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ヒナの鳴く声

その日、小学校で担任と俺と母親の3人での、面談があった。

内容は進路についてだったが、担任は、成績の良かった俺を、なんとか有名な私立中学に入れたいようだった。


俺には全然、その気はなかった。

オヤジは好きにしなさい、ってタイプだった。

だが、お袋は違う。

有名私立中学に行かせる気満々だ。


だから担任とも会話が弾んでいた。


面談が終わり、俺とお袋は教室を出た。

校門を出るまで、俺はお袋から、

「なんで無関心なの、あなたのことなのよ」

と、文句を云われ続けた。

あんまり煩いから、俺はお袋に、

「受験なんかしない。普通の公立中学に行く」

そう云った。


お袋の顔は、見る見る険しくなって、

「なんでよ、あなたは成績優秀だし、今から受験生向けの塾に通えば、受験には間に合うのよ?もったいないと思わないの?」


俺が、行かないと云ったところで、お袋の気持ちは全く変わらないままだ。

じゃあ、話したって無駄じゃないか。


俺はもう一言も話さず、黙々と歩いた。


「なに黙ってるわけ?将来のことを考えれば受験を」

「うるさい!」

俺の言葉にお袋は、驚いた様子だったが、知るもんか。


         📕📖📚


辺りは、まだ4時前だというのに、やけに暗くなってきた。

空を見上げると、真っ黒な雨雲が頭上にある。

ヤバイ。

俺の歩幅は広くなり、スピードもあげた。


商店街を歩いていたら、どこからか、鳥の鳴く声が聞こえてきた。

俺は立ち止まり、まわりをキョロキョロ見回した。

「お前か……」


クリーニング屋の店の前に、ヒナが地面でピーピー鳴いている。

上にはツバメの巣があった。

どうやら落ちたらしい。

親鳥が心配そうに、飛んでいる。


その時、稲妻が光った。

少し遅れてドカーンバリバリバリ!と雷が落ちる大きな音がして、まるでスコールのような雨が急に降り出した。

アッという間にビショ濡れだった。


「ケン!早く乗りなさい!」

そう声がして、振り返るとタクシーの窓から顔を出しているお袋がいた。

どこかでタクシーを捕まえたようだった。


でも、ヒナが……


屋根はあったが、横殴りの雨で、ヒナはびしょびしょになってきた。

「早くしなさい!あなたは喘息持ちなんだから、それ以上濡れない内に乗りなさい」


俺は少しパニックになっていた。

心配してぐるぐる飛ぶツバメの親、

地面でドンドン水浸しになっていくヒナ。


「ケン!いい加減にして!」

痺れを切らしたお袋がタクシーから降りて、俺の腕をキツく掴み、タクシーに引っ張りこんだ。

ドアが閉まりタクシーは発進した。

俺は窓から顔を出してヒナと親のツバメを目で追った。


誰かに助けてもらえますように!

そう思うしかなかった。


         📕📖📚


自宅に戻り、俺は自分の部屋でツバメの親子のことを思っていた。

何故、俺は直ぐにヒナを救えなかったのか。

持ち上げて、ハンカチに包んで、獣医さんに診て貰わなかったんだ。

バカだ、俺は。なんでオロオロしたんだよ。


俺の体中を、《罪悪感》が覆い被さった。

ヒナが鳴く声がいつまで聴こえた。

タクシーに乗っても、こうして自分の部屋に戻ってからも、ずっと……。


その夜、俺は食欲がなく、お袋に夕飯は要らないと伝えた。

お袋は、多少は心配そうだったが、信じられないことを口にしたのだ。


「あなたが心配したところで、あのツバメは、とっくに死んでるわよ」

……!!


