【約 束】
なんて静かな夜だろう。
積もった雪が全ての音を吸いとっている。
新しい年が明けて、初めての雪。
沙織は、さっきからずっと窓を開けて外を見ていた。
「明日は仕事はお休み。だから夜更かしができる。そして……会える」
壁の時計を見る。
午前1時を廻ったところだ。
さっきまでの顔と違う沙織になった。
緊張している。
「……そろそろ、かな」
沙織はそう呟くと、立ち上がった。
厚手のコートを着ると、静かに階段を降りて玄関まで来た。
両親を起こさないように、そっと靴箱を開けて、ブーツを出した。
祖母が使っている椅子に座り、それを履いた。
外は思ったほど寒くはなかった。
目の前にある公園に向かって、一歩一歩進む。
雪は見た目以上に積もっていた。
やっと、滑り台のところに着いた。
沙織はそのまま立っている。
吐く息は煙りのように立ち昇る。
「手袋をしてくれば良かった」
沙織はそう云いながら両手をコートのポケットに入れた。
「早く来て。早く……」
「とっくに来てるよ」
驚いた沙織は、あちこちを見た。
「ここだよ、沙織」
声のする方を見ると、そこには彼がいた。
「……あ……」
「相変わらず来るのが遅いんだよ、沙織は」
「だ、だって、1時って」
「1時にここに着いてなきゃ。沙織のことだから1時になってから行動しただろう」
沙織の目から、見る見る涙が溢れた。
男は、沙織に近づいて、抱きしめようとした。
すると沙織は、一歩後ろに下がった。
「どうしたの?」
男は少し驚いた表情をしながら訊いた。
「理のバカッ!何もそんな云い方しなくてもいいでしょう?」
「えっ?」
「久しぶりに会ったら、ポンポン文句を云って。ひどいわよ!」
「あ……ごめん、沙織」
「それに何で理が死ぬの?死んじゃうの?」
「それは……」
「車に轢かれそうになってた猫を助けたからよね?」
「うん、ごめん」
「何でそこで謝るの?」
「沙織に悲しい思いをさせてしまって」
「ええ、悲しいわよ。寂しいわよ、でも猫を助けた理は優しいわよ!」
「沙織、少し落ち着かないか」
沙織は黙った。
一度は止んだ雪がまた降り出した。
空には星が出ている。
星空の中、しんしんと雪は落ちてくる。
「沙織、少しは落ち着いた?」
「うん……ごめんなさい」
「いいんだよ。悪いのは僕だ」
「違う、私が取り乱したのがいけないの」
沙織と理は並んで雪の中、ベンチに座った。
「冷たくない?大丈夫?」
「ちべたい」
少し鼻声の沙織はそう云った。
理は思わず吹き出した。
「理は、ちべたくないの?」
「僕は何も感じなくなったんだよ」
「そうなんだね」
「理、ありがとう、来てくれて」
「何云っるの、約束しただろう」
「そう、三回忌が終わった後の初雪の夜中に会おう、だったわね」
理は頷いた。
「次は……次はいつ?」
「……」
「七回忌の夜中かなぁ?」
「沙織、次は……もうないんだ」
「……あのね、理が助けた猫ね、私が飼ってるのよ。とってもいい子。可愛くてね、それでね」
「沙織……」
「……嘘だよね理。また、逢えるんでしょう?」
理は黙って沙織を見つめている。
「いやだ、そんなのいやだ!」
「沙織、僕らはもう住む世界が違うんだ。
今夜のことも、神さまに無理を云って来たんだ。だから」
沙織は耳を手で塞いだ。
「沙織はまだ生きていくんだ。いつまでも僕のことを考えていたら、いけない」
「……好きでも?こんなに好きでもいけない?」
「うん、ダメなんだ。沙織には、前に進んで欲しい」
雪は止んでいた。
満点の星空が広がっている。
「分かったよ……理。これ以上、困った顔の理を見るのは辛いから、もうわがままは云わない。でも、一つだけ訊いてもいい?」
「もちろん、いいよ」
「私たち、将来、どっちが先に逝くことにしようか?って話し合ったよね」
「うん、そうだね」
「そして、私が先に逝くことにしたでしょう?」
「うん、僕が寿命が来た沙織を看取ってから、直ぐに僕にも寿命が来て僕も沙織の元へ行くことになった。子供みたいな話しをしてたね」
「指切りしたこと、覚えてる?」
「指切り?あー、したした。えっ!まさか、違うよね?」
「持って来たの、針」
「針って、そんな……」
「きっと理は針を飲んでも、もう痛くないんだろうけれど」
「痛くなくたって、嫌だよ、そんなの」
「約束したでしょ」
ゆーびきーりげんまん、嘘ついたら、針、
三本のーーます。
「その、三本っていうのが、リアルで怖い」
「だって、理は嘘ついたわよ。私に寿命が来て、後から理が逝くはずだったのに」
「それはアクシデントが起きたから、仕方なく」
「では、針三本、ここに持ってきてあるから、さっそく」
「わーー!止めてくれ、沙織、お願いします!」
「お水、持ってこようか?」
わわわわわーー!だめだ、怖い!無理無理無理だから!
「本気よ、わたし」
「すみません、帰ります!」
そう云うと、理の体は、徐々に透明になっていった。
沙織は黙って、見ていた。
でも、その顔は、涙が次々と頬を伝っていく。
ついに理の姿は、見えなくなった。
真っ白な世界の中、沙織だけがそこにいた。
《沙織、ありがとう。わざと明るく見送ってくれたね。僕は沙織のそういう優しさが大好きだ。元気でな、さよなら沙織》
沙織は天を仰いだ。
たくさんの星が、瞬いていた。
「帰ろうっと」
沙織は歩き出した。
「理、猫の名前、バカボンっていうの。理が好きなアニメでしょう?だから」
「これで、いいのだ!」
沙織はそう叫ぶと、天に向かって手を振った。
了
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