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冬に鳴く虫

ただ今、深夜1時。

季節は真冬の1月。

僕が居るのはキッチン。

火の気が無いから底冷えがする。

しかも窓まで開けている。

何故なら

タバコを吸ってるから。

「換気扇の下で吸うのじゃダメ?」

「ダメ。吸うなら窓を開けてちょうだい」

姉に云われてしまった。

僕は、姉には逆らわないことに決めたんだ。

あの日以来。


そういうわけで震えながら窓を開けている。


しかし冷えるなぁ。

やめられないんだよなぁ、タバコ。

冬の真夜中は静かだ。


  リリ リリ リー リー


虫が鳴いてる。真冬なのに?

聞き違いか。


僕は目を閉じて、ゆっくりとタバコを吹かす。


  リリ リー リリ リリ リー


聞き違いじゃない。やっぱり虫が鳴いてる。


夏や秋と違い、1匹だけで鳴いているように聞こえる。

リリ リリ リー


儚げな鳴き声。

寂しくないか?

僕は灰皿でタバコを消すと、

おやすみ、と云って窓を閉めた。


翌日、僕はキャンパスで、友人に
訊いてみた。

「こんな時期に鳴く虫っているんだな。博は知ってた?」

「知らないなぁ。居るのか?そんな虫が」

「うん、僕も初めて聴いた」


「何ていう虫なの」

博はたまに、人の話しを訊いてないなと思う。

「こっちが知りたくて訊いてるんだろ」


「1月に鳴いてる虫ねぇ。あ、祐介のお姉さんなら知ってるかも。頭いいじゃない、キミのお姉さん」

「確かに姉貴は勉強は優秀だよ。だけど虫のことまでは無理だろうな」


「少しは元気になったの?」

「姉貴なら、相変わらずだよ。普通にしてるけど、実は普通じゃないよ、あの人はまだ」


博は小さく頷いた。

「仕方ないよな。あんなことがあれば。元の元気な陶子さんに戻るには、もっと時間が必要なのも判るよ」


「ん、何か音がしたな。何の音だ」

そう思ってたら、部屋のドアが開いた。

見ると、そこには携帯を握りしめた、姉の陶子が立っている。

何だか変だ。

僕の部屋に来たくせに、黙って立ってるだけで一言も話さない。

そして姉は全身の力が抜けたように、ゆっくりと座り込んだ。


「姉貴、どうかしたの」

最初、姉は無反応だったが、急に涙を流し出した。


「姉貴、しっかり!何があったのか、話してよ」

涙を流しながら、姉の口から出た言葉は、到底信じられないことだった。


「雪崩に巻き込まれたって、純一が」

え……。

「まだ見つかってないの。吹雪いてるから、今日の捜索は終わったって」


姉貴ーー。

純一さんが、遭難。

そんな。


「厳しいって。そう云ってた」

姉は顔を覆い、どうしようどうしようと、繰り返す。

「落ち着いて。まだ判らないだろ?」

「判るよ」

「姉貴」

「判るわよ!祐介だって本当は判ってるくせに」

何も云えなかった。

純一さんは、姉の婚約者だ。


「いやだああああ!」

狂ったように泣き叫ぶ姉を、

僕は強く抱いた。

「どうしたの」

声を訊いた母が部屋に入ってきた。
姉貴を見るなり母の顔が変わった。

「陶子、いったい何があったの。
陶子、ねぇ」


「母さん、純一さんがスキー場で遭難したらしい」

「純一さんが、遭難」

「あゝ、雪崩に巻き込まれたんだ」

「……そんな」


数日後、純一さんは帰らぬ人となって、自宅に戻って来た。


この日から、3年が経つ。

姉貴は気丈に会社に通勤している。

だがそれは、僕のよく知っている姉貴ではない。

別人になってしまった姉だった。



 リリー リリ リリー リリ


「今夜も鳴いてるのは、きみだけかい?仲間たちは寝てるの?」

僕は、夜空を見上げた。

チラチラと降って来そうだな。


  パタン


「姉貴、どうしたの」

「珈琲が飲みたくなって」

そう云うと、コーヒーメーカーに
挽いた珈琲豆と水を入れた。

スイッチを押して、後は出来上がるのを待つだけだ。


姉貴は僕のところにやって来ると、

「祐介、よく風邪引かないね。窓を全開にして」
そう云った。


「何故だか風邪は引かないんだ」

「へえ、そうなの」


 リリ リリ リリ リー


「あら、寒い中ちゃんと鳴いてくれてる」

珍しく姉貴が微笑んでいる。

「祐介は、この虫の名前知ってる?」

「いや、知らない。姉貴は知ってるの?」


「やまとひばり」

「へえ、よく知ってるね」

「純一さんから教わったの。彼は昆虫に詳しかったから」

「純一さんが。知らなかった」


「やまとひばりは、夏と冬で鳴き声が違うの。夏はもっとうるさい鳴き方をする。ギーギーって。冬は今のように静かに鳴くのよ」


「面白いな」

「面白いでしょう。やっぱり冬のやまとひばりの鳴き声の方が好きだわ。ね、純一」


姉はコーヒーの入ったカップを手に、キッチンを出ようとして、僕を見た。

「長いこと心配させてごめんね。おやすみ」

そう云って戻って行った。


やまとひばりか。

いい鳴き声だ。


  リリリ リー リリリ リリ


      了









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