俺は声を振り絞り、お袋に云った。

「知ってたなら、俺をタクシーに引っ張りこむ時に、ヒナを保護するまで待ってくれてもよかったじゃないか」


「いやよ、汚いし、第一不衛生だわ」


俺の中で、お袋に対する何が変わる瞬間だった。

そして、生まれて初めてお袋に憎しみが湧いたのが分かった。


         ✳️⚛️


「ケン、なにボケーとしてんだよ、出来上がったのか?」

「あっ?」

「何か他のことを考えただろう。締め切りが近いんだから、仕事に集中してくれよ」

「すまん、急いで書くから」

「ちゃんとした作品を作ってくれよな」

「分かってる」


俺は二度と、お袋の云うことは訊かないと誓った。だから受験など、とんでもない。喚き散らすお袋を無視し、公立中学に進んだ。

そして3年後には、受験をして高校に進学。

その頃、趣味で小説や詩を書いていた。

本屋で雑誌を見ていたら、ある募集記事に目が止まった。


それは、漫画の原作募集の記事だった。

俺はちょっとだけ面白そうだなと思い、その晩から構想を練り、書き上げた原稿を出版社に送った。


初めて書いた漫画の原作、世の中そんなに甘くはない。

そう思った俺は、投稿したことなど、直ぐに忘れた。

進学校に進んだので、生徒たちの学習レベルはかなり高かった。


俺は必死に勉強した。

大学は国立を狙っていたから、帰宅後も真夜中まで、勉強をした。

模試を受けると俺のレベルだと、ボーダーラインだった。

ますます勉強する時間を増やし、高校の3年間は、まさに勉強しかなかった。


ある日、帰宅した俺はポストを開けて、中の物を出し、自宅に入った。

興味の無い広告が大半だった。

「なにこれ」

高そうな厚手の封筒が入っていた。

見ると出版社の名前が印刷されてる。

まさか!?


気になったので、その場で封筒を開けた。

真っ白な便箋が入っている。

俺は書かれた内容を読み

「うそだろー?」

と口に出していた。


俺が書いた漫画の原作が、採用された。

電話をかけたが、通じ無かった為、封書を送った。

そう書かれている。


「あっ!」と、叫んでしまった。

ポケットから携帯を出して確認すると、確かに着信が数回あった。

知らない番号だから無視してた。

おまけに留守電にもメッセージが入ってる。

そういえばメアドは書かなかった。


正直、嬉しかった。

心臓の鼓動がさっきから早くなっている。

本当なら、親に話すことかもしれない。

けれどこのことを、お袋が喜ぶわけがないのは、十分わかってる。

“漫画”と訊いただけでバカにするだけだ。オヤジは相変わらずの無関心人間のままだった。

だから俺は、黙っているしかなかった。


大学に進学すると同時に、俺は家を出た。

漫画の原作の仕事は順調だし、それなりの収入にはなったので、親からの仕送りは、いっさい無しでも生活は成り立っている。


「ケン、少し休憩しよう。オレも疲れた」

「じゃあ自販機で何か飲み物を買ってくるよ。広司は何にする?」

「そうだな、たまにはスッキリするのにしよう。ジンジャーエールがいいかな」

「分かった、じゃあ行って来る」

「あぁ、悪いな」


俺は部屋を出て、近くにある自販機に向かった。

いま俺たちはマンションの一室を借りて、そこを仕事場にしている。

俺が書いた原作を、漫画にするのが広司だった。


大学は別だが、お互いに漫画研究会に入っていたので、大学同士の交流会で知り合った。

広司は絵はかなり、上手かったが、ストーリーを考えるのが苦手だった。

俺と真逆だ。


ある日の交流会の後に、二人で飲みに行き、そこで組んでみないか、という流れになったのだった。

早速、漫画を一作、仕上げて雑誌の編集の人に観て貰ったところ、「面白いよ、二人でやってみたら?」

そう云ってもらえた。

「ただ、この主人公のヒーローに、もう一つ何か特徴が欲しいな。例えば筋肉ムキムキで、いかついけど実は大の動物好き、とか」

「あ、それ面白いですね。動物好きなムキムキマン」

『動物好き……か』


話しはトントン拍子に決まり、翌月から紙面に掲載されるようになった。


         ✳️⚛️


自販機には先に買ってる女の子がいたので、俺は少し離れたところでスマホを観ながら待っていた。


「あわわわ!」


な、なんだ?どうした?

