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ありがとうそしてさようなら

Miss Tic, ストリートアーティストパリジェンヌ

2022年5月22日に突然パリに舞い込んだ悲しい知らせ。

それは女性ストリートアーティストMiss Ticの死去である。
Miss Ticはストリートアーティストの中でも特にステンシルのパイオニアのうちの一人として知られている。
私の友人の中でもショックを受けた人は少なくない。
なにせ66歳という若さである。

若すぎる。

私のストリートアートとの出会いは実はそんなに昔のことではなく、25年位前にリヨンに住んでいたときに<だまし絵>という形で主にヴュー・リヨンや郊外で壁に描かれた窓の人や階段、要するに錯覚を見て、その時はまだ美術史に今ほど興味を持つとは思ってもいなかった頃であったので新しい作品を探したり、またアーティストについて調べたりすることはあまりなかった。

単に<リヨン名物>の一環と見ていただけで芸術として認められるかどうかなんてレヴェルの疑問を持ったことはなかった。

パリに引越してから近年13区で見かける巨大なスペースに描かれたイメージを見かける様になってから注目するようになり、某ストリートアート同好会なるものに参加するようになってからアチラコチラ探すようになった。
その同好会では会員が自ら描くというより、面白いなと思った作品を投稿して他の会員が投票したりコメントしたりするのであった。
私の場合は写真を投稿すると結構皆その作者の名を教えてくれる場合が多かった。
作品は匿名の場合もあるし、何よりいつ描かれたのかという日付がわからないのでありがたかった。 しかも結構投票してくれる人も多かったので自分でも楽しんでやっていた。
中には慣れてくると、新しい作品を求めて旅をする人もいたのでそういうのもいいなと思った。

実際にアーティストが作業している途中偶然出会って、終わるのを待ってから声をかけることが出来、色々と質問したという羨ましい人もいた。

作品のサイズはピンからキリまで様々であるが、やはりどうしてもビッグサイズのものはより注目度が高いし圧倒されてしまう。

そうなってくるとハシゴに登って作業をすることが必要になってくるのでストリートアートというよりむしろアーバンアートと言ったほうが良いのかなぁ。
そのような理由からどうもこの世界は男性アーティストが断然多いような気がする。
先日ウクライナまで行って破壊された建物の壁に作品を描いてきたC215というアーティストも男性だし。

最近になって注目されつつもあるけれど、ストリートアート、或いはアーバンアートはまだ社会的に認められているかというと首をかしげてしまう。

だから彼らは社会についてまだまだ意見を述べ続けなくてはいけないと思う、自分の意見を言葉で表す必要性がある、そして他人ともコミュニケーションをとる努力が必要なのかと思う。


で、彼女の名前はMiss Tic、勿論本名ではない。本名はRadhia Novatという。
でもここでは本名でもなくミス・ティックとカタカナで書くのでもなく、Miss Ticと表記する。

その名の由来はディズニーのキャラクターといったところはお察しの通りであると思うが、何故彼女にその名前がついたかはわからなかった。
顔が似てるとも思わないし。

前述通り、Miss Ticはポショワール(ステンシル)の使い手として知られている。
本人曰く、作品はシンプルで、スプレーとボンブがあれば良いそうで、またイメージは雑誌やポスターから切り抜いたものだそうだ。
彼女の作品の主人公は全てと言ってよいほど女性である。そしてメッセージが必ず書かれている。
そのメッセージが実は彼女にとって大事らしい。

若い頃からフランス文学をこよなく愛していた。
1954年パリのモンマルトル生まれでチュニジア人とフランス人の両親を持つが、彼女が12歳のときに母親を事故で亡くし、そして18歳のときに父親が心臓発作でこの世を去ってしまう。

一時期サンフランシスコに住んだことがあり、そこでパリとは違った環境を体験する。多種多様なアート、つまりイメージだけてはなく音響やヴィデオが盛んに展開されていく中でおそらく本来の自分を失いつつあったのではないだろうか、行き詰まってしまったようだ。

彼女は再びパリに戻る。
そして複数のアーバンアートのパイオニア達と出会う。

 ブレック・ル・ラット
スピーディ・グラフィト
 メナジェ

ブレック・ル・ラット、スピーディ・グラフィト、メナジェ等である。
特にネズミを描いたことで知られているブレック・ル・ラットはステンシルグラフィティの父と呼ばれていたそうだ。

サンフランシスコで思うような刺激を受けられなかったMiss Ticはこのような人々と出会ったことで何かを得たのだろうか?
とあるインタビューで彼女は「行き詰まりが私に何とかしなくてはという気持ちを与えた。」

「そこで私は目の前の現実に身を投じたの。」
- - -それがきっかけであった。

私はすぐにある人物を思い出した。私のnoteでの記事のうちの一つ、<彼女がバイユーのタペストリーに夢中になった訳>の主人公ミアである。ミアがそれまでのすべてを捨ててバイユーのタペストリーに突然打ち込み始めた理由に少し似ている。
もしよかったらミアのことを書いた記事を是非読んでみてほしい。

人が何かを決意する瞬間とは意外にあっけなく、また常に<自分を変える>という願望とは違ったなにかが自分の中で大きく風船が膨らんだ瞬間なのかなと思った。

その頃は80年代でステンシルが流行し始めてきた。 
「よし、この道のパイオニアになってやる。」と決意したのだそうだ。

それが1985年ころ、この頃は先述のブレック・ル・ラットが流行っていたらしいが、アーバンアートそのものに関してはまださほど人々の強い感心は見られなかったそうだ。
その後は舞台装飾を手掛けたりもした。
そして徐々に頭角を表し始め、モンマルトルや13区で彼女の作品を見かけるようになった。

その後ギャラリーなどでのエクスポ、さらには2005年あたりからは注文も受けるようになり始めた。

その一方、ストリートアート全体はまだまだ国からも認められず、<落書き>、
<環境悪化>、更には<ヴァンダリズム>などという悪評を受け、彼女も罰金4500ユーロを請求されたそうだ。  

Miss Ticの知名度はフランスで、特にアートに興味がある一定の年齢のパリジェンヌの間ではそこそこ高いがまだ全体的には今ひとつかもしれない。
特に彼女のメッセージはまだ世間に伝わりきれていないような印象がある。

例えば<フェミニズム>に関して、Miss Tic にとっては避けて通ることは出来なくてもそれほどこだわる必要性が無いようにも見えたという。
ただし、政治社会という環境の中では語るべきテーマであることは認めている。

また、Misrs Tic は仲間達に比べて常に答えを探すというより、
「私は常に疑問を投げかけることしかしない。」
勿論自身に対しても
「私の仕事は美の追求なのか、それとも単に自己表現の手段なのか。」
 

その答えに至るには66歳はまだはやすぎたなあ。




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