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ベアルネーズソースをもっともっと
「へー、マクドナルドのニューヴァージョンかあ。」
「バゲットサンドだって?。」
「まあ美味しそうではあるけど。」
友人との会話の中でなにが一番気になったかと言うと、まずは通常大まかには以下の2点であった。
①ハンバーグを挟むパンは特にマクドナルドの場合例のバンズであるが、一度その代わりにバゲットが使用されて売り出されたことがあった。
私はその時は食べ損ねたのでどんな感じか味わいか知らないまま。
パリで人気者になるには
パリで一番最初に何かの為に並んだのって何時だったのか覚えていない。
数年前の外出制限の前日に某日本食料品店前に何を買うのかもハッキリせずに何十分か並んで取り敢えず米かなと思ってその方角に向かったら後ろにいた女性にサッと追い抜かされた。
残っていたのは餅米ひと袋で、「これでは毎日赤飯だなあ。」と、自分でも可笑しくなって結局何も買わずにその場を去った。
おそらくその時以来、食べ物の為に長い時間を費
パリジェンヌの女子会
〜エイヒレの焦がしバター添え
前作で書いた通り日本に行ってきた。
到着した日に早速友人のシャンピ(これはニックネーム)からメッセージが。
今回の日本旅行はあまりにも突然決めた為殆ど誰にも告げていなかった。
ましてや彼女はリール市というパリからTGVで一時間少々かかるところにずっと住んでいてもうかれこれ3年以上会っていない。
「何で日本にいる事分かったのかなあ。」
答えはその反対。
「ク
パリのヘボカメラマンが行く
今回理由あって9日間程パリから姿を消した。
なんと日本に来てしまったのである。
仕事ではなく私用なのだけれど残念なのはいつもお世話になっている皆さんにご挨拶回りが出来なかった事。
それでもほんの一部の方達を勝手に選ばせてもらってこっそり秘密に覗き見をしに行く事に決めた。今回日本行きチケットを入手したのは出発10日前で全く日程に余裕もなかったので果たして会いたい人皆が都合よいかもわからなかったけれ
ルーヴルのいかさま師
ルーヴル美術館は私の職場でもあり、私の誇り。などと偉そうに言っても、2020年3月以来めっきり行く機会が。減ってしまった。
理解しなければいけない事とはいえ、一時期は我々ガイドでさえも入場するのにインターネットで時間指定の予約をしなければいけなかった。
美術館が閉館してしまった時は完全シャットアウトだったし。
現在はガイディングする事よりも調べ物や確認する事のために行くことが多いが、そんなと
それぞれのバルコニー
パリも本当に住みにくくなったなあと言うのが最近実感すること。
確かに相変わらず良い点がたくさんあることは認めるけれど、しかも私は地方に住んだことがあったのはリヨンとボルドーのみ、あとモンペリエにみっちり一ヶ月の滞在と言うのは贅沢であった。
程々に都会で程々に田舎と言うのはなかなか良かった。
特にボルドーやモンペリエは車で一時間ほどで海というのは夏には最高であった。
友人同士間でのパーティにし
私の父はビカソですが何か?
パリのピカソ美術館に行ってきた。
少し前からそのつもりだったのに先延ばしになってしまっていたのには大した理由はないのだけれど。
ピカソの特別企画展には毎回必ず顔を出しているのだが、単に今回のタイトルにさほど興味がなかったからだと思う。
<マヤ=ルイズ・ピカソ パブロの娘>
そう、人を惹きつけるタイトルとは思えないような気がしたからだ。
ここでマヤがパブロ・ピカソの娘なのはわかりきったことだし
パリでこっそりお茶をする
お茶するのが大好きだ。
お茶と言っても私の場合はエスプレッソが多いけど。
ただ白状すると子供のときは両親が東京の下北沢でお茶屋さんを営んでいて、朝から晩まで緑茶ばかりだったので子供の頃は「コーラ飲みたいよう。」と思っていた。
でもフランスに来てからは日本に帰国するたびにお茶をどっさり買い込んで、フランスでも頻繁に飲んでは元気つけていたっけなあ。
逆に日本に行くと、エスプレッソが無性に飲みたくな
アーティストの自画像
自己の追求
アーティストの自画像って面白いと思うのだけれど。
自分で自分の姿を描くって容易ではないし。
私は一度も自分を描いたことないし、ポートレート自体もよく覚えているのは小学生の時に先生が「隣の人のポートレートを描きなさい。」と言ったので皆「えー?」と驚きの意を表明したが、先生の意は固かった。
皆いやいやではあったが仕方なくそれぞれ向かいあって、先ずは鉛筆で下描きを始め、早い者はさっさと輪