自販機で、女の子が慌てている。

俺は傍に行き、「どうしました?」と話しかけた。

しかし女の子が応えなくても、事態はすぐ飲み込めた。


両手でも、抱えきれなかった、ペットボトルが、女の子の足元にも転がっていた。

女の子は、情けなさそうな顔で、俺を見ている。

俺は、笑いそうになるのを、堪えるのに必死だった。


「買っても買っても当たりが出て、どんどんジュースが出てきて」

女の子はそう話した。

「分かりますよ。実は俺にも同じ経験があるから。4回連続で当たりが出たことがあるんです」


「はぁ、どうしよう」

「貴女は、3本持ってくれたらいい。残りは俺が持ちます」

「す、すいません。お願いします」

そう云って、女の子は頭だけ下げた。

ペットボトルが落ちてしまうからだろう。


「それで、どちらまで持って行けばいいのかな」

「あ、そこです」

女の子が見ているのは、俺たちが借りてるマンションだった。

「ここ?このマンションの何階ですか?」


「二階です。私、お店をやっています」

「そうでしたか。俺もこのマンションを借りて仕事をしてるんですよ」

「そうですか!初めまして」

「あ、どうも、こちらこそ」

「では行きますか」

俺と女の子は、ジュースを抱え、エレベーターの乗り場に行き、ちょうどドアが開いたので、乗り込んだ。

「私は、岬由紀恵といいます。二階で、

『ペーパームーン』という雑貨を扱うお店をしています。宜しくお願いします」


「僕は、林田建一と云って、四階の部屋で漫画の原作を書いています。もう一人男がいるのは、ソイツが俺の書いた原作を漫画にしてくれてるんです。こちらこそ宜しくお願いします」


二階に着いた。

エレベーターを降りて、斜め向かいのドアに、[ペーパームーン]と書いてあるボードが下がっている。

岬さんはポケットからキーを出して差し込んだ。

カチッ

岬さんは、ドアを開けて中に入った。


そして俺に、

「この部屋は土足で上がってください。

散らかってますが、どうぞ」

そう云った。

「お邪魔します」

俺は入らせてもらった。


       ✳️⚛️


「おぉー」思わず声が出てしまった。

部屋は、さすがに雑貨屋さんだけのことは有り、かなりの数の品物で溢れている。

壁から天井まで、雑貨で埋め尽くされていた。

これは女の子たちには、堪らない空間だと思った。


「散らかっていて、お恥ずかしいです」

「いえ、むしろこれだけの数の雑貨を、よくここまでキレイにレイアウトしたと思って。流石、プロだなぁな感心しています」

「いえ、そんな、あっ飲み物を持たせたままで、すみません。この中に入れてもらえますか」


岬さんが小さな冷蔵庫を見ながら云った。

俺は7本のペットボトルを中に入れた。

「ありがとうございました。宜しければ、御好きな飲みをどうぞ選んでください」


俺は迷った末、緑茶を頂いた。

「男の人は、雑貨には興味ないですよね」

岬さんがそう云うので、

「そんな男ばかりじゃないと思いますよ。

あんまり、甘いのは分からないですが、少し見回しただけでも使えそうな品物がありますし」

「そうですか!」

岬さんが嬉しそうに身を乗り出した。

「はい、あそこのエコバックも柄が変わってていいと思うし、クッションカバーもシックな色のも、置いてあるんだなぁと初めて知りました」


「わぁ!ありがとうございます。そうなんです。実は男性の方でも使える物も結構あるんですよ」

「ですね。ただ男一人では、お店に入るには勇気が必要かな」


そう云って二人で笑った。

売り物の目覚まし時計を見て俺は焦った。

「ヤバイ、大学に行かないと講義に間に合わない」

「あ、ではちょっとだけ待ってください」

岬さんが俺に袋を渡してきた。

「これは、何ですか?」

「手伝ってくださったお礼です。気になさるような高額な品物ではないので、どうぞ使ってください」

「そんな、ペットボトルを持ったくらいで。

返って気を使わせて、しまいましたね」


「いえ、本当に助かりました。それから、いま、大学とおっしゃいましたが」

「はい、俺はまだ大学生なんです。仕事もしてますが、基本は学生です」

「そうなんですね。じゃあ急がなくちゃ。

中身は、大した物ではないので、後で見てください。ありがとうございました」

「すみません、そうさせて貰います。

お茶、ご馳走さまでした。そして、このお土産もありがとうございます。失礼します」


          ✳️⚛️


「広司、遅くなって悪い。その上、飲み物は買えなかった」

「へっ?何かあったの?」

「有るにはあったが、大したことでは、ないんだ。俺もう行かないと講義に間に合わないからさ」


「お、おぉ、分かった。気をつけてな」

「ありがとう、じゃあ行くわ」

そう云うと俺は急いで部屋を出た。

かなりの数の講義をサボってるから、ここからは真面目に出ないと留年だ。

それだけは避けたい。


そう思いながら電車に乗った。

ドアに移った自分を見て、俺はハッとした。

岬さんからい頂いた袋を持ってきてしまった。

ま、いっか。

それより中身はなんだろう。

俺は袋から中の物を取り出した。


アイビー色のカード入れ、

これ……は、あ〜スマホ立てだ。カエルが付いてる、可愛いな。

ん、これは何だ?

