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私なりの選択


この感動を初めて会ったばかりの人達と分かち合えたら、それが私がこの仕事を選んだ最大の理由。
それ以外の何でもない事にやっと気がついた。

その為には多くの事を知っていなくてはいけない。しかしながらいつでも、またいくつになっても新鮮でなくてはいけない。

私は19歳の時から働いている。
日本では音楽講師、会計、フレンチレストランでのサーヴィス、そしてフランスでは政府公認ガイド。
アルバイトも入れるとこの人何なの?と言うくらいの職歴である。しかも関連性が全くない。だからこの道一筋という人が羨ましくもあるが、自分には出来そうもないと言うのが正直なところであった。

飽きっぽいのか?いつになっても自分の本当にやりたいことがわからなかったのか?

人が仕事を選ぶ理由は様々である。
最終的には<生活の為>ではある。幸い私の場合は会計という仕事以外(要するに数字が苦手)は自分にとって好きな職業を選べたのだが、何故か現在のガイドというのは更に他と違って、ある種の運命のようなものを感じた。

というとカッコつけている様であるが、実際フランスに住み始めてからガイドと言う名の職業に憧れていたし、政府公認ガイドと言う響きが素敵に聞こえて仕方なかったのである。
でも難しくて合格率の低い試験に合格しないと資格はもらえないと聞いていたので最初から諦めていた。

ところが世の中わからないもので、確かにガイドの資格取得試験は容易くないが、ガイド不足の時には試験を受けなくても指定の学校に行くか、私の様に観光専門学校に入って卒業試験の時にオプションを取って(確か3科目)それぞれ良い点を取れば政府公認ガイドの資格が貰えた年もあった。

何でもすぐに諦めてはいけない。

特にフランスでは私はその一念で通ってきた。

やる気&ヤル気&モチベーションである。

完璧である必要はない。
私よりフランス知識があって、言葉が喋れて、かつ仕事の早い人はいくらでもいる。
大事なのは何なのかハッキリとはわからないがとにかく自分にあるなけなしのものを相手に認めてもらうことかと思う。

結局私はそろそろガイド不足という頃に資格を得て、あと2〜3年もすればフランスにガイドはいなくなるかもという時に、とある方に認めて頂いてこの仕事を始める事が出来たのである。

最初の頃は実は大学の論文の仕上げと重なって、両立するのは容易でなかった。
スケジュールの関係でまわってくる仕事は日帰りモンサンミッシェルのみであった。

その当時はパリのガイドの平均年齢も60歳過ぎであったので、私は全然若い方。
噂に聞いていたのでは、パリのガイド世界は厳しくて人間関係も複雑であると言う事だったが、実際そんな事はなく、むしろ先輩ガイドには色々と教えてもらったりして私はラッキーであった。

だから私より後にこの仕事を始めた人達よりず~っと先輩の事を慕っていると思う。様々な経験話しや、特に苦労した事など率直に話してもらえて、それが非常に役立っているので感謝している。

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私が新人だった時は研修をさせてもらうにも誰もいなくて、大先輩にお願いしてモンサンミッシェルやロワールの古城巡りなど連れて行ってもらった。これは本当に感謝の一言であった。

その恩返しをする為にも依頼のあった仕事は何でも引き受ける様に努力した。

と言っても新人の時の思い出と言うとやはりモンサンミッシェル。

モンサンミッシェルはやはり一泊する位が良いと思うのだが、旅行スケジュールなどの都合で日帰りツアーはかなり人気。けれど片道4時間半、中にはディナー付きで早朝出発して夜22時半にパリに戻ってくるというツアーもあり、それが3日間続くとかなり肉体的には辛かった。家で休む時間もなかった。

モンサンミッシェルに仕事で行けると言うのは聞こえは良いが、体力的にはハードである。行き帰りにバス内で喋り続けるのはかなり大変(といっても帰りはお客様が疲れている事が多いので静かにする為に黙っていることが多い。)だし、あの階段を喋りながら登るのは慣れるまでは容易でなく、私も最初のうちは「ガイドさん、ハアハア言っているのがマイクを通して聞こえて来ますよ。」と言われたこともあったっけ。

ただしそんなのは慣れてしまえば100段以上もある階段を全力疾走で3往復したりも楽々になった。

もっと大変だったのはドライバーとのやり取りだったかなあと思う。
モンサンミッシェルの日帰りの場合一日の労働時間が長いので二人のドライバーが交代で運転する。だが繁盛記はほとんど毎日パリとモンサンミッシェルを往復するので肉体的に大変なのはわかる。

