見出し画像

心が宿るコトバ

いきなりですが、若い頃、声優になりたかったんです。当時声優は今みたいな華やかな仕事ではなかったけれど、放送部に所属して、学生時代は司会のアルバイトもしていました。
人前で話す、ということはいつもすごく緊張するけれど物怖じはしません。自分の結婚式では、新郎の後に新婦の私が最後の挨拶して、結果的に披露宴を締めてしまったほどです。

さてさて、ずーっと長く同じ会社に勤めていると、ちょっとずつ立場も上がり、責任も増えてくる。
全国的に転勤の多い会社。気づけば今の勤務地では、私より上の上司はおらず、全員が部下なんです。
(こんな人事、自分でもどうなの?と少し思いますが、その話はまたいずれ)

それなりに大きな会社で、地方とはいえ、社の代表者としてさまざまな席に呼ばれます。そして必ず、来賓祝辞などの挨拶をお願いされ、壇上に登らなくてはいけない…。
財界関係者、自治体関係者、異業種、医療関係者などさまざまな専門職者。会合や行事は多種多様です。知事や市長が出席するようなかたい感じの行事もあれば、対象が子供たちのことも。

物怖じすることはないため、突然振られてもそれなりに話はつなげられます。パターンもいくつかあります。
けれど…物怖じしない、では絶対に通用しない!
そんな当たり前のことにある時気付きました。

相手に何かを伝えたい時は、思いを尽くし、心を尽くして向き合わないといけない。
流暢に話ができても、何も伝わらない。

以降、行事に呼ばれるたび、その集まりの趣旨を考え、関連することを調べ、まず何をお話したいか、お伝えしたいかを時間をかけて考えるようになりました。
台本を書いて、何度も読んでみる。ちょっとした言い回しひとつでニュアンスも変わるし、受け取られ方が違う。微調整を繰り返して、台本なしで伝えられるまで練習し、臨むようになりました。

文書と違って残らない。たかが挨拶、パーっと喋ってパーっと忘れて…。お互い仕事上のこと。そんなもんじゃないの?
なんて、とんでもなく失礼なことを私は心のどこかで思っていたのかもしれません。

ただの自己満足かなぁ〜。相手にとっては、何も変わらないかもな〜。と少し思いますが、こうして臨むようになってからは、どんな行事も楽しめるようになったし、思いを尽くすことで自分自身が幸せになれました。

たかが挨拶。けれど、仕事として「こなす」のと、人として「思いを伝える」のは大きな違いがありますね。

心が宿った言葉を話せる人になりたい。そう思います。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?