籐で作った、小型の鳥かごだ。

「ヘェ〜、小物入れか。オシャレだな」


そういえば店内に、このカゴの大きいのが天井から下がってた。

中には造花が入ってた気がする。

女の子が好きそうな感じだ。

俺は何を入れよう、鍵とかかな。

「岬さん、ありがとう」


窓の外に目をやる。

いつの間か霧雨が降っている。

薄いラベンダー色に街が煙っていた。


「きれいだな……」そう呟く。

また頭痛がしてきた。

このところ、マンションで仕事をした日は決まって頭が痛くなる。

理由は、分かっているんだ。


          ✳️⚛️


その日、俺は講義を終えると、自分のアパートに直行した。

そして、布団に倒れるように転がった。

放っておくと浅過ぎる呼吸に意識を向けて、わざと息を深く吸いこむ。

軽いめまいがするので、目は閉じたままにした。


《広司、悪い。俺もう限界なんだ》

少し前から気付いてはいた。

けれど、考えないようにしてた。


もう、正義の味方を書くのに、嫌気がさしたんだ。

 

《俺はもう、これ以上、嘘つきでいたくない》


真夜中に目が覚めると、必ず聴こえる。

びしょ濡れになったヒナの鳴き声。


“見捨てたクセに”

“動物好きのヒーロー?笑わせるよ”

“カッコばかりのイクジナシ”


