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映画『アメリカン・ユートピア』

観終わって客電ついて思わず目立たないように小さく拍手しました。じっと座って観てるのちょっとしんどかった。客席の一部スタンディングでもよかったかなとおもうくらいのグルーヴ感ある映画でした。本作品は、ドキュメンタリーではない、新たなスタイルのあまり観たことのない音楽ライヴ映画でした。デヴィッド・バーンスパイク・リーという、現在も社会の多様性を志向するふたりの表現者の幸福なコラボレーション作品。バーンのファンキーなパーフォマンスと年齢を感じさせないのびやかな歌声、スパイク・リーのカメラワークと歯切れのいい編集に、体が揺さぶられます。

案外こじんまりとしたステージは、全員グレーのスーツ、グレーのセットと無彩色の世界。バーントーキングヘッズ時代の名曲や本作のためにバーンが書き下ろした曲に、リズムを強調したアレンジが施され、次々に演奏されます。ステージ上にダンサー2人とバーンを含め計12人のメンバー。全員が裸足で、隊列を整列し、様々なフォーメーションを組み、ときにコミカルにパントマイムのような振り付けで踊り、開放感溢れる音楽を奏でながら、マーチングバンドのように自在にパレードします。パーカッショニストは身体にハーネスを装着して楽器を固定し、ギタリスト、キーボーディストも(ワイヤレス機器の進化によって)ワイヤーから解き放たれ、全員ワイヤレスでステージ上を自由に動き回ります。バンドのアンサンブルはとても流麗。メンバー全員が同じビートを刻み、高揚感と一体感は自然と高まります。

劇中、アフロビートにのせて、人種差別に抗議するジャネール・モネイのプロテストソング"Hell You Talmbout"の熱気溢れるカバーを、ショーのクライマックスでバーンが披露します。その曲中で、白人警官による不当な暴力の犠牲となったアフリカ系アメリカ人ら被害者の名前が次々とコールされるシーンに、その遺族たちの映像が重なる演出には胸が熱くなりました。

ショーの曲の合間のMCで、バーンは、社会問題について、辛辣な口調ではなくユーモアに満ちた語り口で率直に語ります。移民問題にも触れてて、このバンドは多国籍、僕もスコットランドから移住してきたと多様性の重要さを説きます。選挙投票の大切さもです。家族友達仲間と繋がり、社会に参加し文化や政治に関わることの大事さも、発言します。
ショーの冒頭では、バーンは、脳の模型を手にして、人間の脳の神経細胞間の繋がりは赤ん坊のときに一番多くて成長するにつれて他人とコネクトする回路は減少するという、脳の能力を論じてて、それでも人と繋がり合うことでその欠損を補えるかもしれないと。その論点により、いかに自分が世界を違う視点から見られるようになったか、と告白します。
"ユートピア"とは程遠い現今の悲惨な世界の状況に向き合いながら、人と人が繋がることでもたらされる希望の可能性を諦めないで、この困難な時代を乗り切るにはどんな行動を起こせばいいのか、というバーンの切実な思いが伝わってきます。

本作では、字幕の意味深でシニカルな歌詞が要です。シンプルな歌詞に衝撃も受けますが、『アメリカン・ユートピア』で奏でられる音楽は、希望を感じさせるものでした。

ラストは、バーンがバンドマンを従えて客席中を演奏しながら練り歩きます。その後ステージを去るバンドマンのスーツの背中が汗でぐっしょり滲んでる姿は、その時のライブの凄まじさを表してました。
エンディングロールの、白いダウンジャケットを着込んだバーンが、自転車に飛び乗って清々しい笑顔でニューヨークの街に走りさっていく後ろ姿のシーンがいい。

70才目前のバーンは今も、創造性を衰えさせることなく、豊潤に成熟を迎え、艶やかな声で歌い、ダンスという身体表現を駆使して踊り、生きたアートを生みだしていました。すごいことです。

私は1980年前後のトーキングヘッズが好きで、トーキングヘッズで存在感抜群だったフロントマンのバーンが好きでした。もう10年以上前、なんばHatch?でバーンの単独来日ライブを観に行ったことあります。そのときもロックライブでは珍しい数名のダンサーをひき連れての尖鋭的なショーアップされたステージングでした。いまも忘れられないほどの。

アメリカン・ユートピア』 "予告編"

アメリカン・ユートピア』 "I Zimbra"

Talking Heads トーキングヘッズ  "Psycho Killer"

Talking Heads トーキングヘッズ  "Road to Nowhere"


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