それ故に少々のわがままは仕方ないけれど、度が過ぎるとかなり困る。
運転しながらのおしゃべりとか私が話している最中にガンガン音楽をかけたりとかには一言注意させてもらうのだが、なにせ相手は2人なので手強い。

しかもハンドル握っているのはあちらなのだから、かなり気を使う。

しかしながらこちらが誠意で接すれば、中には協力してくれる人もいたのでそういう人とはこちらもやりやすかった。

それにしても自分の経験だけではまだまだこの仕事に対して決定的な高評価をする事は出来なかった。これで続けて行けるのか常に不安が私の中に存在し続けていた。

そんなある日に、ある大先輩にモンサンミッシェルの体験談を聞いた。
その方はモンサンミッシェルに行くのが大好きでもう数年前に定年退職を迎えたが、もし必要なら「モンサンミッシェルへは行きますよ」と言っていた。
その先輩からこんな話を聞いた。

大雪の日にモンサンミッシェルへと出発した日、あまりにも道路状態が悪くてもうこれ以上進めないということで途中で通行止めになっていた。
さて困った。それでもあと一時間半で到着というところまで来ていたし、運行もスピードが出せないということで予定時間を大幅にうわまって遅れていた。

朝早くパリを出発したのでお客様も疲れていたであろう。このツアーの責任者であるガイドとしてはこの先どうするか判断しなくてはいけなかった。
普通に考えればそのまま折り返してパリに戻るか、あるいは途中どこかの村によって観光をして帰るか…、とにかくもしモンサンミッシェルに行けたとしてもパリに戻るのは夜遅くなってしまう。

そこで先輩は考え抜いた挙げ句、先ずはお客様の中にその夜に予定がある方の有無を確認したら、幸いどなたもいらっしゃらなかった。その次に
二人のドライバーに相談。彼らも意見は色々と出してくれるが、結局最終判断はガイドにまかされるのだ。

で、更に考えた末、先輩はお客様に相談。事情を話してこのまま直ぐに引き返すか、もう一度トライしてみて通行止めが解除されていたらモンサンミッシェルまでいってみるか…、何と参加者全員がトライする方に賛成。

確かにこのツアーのタイトルはモンサンミッシェルなので危険がないかを確認した上で行ってみるというのもありだと思う。しかし100%安全かどうかはいくらヴェテランの先輩でもかなり考え抜いた挙げ句の判断だったのであろうと察する。

そして驚いた事に道路の通行止めは解除されていて、先輩のグループはモンサンミッシェルまでたどり着けたそうだ。
もちろん修道院は閉鎖されていたであろうし、帰りの事もあるからあまり長居は出来なかったであろう。

先輩グループの判断は正しかった。お客様にも満足いただけたようだし、先輩自身も私に嬉しそうにその話をしてくれた。「やはり信頼できるドライバーと仕事をする事は大事だとつくづく思った。」と一言付け加えた。そんな先輩に感動、そして尊敬。


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パリの公認ガイドは主にルーヴル美術館やオルセー美術館、ノートルダム大聖堂、またヴェルサイユ宮殿などの案内をする。法的にはパリの街案内自体はフランス労働許可証を持っていれば誰でも出来るが、自慢する訳でもないが公認ガイドとの内容の差は歴然としているであろう。

それに加えてモンサンミッシェルの様な、パリからは遠く離れていて行くだけでも大変な場所にあるが、フランスに来たからには一度は訪れて欲しい所もある。

外観をじっくり見た上で岩山に登って修道院を見学して、ガイドの説明を聞いて欲しい。出来れば現地に一泊して早朝から深夜までの姿をじっくり味わってもらいたい。モンサンミッシェルにしても、他の美術館や教会などにしても、我々ガイドは常に勉強して、どうしたら限られた時間の中でお客様にこれらの素晴らしさを味わってもらえるか考えているのだから。相手に感動してもらうには自分も感動していなくては伝わらないであろう。その気持ちを分け合うのだ。
そんなガイドになりたいと、そしてまだまだ自分には開拓の余地があると思う。

2015年のテロ事件以来観光業界は段々と勢いを失いつつあり、特に今回思いもかけないコロナ禍が原因でフランス観光もかなり苦心している。
このまま消滅してしまう事はないと硬く信じているが、自分の選んだ道をとことん守っていくと言う考えに変わりはない。




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