られること30分インターを降りた。埼玉ではないようで安心した。
そして、バスはアパホテルに着いた。ここはVODも見られるし、インターネットも速いので独り身にしては当たりだ。
ちなみに、家族ずれだと全員同じ部屋になるように配慮されるため、羽田近くの高級ホテルになる。
ちなみに、学生寮は独り身のみ振り分けられるらしい。

隔離場に到着

チェックインの時に、今日の晩御飯は支給されるのか聞いたら、初日はないことが分かった。どうしても欲しければデリバリーを頼めばいいだろう。
部屋番号を案内され、一人でエレベーターに乗り、降りた先でまた案内する人がいるという分業制だ。
しかし、もう遅いし早く寝ようと思ったら、そうもいかなかった。
チェックイン時に部屋に入ったか電話するんで、出てくださいと言われた。とりあえずシャワーを浴びて待つ。しかし、待てど暮らせど電話は来ない。痺れを切らしてこっちから電話すると、「もう遅いんで明日の朝7時にかけます」とのこと。いい加減にしろよと思ったが、とりあえず寝たかったので電話を切った。もう朝の3時過ぎだ。3時間寝て、電話に出てまた寝ることにする。

翌日の朝飯
酷評されていたが、なかなかいいと思う。

電話もあり、やることは終了…
ではなく、My sosでも、現在地の報告、場合によっては電話がかかってくるので、携帯から離れることができる。
これを違反すると、厚生労働省のページに氏名が公表され、無事有名となることができる。
違法労働は放置、労働者保護の法整備はサボるくせに、こういうことは熱心にやる。

夜のお弁当はおかずの多いお弁当が用意される。これに飽きればウーバーや出前館でデリバリーをすればよい。また、当然部屋の清掃はないので、部屋のタオルが紙タオル一枚では困ったので、イオンのネットスーパーでバスタオルと抹茶ラテを注文。抹茶ラテはすごくおいしかったし、バスタオルで体が拭きやすくなって、QOLが上がったと思う。
一部芸能人が「隔離ホテルの飯がまずい」とか言っていたが、自分で何となることをやらずに不満を言っちゃうものなんだかなあという感じ。
ただし、デリバリーはフロントを通して行われるため、時間がかかる。そのため、温かいものは冷めて到着するのでそこは注意が必要だ。

部屋は満足なのだが、清掃がないと埃が部屋に溜まっていく。どうやら布団が埃を出しやすい素材のようで、3日目辺りで目が痒くなり、くしゃみも止まらなくなった。
このまま6日目までは耐えられないなあと思い、フロントに相談すると部屋を変えてくれるとのこと。
指示や完了報告は電話で全て完結した。

いよいよ、ホテル出所の日。
ホテルの部屋はお向かいのビルの壁しか見れず、窓を開ければギリギリ山手線や京浜東北線が走っている様子が見れる感じだった。

ホテルに泊まっていた間は3日目と6日目にPCR検査が実施される。この検査官以外に人に会うことが6日間本当になかった。
6日目の検査で無事陰性が確認され次第、連絡が来て羽田行きのバスに乗る時間が告げられる。

この日も天気が悪い。

羽田から家までは自家用車で帰った。まあ、車で帰るには遠いが公共交通機関は使えないので、どうしようもない。なんのために6日間で抗原検査とPCR検査で合計3回、ブリュッセルで行ったPCR検査を合わせれば4回も検査したのだろう。

とりあえず、無事に家に到着。
残り8日は家で自己隔離を行うことになる。
My sosは相変わらず、現在地報告と電話をかけてくる。ホテル隔離よりも信用できないと思われているのか、ホテル隔離の時より電話や現在地報告がうるさい。

ブリュッセルで12月下旬~3月上旬の間でしか買えない、マロングラッセを美味しくいただく。
これ一個3€したが、これ日本で買ったらいくらになるのだろう。

マロングラッセを食べながら、ベルギーに思いを馳せていると、たまたま付いていたテレビから速報が入ってきた。
おやおや?これは…
と思ったら、自分にも関係あることではないか。隔離が急に明日までに短縮されたのだ。これはラッキー。明日まで隔離すれば自由の身となる。
オミクロン株は従来の株に比べて、潜伏期間が短いと判断されたための措置だ。
この後、すぐに7日隔離に規則が変更され、さらに短縮されることになった。

My sosからも次の日に連絡が
やはり、隔離は今日で終わりらしい。
最高だ。

これで、コロナにも罹らず隔離を終了することができた。

以下愚痴

以上が、コロナ禍の欧州旅行でした。当時の私は学生でせっかく旅行に行ける自由な時期が、ただ時間が過ぎて行くだけで歯がゆく、規制が解除されればすぐにでも航空券を買って出国するとコロナが始まって、1年ぐらいは思っていた。しかし、ワクチンは高齢者優先、しかも、ワクチン輸入も日本だけモタモタして、厚生労働省はなかなか始めてくれなかった。学生のワクチンも集団接種という形で別枠を政府は用意してくれたが、それよりもオリンピック選手のワクチン接種を優先し、担当大臣は「全員分あるから落ち着け」と的外れな回答をした。全員分ワクチンを買ったのは知っているが、大半の人は「早く順番になってくれ」と思っていただろうし、少なくとも私はそう思っていた。なんとか私も8月下旬に2回目の接種を終えたが、入国規制は相変わらず変更がなく、オリンピックの選手以外は厳しいものが継続された。
まあ日本人全員打ち終わるまで待つかあと思い、9月に予約していたターキッシュを12月に変更したのだ。
しかしその間、国内旅行で時間を潰したが、そこでは重症化するからという理由でワクチンが優先され、新しい株から守るためという理由で入国制限の理由になっている高齢者が普通に観光地で旅行をして、地元の駅前居酒屋に団体で入っていく様子を見て、「ああ、私はこんなののために自粛をしているんだあ。好きなことができる時間を捨てているんだあ」と感じた。
ここで必ず「若い人もコロナで重症化します。」という人が現れるが、話しているのはそういうことではない。なんで、我々が対策できる手段(ワクチン)を後回しにされ、自由な時間も奪われたのに、優先された高齢者は好き勝手に旅行や飲み屋に行ってんだよと。そもそも、この旅行に行く時も高齢者の団体と一緒の便で出国した。
しかも、この時オリンピックの影響でデルタ株やアルファ株が流行、そのため患者も急増していた。そこで、国はホテル療養や入院は高齢者に限定したのだ。それで、よく堂々と「若い人も重症化します。」とか言えるなと思った。結局は高齢者を守りたいだけじゃねえかと
それで、12月まで待ったが、上旬にオミクロン株が出現、これにより政府は入国制限を再び厳しくし始めた。
しかし、国会では非課税世帯への給付をクーポンにするか現金にするかを熱心に議論していた。ちなみに、日本の非課税世帯の8割が65歳以上である。もうさすがに、この国アホかと思い、痺れを切らして出国した。

羽田の国際線ラウンジでも高齢女性がいたが、本当にこの人、ここまでワクチンとか医療資源とか食い潰した上で(もちろん、この人はコロナに罹ったことがないかもしれないが)どんな顔して出国するのか不思議でしょうがなかった。
時間を返せと言えるなら言いたい。

それと、こんな帰って来れないかもしれない旅行を許可してくれた親と、非常識な時期に旅行しながらも、Twitterを見てくれたFFさんには感謝したい。

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