銀蝿の兄貴感。ラジオトークの魅力
今日は銀蝿の音楽ではなく、ラジオの話を書いてみようと思う。
昔、TBSラジオで放送されていた「横浜銀蝿只今参上」というラジオ番組があった。「ツッパリHigh School Rock'n Roll(登校編)」が大ヒットして間もない頃にはもうこの番組は存在していたはずだ。月曜から金曜まで毎晩この「横浜銀蝿只今参上」は放送されており、当時は毎晩欠かさずに聞いていた。インターネットがない時代だから、情報を得るにはラジオが一番のツールだったで、新曲やコンサートツアーの告知なんかはどこよりも早かった。本邦初公開として新曲が流れる日が突然現れるから毎日カセットテープに録音していた。残念ながらその録音したテープは今はもう数えるほどしか残っていないのが悔やまれる。
「横浜銀蝿只今参上」は曜日によってコーナーが決まっていて、何曜日に何があったかは記憶がないが、覚えているのは「分かっちゃいるけどやめられない」や「俺が代わりに言ってやる」のコーナーだ。「おれかわ」なんて略されて呼ばれていた。
「横浜銀蝿只今参上」は横浜銀蝿のメンバー4人とみっちゃんと呼ばれる女の子の計5人が毎日トークをしていたわけだが、役割分担としては、メインのトークは翔くん。嵐さんがツッコミ。TAKUはいつもいじられ役。Johnnyは実に真面目で優等生な喋りをしていた。みっちゃんもどちらかというといじられることが多かったが、メンバーからのいじりをさらりとかわしているしたたかな印象がある。当時は気づかなかったけれど今聞いてみると、やっぱりあの4人は頭がいいのが分かる。頭の回転が早く、それぞれの役割をしっかり全うしていてトークが破茶滅茶になっていないのだ。フリートークな感じで収拾がつかないことになったことは記憶にない。
あの番組を放送していた当時はまだ中1だったので、何を言ってるのかイマイチ意味が分からない言葉があって、翌日友達に聞いたらそれが実はエロネタで恥ずかしい思いをしたこともあった。また、笑いを交えつつもファンの真剣な悩みに答えたり、彼らの経験上のアドバイスやメッセージはまるで信頼出来る兄貴ができたようだった。
凄く印象に残っているのは、毎回ファンからのお便りを読むときに、メンバー全員が「ありがっとう!」と必ず叫んでいたことだ。お便りをくれたファンに対して感謝してくれていること。それは強く感じた。
ファンからの真剣な悩み相談をついつい笑いにもっていこうとして暴走してしまう翔くんや嵐さんのトークをさえぎるようにJohnnyが「ちゃんと考えてあげようよ!」という真面目でファン思いな発言だったり、毎回つまんないこと言っていじられていじけるTAKUという構図が多かった。
写真ではいつもカメラをにらめつけ「ヨロシク!」とばかりにつっぱってる彼らが素に近い姿になるラジオでのトーク。普段はいつもこんな風にバカなこと言ってるんだろうなぁと想像したものだ。そんな彼らの軽妙なトークは抜群の切れ味で、あのルックスからは掛け離れたユーモアに溢れた楽しいものだった。彼らにお便りを読んでもらいたくて、彼らに「ありがっとう!」と言ってもらいたくて、無数のハガキを出したが残念ながら読まれたことはなかった。
そんな信頼出来る兄貴達のトークはこの「横浜銀蝿只今参上」で毎晩聞けて、木曜の夜中には翔くんの「パックインミュージック(木曜パック)」、さらには「オールナイトニッポン」、「横浜銀蝿5段変速ぶっちぎり」なんてのもあった。そしてもう少し後になるが、嶋大輔、紅麗威甦、麗灑なんかが出ていた「パノラマワイド〜今夜もヨロシク 土曜の夜はロックンロール」あたりはかなりのヘヴィーリスナーだった。「パノラマワイド」も色々書きたいことはあるのだが、ここに書いたら収拾つかなくなりそうだからやめておくけど、夜中にこれらのラジオを聞いていた時代が間違いなく自分にとっての青春時代だったと懐かしく振り返ることがある。「青春とは…ちがう!」なんていうフレーズが分かる人がいたら非常に嬉しい。
話は少し逸れたが、横浜銀蝿だけじゃなく銀蝿一家はラジオのパーソナリティとしてはかなりの面白さを持っていてリスナーを離さなかった。コンサートやレコーディング、テレビ出演に雑誌の取材と大忙しだったはずのあの頃にレギュラーで何本もラジオ番組を持っていたというのもあの頃の人気を象徴している。そして彼らはラジオの中ではいつでもオレたちの兄貴だった。知らないことを教えてくれたり、車やバイクのこと、夜遊びの話、女の子を落とす方法、時にはエロネタ、あの曲のレコーディングはこうだった的な裏話。とにかくユーモアに溢れて楽しかった思い出ばかりだ。「パノラマワイド」では紅麗威甦のメンバーたちが下手くそなセリフでラジオドラマをやっていたがあればなんだったのだろう…
今では聞き逃したラジオ番組をネットのradikoで後から聞けたりする。でもあの頃はリアルタイムで聞くしかなかった。土曜の夜中にラジオに耳を澄ませて集中して聞いていたんだ。ついつい寝ちゃって聞き逃したりしたらクラスでの話についていけない。だからそこはもう真剣だった。「えー!お前昨日のラジオ聞いてないの?」なんて言われるのが一番悔しかった。
思えば横浜銀蝿には「DJ Rock'n Roll」なんていう曲があるのだから本人達も喋りが売りのひとつになることは計算づくだったんであろう。「DJ Rock'n Roll」で披露されているようなあの流暢な喋りがラジオ番組で毎日聞けていたということが贅沢で幸せな現象だったことを今さらながら痛感する。あんなに夢中になることがあまりない今。改めてあれだけ熱くなれた横浜銀蝿、銀蝿一家という存在に出会えたことに感謝している。
今回は当時のラジオ番組を聞いていなかった人には分かりにくい話だったかもしれないが、個人的は横浜銀蝿の歴史の中でラジオでのトークは本当に大切なものだったので書いてみた。もし気になる人がいたら、YouTubeなんかで聞くことができるはずだからぜひ聞いてみて欲しい。あの頃ノリにノッていて、なんでもありだった兄貴達の素に近い部分を。
それにしても、深夜にラジオをこそこそ聞いてる時のあの特別な感覚はなんなんだろう。不思議なもので今ラジオを聞いても、あのドキドキする感覚はない。やはり青春時代特有の感受性の強さなのだろうか。あの感覚をもう一度味わってみたい。
it's only Rock'n Roll
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