鳴き声は、そう云ってる。

俺には分かる。

あの時のヒナは、俺を許しちゃいない。


「明日、広司に、ちゃんと話そう」

そう決めたとたん、俺は眠りに落ちた。


         🌅🌃


翌日は朝から雨が降っていた。

10時にマンションに来て欲しいと、広司にはメールをしておいた。


雨は夕方になった今も、止む気配はない。


俺は自分の気持ちを正直に広司に伝えた。

漫画活動を解散したい。

そう話したら、広司は大反対すると思っていた。

けれど、違った……。


「そろそろ云って来ると思ってたよ」

「えっ?」

「お前を見てれば分かるよ。最初の頃の、楽しそうな建一じゃ無くなっていたからさ」

「……」


「オレのことはいいから。またストーリーを考えてくれる人が出てくるかもしれないし、その前に大学にも真面目に通おうと思うんだ」


「ありがとな、広司」

「こちらこそだよ、おかげで少しばかり貯金も出来た。建一、ありがとう。交流会には顔だせよ」

「うん、広司もな」


マンションも引き払う事を、不動産屋に連絡をした。

「じゃあな、またな」

広司は手を上げ部屋を出て行った。


 バタン。 。 。 。


俺は椅子に座って、机を触った。

「何作も書かせてくれて、ありがとう」

しばらくそうしていた。

「あー!」

そうだ、岬さんにも挨拶しないと。

手ぶらなわけには、いかないよな、先日プレゼントをもらったし。

困ったな、女の子が喜びそうな物を、岬さん自身が売ってるわけだし。


在り来たりだけど、食事に誘ってみようかな。


「よっしゃ、来てくれるか分からないけど、一か八か、岬さんのお店に行って、訊いてみよう」


         🌅🌃


俺は、早速ペーパームーンに行くことにした。

部屋の鍵をかけていると、

「あら、お出かけですか?」と、声がした。

見ると、エレベーターから岬さんが降りてきたところだった。


「あれ、こんにちは。岬さん四階に用事でも?」

「林田さんに、届けたいものがあって」

岬さんは、抱えていた袋から、梨を取り出した。

「梨は嫌いですか?」

「いえ、好物です」

「良かった〜。これ親戚が毎年送ってくるんだけど、量が多過ぎて。良かったら、もう一人の方と食べて貰えませんか?」


「嬉しいです。ただ俺一人だけで食べます」

「……?」

「実は、さっき解散したんです。ここから引っ越すことにしました。だから俺は今から岬さんのお店に伺おうとしてたところだったんです」

「そうだったんですね。知り合ったばかりなのに寂しいですね」


「実は俺も同じ気持ちなんです。それで、岬さんさえ、良ければ、食事でもどうですか?」

「私でいいんですか?林田さんより、たぶん5歳は歳上ですよ」

「そんなの全然、関係ないですよ。お願いします。一緒に食事に行ってもらえないでしょうか」


「はい、私の方こそ嬉しいです。喜んで」

「良かった。日にちは、いつがいいですか。あと、食べたい物があれば」

「明日はどうですか?3時にアルバイトの子が入ってくれるので、私は上がれるんですが」

「明日ですね、俺は構いません。どこか行きたい場所とか、お店とかの希望があれば、良さそうなお店を探しておきます」


「特別には無いです。ただフランス料理とかは苦手なんです。作法があるのは、緊張して味が分からなくなるので」

「アハハ、俺もです。洒落た店は縁がないらしくて。洒落た街にも縁がありません」


「それ、分かります。もっと気楽なお店がいいですね」

「では明日、二人で決めますか」

「はい、それでいいと思います」


「了解です。では3時半にマンションの一階で待ち合わせしましょう」

「はい、宜しくお願いします」

「こちらこそ。それと、梨をありがとうございます」


「では、お店に戻ります。失礼しました」

岬さんは、そう云ってエレベーターに乗っていった。

「良かった、嫌な顔されなくて。俺も帰るとするか。しかしこの梨の数はすごいな。当分に間、昼飯がわりになるな」

雨は止んだみたいだ。今の内に帰ろう。

俺は梨の入った袋を抱えて、階段を降りた。


        🌅🌃


翌日の3時半、俺はマンションの一階にいる。

正確には、3時15分だが。

スーーーーー

何かが俺の髪をかすめて行った。

「ワッ!なんだ今の」


「ツバメですよ、林田さん」

「岬さん、こんにちは。びっくりしました。あんなに低空飛行をするんですね」

「ほら、あそこ」

岬さんが指差す方を見ると、マンションの一階に、ツバメの巣があった。


そうか……もう、そんな季節なんだな。

「巣の中には、可愛いヒナもいるんですよ」


親鳥が、エサを加えて飛んできた。

巣の中のヒナたちが、一斉に鳴き出す。

大きくくちばしを開けて、鳴いている。


「可愛い。ね、林田さん」

俺は、目を閉じていた。

本当は、この場から早く立ち去りたい。


「具合でも悪いんじゃないですか?」

「い……え、大丈夫です。行きましょう岬さん」

俺が歩き出しても、岬さんは着いてこない。

同じ場所に立ったままだ。


「岬さん?どうしました?」

「林田さん、林田さんの育った街は遠いんですか?」

「電車で1時間くらいかな、どうしてですか?」

「今夜はその街で食事をしましょうよ」

「えっ、だって何も無い地味な街ですよ」

「でも、ラーメン屋さんとか、お蕎麦屋さんくらいなら、有りますよね?私は両方とも大好きです。行きましょう」

そう云って岬さんは駅に向かって歩き出した。


俺は慌てて後を追った。

