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癒しではなく、生きるための旅

今年はジャカルタを拠点としながら、たくさん旅をした。旅をしているか、ジャカルタの自宅で調子が悪くなって寝込んでいるか、もうこの二択しかなかったように思う。計算してみると最低でも13週間は自宅を離れていた。3ヶ月と考えると長い期間だよな。

そして今私はウブドにいる。

2週間前からひとりでバリ島にいる。

ウブドに一人でくるのは6年ぶりくらいだ。去年は家族でここに来たけど、ひとりで過ごすウブドは家族のそれと全く違う。また6年前とは違い、ホテルではなく民宿を利用しているので、この土地と自分の境界線が少し溶け合う感覚を味わっている。

自然の中で目覚める朝は意外に騒がしい。小鳥たちが一斉に朝ごはんを求めて鳴き飛び回る。威勢の良さを見せつけるかのように鶏は、コケコッコーとあちこちで歌い始める。朝陽は都会で見るときよりも、力強く鋭い。2歳の子どもといるとなかなか味わえない濃密な朝。

そう家族をジャカルタにおいて、私は一人でここにきた。

これを言ってしまうと、負けな気がして言い出せなかった。しかし事実、ジャカルタにいるとどうしても気持ちが晴れず、体も動かなくなる。グングンと成長する大きな街。ジャカルタの特徴は車社会で、パブリックな交通手段はまだ発展途上だ。東京と同じ程度の人口密度の都市にいる人たちがみな車で移動をする。酷い交通渋滞が起きるのは当たり前、世界最悪と言われている。ジャカルタでは歩く習慣がないので、路面店も少ない。大きなモールで買い物をするのが一般的だ。歩道も少なく散歩を楽しめる場所が家の近所にはない。

ジャカルタの街並み

また空気汚染は世界最悪レベルで、空が黄色い。水も空気もきれいな日本の田舎で育った私にとって、これは本当に辛い。個人の努力で解決できる問題ではないからだ。

散歩をしてその土地の人の営みを知り、彼らの思いがこもったお店を訪ね歩くのが大好きだったのだが、それがほぼできなくなった。日中は渋滞をおそれ、アパートの中で過ごすことが多くなった。気持ちも内向きになり、私の中にあった外向的なパワーがジリジリとなくなっていく。

どんなに健康的な生活を送ろうとしても寝込むことが多くなった。今年は通算すると2ヶ月くらいは寝込んでいたと思う。周りの同じ境遇にいる日本人の方たちは順応し、辛いなりにも楽しみを見つけて生活しているのに、私はなぜそれができないのか。インドネシア人たちを見ても、過酷な環境に文句を言いながらもジャカルタの上昇気流にのり、うまく折り合いをつけているように見える。でも、私はなぜそれができないのか。なぜなぜ。

うずくまり布団の中で何度も考えたけど、答えが見つかるどころか、さらに憂うつになって。心身ともにどん底に落ちた。その時にバリに行こうと決めたのだ。

昔から中医学や漢方に興味がある。言葉で言い表せない心身の不調は、自然の生薬やハーブの力と、古代の人の知恵で乗り切れると信じている。寝込んだ布団の中で、私がジャカルタに順応できない、この生活を受け入れられないのは、心身ともに余分な毒素的なモヤモヤした良くないものを溜め込んでいるからではないのか? と突然思ったのだ。そこからアーユルヴェーダだ! となぜか思いついた。そしてそのアイディアが舞い降りた5日後には、飛行機に乗ってバリのウブドに来たのだ。

インド発祥の最古の医療アーユルヴェーダのトリートメントを2週間受けた。「いやし」なんてものではなかった。古代インド人は本当にすごい。厳しくてとても優しくて賢い。そして生きるとはインスタントなことではないと心から痛感した2週間だった。様々な施術を受けて、何週間も寝込むしかできなかった私は不安はあるけれど、まだ私はやれると確信できる状態にまでなれた。

明日からはそのアーユルヴェーダを受けた記録を残していきたい。


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