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マリー・ローランサン対ココ・シャネル

フランスの美術館見学をより楽しくするには: パリ、オランジュリー美術館編



パリのチュイルリー庭園内、入り口からコンコルド広場を見渡せるオランジュリー美術館は特にクロード・モネの大作
<睡蓮>の為に実に多くの見学者が訪れる。個人的にいつも思うのだが殆どが独特の姿勢で作品を眺めている。

それが何かはハッキリしないのだがある種のモネに対する尊敬の念のように見える。

モネのテクニックに対して?
作品から滲み出てくる人柄?

人によっては(私も含めて)目のあたりがうるうるしている場合もあるし、ただただ何も言わすにうっとりしながら作品の前で座り込む人も見かける。

この作品は実にそれだけの何かを持っているのだろうと思うと納得する。

もちろんその一時を自分なりの記憶に納めようと写真なり、ヴィデオ撮影なりに忙しい人もいるが、それもよくわかる。
ただしそれだけに終わってしまうのは残念だから肉眼で、せめて5分で良いから自分の記憶の中にガッチリと納めておけると良いと思う。

それにしてもこの二部屋続きの大傑作は何とも素晴らしい。

柳が囁やいているのが聞こえてくるから不思議なものだ。
水の音も気になる。
睡蓮は静かに語り出す。
光がすべてを映し出す。

これは最高の一時。
ここにいるだけで一日経ってもいい。


あなたは絶対この瞬間に満足するに違いない。

ここでその場を立ち去る人も見かけるけれど、実は階段を降りていくのもお勧めなんだなあ。

地下は特別企画展と、収集家ポール・ギョームのコレクション。
「ここはサラッと流してお買い物に行きましょう。」と企んでいたら大間違い。
およそ150点程の作品はどれも凄いものばかり。
ルノワール、セザンヌ、マティス、ピカソ…、と、そんな中で中程に独特のスタイルで見学者の注目を浴びるのがマリー・ローランサン。

マリー・ローランサン(1883-1956)
<マダム・ギョームの肖像>
1924ー1928年

正直言って好きか嫌いかはハッキリするだろうなあ。
先ずは先述の収集家、ポール・ギョーム夫人の肖像画。
この時代はパリの御婦人の間でローランサンに描いてもらうのが流行っていて、まあ要するにステータスとなっていたそうなので当然彼女も夫を通して依頼したのではないかと思わせる。

ローズピンクが綺麗。
それに合わせてグレーというところが実にお洒落である。
しかも2色それぞれの色に濃淡をつけている事で他の色はいらなくなる。

実際に彼女がどんな人であったかはしらないが、なんと言っても超シンプルな、例えば隣にこんな女性がいたらそれだけで漂う上品さ、しかも活発さに人目見ただけで憧れの念さえ持てるかもと思わせる。

もう一枚ローランサンの作品をチェックしてみよう。

マリー・ローランサン
<スペインのダンサー達>
およそ1920-1921年


ローランサンはこの時期にバレエの舞台装飾や衣装等に携わっていたのでその関係の作品も結構あった。

マリー・ローランサン
<レ・ビッシュ>
1923年

この作品はロシア・バレエのディレクターであるセルゲイ・ディアギレフから注文を受けた作品。

ところで、そんなに当時ノリノリであったローランサンにも苦い経験があったのをご存知?

しかもそれはあの超有名なココ・シャネルとの間に起こったのだから世の中何が起こるか予想できない。

シャネルといえば敢えて説明する必要もなく、当時人気のファッションデザイナーで、特に彼女がジャン・コクトーの
シナリオの<ル・トラン・ブルー>のコスチュームを手掛け、ローランサンのように様々な分野で活躍していたことは周知の事実であった。

シャネルがローランサンにポートレートをオーダーしたことも自然の成り行きであろう。

当時のパリではこの二人のような自立した女性がカッコイイと見られていた。
シャネルがローランサンを人間的には知らないがアーティストとしてそれなりに信頼していたのだろうなと見当がつく。
シャネルは楽しみにしていただろうなあ。

ところが出来上がった作品を巡って意外な展開が待っていたのだ。

シャネルがローランサンによるポートレートの受け取りを拒否した。

理由については色々調べてみたが一番考えられるのは

似てない。

からだそうな。
それでは実際にそのポートレートを見てみよう。

マリー・ローランサン
<マドモアゼル・シャネルの肖像>
1923年


それからシャネルの写真のポートレートを見てみよう。

 髪型とかは別として、私はシャネルと同意見である。とくにローランサンのポートレートのシャネルは視線が弱々しい感じがあり、実際のシャネルの自信に溢れた(ちょっととんがったというと言いすぎかもしれない?)様子が見当たらない。

いずれにしても実際にシャネルは出来上がったローランサンのポートレートの受け取りを拒否したそうで(もし気に入っていたらブライヴェート・コレクションになり、頻繁に見られなくなるだろうからそれはそれで良いのだけれど)、それを聞いたローランサンは当然面白くなかったそうだ。

本当に「なによこの田舎娘!」と言ったかどうかは知らないが、おそらくその後二人の間に友情なるものは成立しなかっただろうなと予想される。

ところで一つ気がついたのだが、シャネルの写真をみるとパールのネックレスが何より目立っている。そう、シャネルといえばパールよね、とお洒落好きなあなたも思うであろう。
で、ふと気がついたのだがマリー・ローランサンの作品の中にも数点ほど、ここぞとばかりにパールをアクセサリーとしてふんだんに描いているものがある。
これはひょっとしてシャネルの影響? かと思った。
何故ならばシャネルのポートレートも含めて、以前の作品には見当たらないのに、突然のようにパールをつけた女性の絵が出てくるのでこれはなにかあるぞと思って当然。

ただしこの件に関してはまだ追跡中。
ハッキリとした答えは出てないので秘密にしておいてね。


今回もう一つ「あれ?」と思ったのが丁度私が行ったときにオランジュリー美術館にローランサンのコーナーにシャネルのポートレートがなかったこと。
そしてそのことを尋ねた相手(スタッフ)がたまたま知らなかったので長引いてしまったのだが、結局リュクサンブール美術館に貸し出しされていた。
2022年7月10日までのエキジビション
<パイオニア>の為であったのだが、これはフランスで20世紀初旬の狂乱時代と言われたピリオドに活躍した女性アーティスト達を紹介した企画展、そうするとエコール・ド・パリ出身、ギョーム・アポリネールとの悲しい恋物語などで当時世間の注目を浴びたマリー・ローランサンもそこで取り上げられるのは当然である。

その注目に値する人なのだ。

よって受け取り拒否事件、特に相手があのシャネルということでかなりショックだっただろうことは言うまでもないけれど、彼女のキャリアの中ではほんの些細な出来事だったのだろうな。





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