幸せなことに、罪悪感を感じるんでない
テレビをつけても、スマホを見ても、うーんと心が重くなるニュースで溢れている。人と人が血を流し合って闘う姿を見ると、きゅーっと心が張り裂けそうになる。
自分が今いる場所とは違う遠いところ。そこで苦しんでいる人の気持ちを想像しかけて、あわててやめる。思いを馳せるだけでも、不謹慎に感じられたからだ。
私は今朝もいつも通り7時くらいに起き、Youtubeを見ながら体をストレッチしたあと、サラダとオレンジジュースを食べて、仕事を片付けた。それからベッドに転がりまたボーッと憂鬱に過ごす。
ボーッと動かないまま、しばらくたってこのままじゃいかん!と思い久しぶりに自分の気持をかくことにする。
遠いところで、でも確実に起こっている戦争について。それに思いを馳せるだけでも不謹慎ではないかと自粛してしまうのはなんでなんだろう? 想像するだけでもあまりに痛く、でもきっとその私が心に感じている痛みは、現地の方々が実際に受けている痛みとは種類も重量も全く違う。だからこそ、安易な気持ちで想像するなんて、良くないよなと思ってしまう。私は今「平和な日常」の中にいるのだから。
誰かが困難に直面しているときに、自分が幸せであることが申し訳なく感じてしまう。罪悪感と言ってもいい。でも、この感情の癖を突き詰めると、みんな不幸でいなければいけなくなってしまう。そんなのは嫌だよね。
隣の国のおじさんは、人類ができる最悪の暴力を行使している。それならばここにいる私も対抗したい。自分の幸せを守る、そして周りの人に少しでも優しく接し笑顔を振りまきたい。人間は繋がれるし、助け合えるとその信念のもとに生きたい。
今日見知らぬ人に親切にしてもらったな〜と誰か一人でも寝る前に思い出してもらえるように。小さな幸せをばらまいて、大きな暴力に抵抗したい。
そんな幸振りまき隊のわたしが、幸せなことに罪悪感を感じたらあかんのよ。生きるのを楽しんで、幸せを感じて、その余裕が自分にあるときだけ、人を幸せにできるから。
だから、いろんなニュースを見て不安になるわたしと似たあなたも、まずは今日はご自愛を。幸せをチャージしていこう。溢れた分が、他人に流れていくと信じて。
生きづらさって案外、幸せに罪悪感を感じているからなのかも?
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