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分水嶺 - 小海線と自由自治元年

春は苦手だ。 不安定なお天気とアレルギー性皮膚炎で身体や精神が狂う、でも回復の兆しもみえてきた。 COVID-19にはもし感染して(いて)も、基礎体力で乗り切れる気がしている。 昨年の11月から1月いっぱいは忙しかったけれど、2月と3月は殆ど外出しなかった。  楽しみにしていた2月中旬の旅行をキャンセルしたのは、新型コロナとは関係ない夫の疾病が原因だ。 とてもがっかり。
体調を崩したふたりがお互いの回復を期待して、仕切り直しの旅行の計画を立てるために青春18 切符を買った。

最初は丹後半島と城崎温泉が魅力的に思えたけど、今の状況だと近場ね。  中央線の小諸駅から小海線に乗りかえて信州上田をめざす。 そこにはキャンセルしちゃった別府温泉の代わりに別所温泉がある(名前が似ているだけかもしれない)
 地図で見ると、山間の谷のような場所なのに、なぜ小海線(こうみせん)なんだろう、海ノ口、海尻、海瀬、馬流など、水々しい名まえが散らばって。

このあたり、もともとは明治中頃の数年間に激化した自由民権運動の最後にして最大の盛り上がり『秩父事件』 が潰えた場所という事で気になっていたのだ。  垂直に切り立った岩山と荒地はまさに激戦地のビジュアル、根岸君夫画伯渾身の絵画はカロディンやグレンコーの戦いを描いた歴史画を彷彿とさせる。

大昔、八ヶ岳の水蒸気爆発で山が崩落したり、千曲川の洪水が堰き止められて湖や沼が出来たんだって。 去年もおおっぴらに氾濫した河川の上流になるんだね。

「自由民権運動 」に興味を持ったのは2012年の冬に故人を訪ねた喜多方でのこと。 あれから8年たちました。
北関東から福島にかけては自由民権運動の激化事件の宝庫だ。 もっとも最初の激化事件は秋田で発生している。
激化事件が頻発していたころの明治政府は、天皇制もまだ確立してない、憲法も行政も軍隊も未整備、社会や経済はカオス状態。  庶民は旧幕藩時代の考え方と自由経済(秩父地方の養蚕産業はフランスから支援を受けていた)との矛盾や軋轢にぐるぐると撹拌されて、その頃の世の中は墨流しかマーブリングアートの模様みたいな印象だ。「秩父事件」についてはまだ知らないことが多すぎるので触れないでおこう。
確かなのは「自由自治元年」を掲げた「秩父困民党」の民衆蜂起は、たった十日で終わったということ。
土地の住民からのリスペクトもあり・けっこう人格者的なリーダー・多数の兵力を持っていた彼らが、高崎鎮台との戦に敗北した原因は「電信」という当時のハイテク情報技術が関係しているらしい。「鎮台」とは、時期的に近衛兵と徴兵制の間にある兵力で、のちに!「師団」になり、日本の近代陸軍が始まる。
八ヶ岳を隔てた向こうは諏訪 である、大地に魔力や神力が宿る土地柄だ。 パワースポット、しかもその地元で中央権力から派遣された軍隊に負けちゃうこの国の民力って…ダメかも。 滅びの美学が強すぎてあんまり勝つ気ないとしか思えない。 激化運動のあとにはテロルと陰謀 の時代がやってくるのに。

ついさっき知ったけど、小海町 は 新海誠 が生まれた所なんですって。
なぜだか頷いていた。

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