『何を考えてるんだか』


そう思ったが、この食事自体が、この間のお礼なわけだから、岬さんの好きにしていいんだよな。

俺は、なんとかこの状況を自分の腑に落としたくて、そう思うことにした。


          🌅🌃


駅に到着したら、ちょうど電車が入ってきた。

俺と岬さんで乗り込んで、空席に座った。

岬さんは黙ったままだ。

ただ、ジッと流れる風景を見ている。

つられて俺も黙っていた。

途中からは、居心地が悪くてスマホをいじることにした。


時間が経過して、俺も外に目をやった。

見慣れた景色になっている、もう直ぐだ。

大学入学と同時に、俺は一度も地元には帰っていない。

約3年ぶりだ。


駅に着いた。

「岬さん、ここです。降りますよ」

岬さんは、頷くと席を立った。

相変わらずの小さな駅だ。


改札を出だけど、さてどうするかな。

岬さんが、笑顔で話しかけたきた。

「林田さん、ご自分の地元なのに、顔が緊張してますね」

「やだな、そう見えるんだ」

岬さんは、笑ったまま頷いた。


「食事をする店を考えてたんですよ。ホントに地味な街なんで」

「とりあえず、歩きましょう。商店街とか無いんですか?」

「え……」

「商店街なら、何かしらのお店がありそうですが」

「……有りますよ、小さいけど」


岬さんは、俺の様子を見ている。

「行きましょう、その商店街に。方向はこっちでいいんですね」

そう云って、スタスタと歩く岬さん。

俺は気が進まなかった。


『あの日以来、俺は商店街には行かないことにしたから』

「ここですね。“すずらんもーる”」

「あ、はいそうです」

「夕焼けがキレイですね、晴れてて良かった」

俺は夕焼けどこれじゃなかった。

もう直ぐ、あのクリーニング屋だ。

   《怖い!》


あった!あの時のまま、何も変わっていない。

俺がクリーニング屋さんの手前で立ち止まっているのを、岬さんが不思議そうに見ている。

「林田さん、大丈夫ですか?顔色がよくないですよ」


「だ、大丈夫です」

こうなりゃヤケだ、クリーニング屋の前を通ってやる!

急にスピードを上げて、俺は歩いた。

その時、クリーニング屋の自動ドアが開き、中から店主が出てきた。

店主は上を見上げた。


その視線の先を見ると、ツバメの巣があった。

『あの時と同じ場所だ』

そう思っていたら、岬さんの声がした。

「こんにちは。突然すみません。ツバメが巣を作っているんですね」


「こんにちは。あぁ毎年ここに作ってるよ」

「縁起がいいですよね、ツバメが巣を作ると」

「そうらしいですね。可愛いし、大歓迎です」

人の良さそうな、小柄で初老の店主はニコニコしている。


「すごいですね、毎年だなんて。よほどここが気にいっている証拠だわ」

「そうだと嬉しいね。ただ、一度だけ『もう来なくなるかもしれない』そう思ったことがあったな」

「何故ですか?」


「8年くらい前だと思うんだが、ヒナが一羽、巣から落ちたんだよ」

「まぁ」


俺はドキッとして店主を見た。

「しかも天気が急に崩れてね、雷は光るは、大雨にはなるはで、わたしが気がついた時には、ヒナはずぶ濡れで、グッタリしてたんだよ」


俺は背中に汗が流れるのが分かった。

「そのヒナはどうなったんですか?」

「直ぐに抱き上げてやり

たかったが、人間の匂い

がヒナに付くと、育てる

のを止めてしまう親鳥が

いると聞いてるし、急い

で獣医に来てもらったよ」       


俺は後ろ向きになった。

涙が止まらない。


「助かったんですね!すごい!」

「あぁ助かったさ。数日後にあのヒナも立派に成長して、ちゃんと巣立ちをした。

今ここに来ているのは、もしかしたら、あの時のヒナの孫辺りかもしれないなぁ、なんて思いながら見守っているよ」

クリーニング屋さんの店主は、優しく笑った。


「あの……」俺はおずおずと、店主に話しかけた。

「ん、なんだい」

「あのツバメの巣を写真に撮ってもいいですか」

「もちろんいいさ。ちょうど親がヒナに餌を与えてるし、シャッターチャンスかもしれないよ」


俺は店主に頭を下げて、スマホを巣に向けた。

何度も涙で見えなくなったが、無事に撮ることが出来た。

俺は心の中で、『キミはあの時のヒナの子孫かな?もしも、そうならあの時は本当に悪かったね。直ぐに助けられなくて、ごめんなって伝えてもらえたら嬉しい』

そう、頼んでいた。


俺と岬さんは、その場を後にした。

「夕食は何にしましょうか」俺が訊くと、岬さんは、

「どこかで、お茶しませんか?」という。

俺は、この街に一軒だけの喫茶店に岬さんを連れて行った。


       🌅🌃


珈琲を飲み、岬さんが話し出した。

「もしかしたら、林田さんは、あのツバメのことで何か苦しんでたのですか?」

「悪いのは、俺ですから」

「詳しく話してくれませんか?無理にとは云いません」


俺は、あの小学6年の時の出来事を、岬さんに話した。

岬さんは真剣に聴いている。

俺が全部、話し終わると、岬さんは頷いた。

そして、こう云った。

「林田さんは、お母様を憎んだ、って云っていますが、それ以上に自分のことを、許せなくなっていたのですね」

俺は黙って訊いていた。

岬さんの云ってることが正しいから。


「自分のことを、許せなかったり、嫌いになった時が一番辛いんだと私は思います。林田さんは12歳の時から、20歳の今までずっと、苦しんできたのですね」

見ると岬さんの目から、涙が溢れている。


その涙を拭くこともせずに、岬さんは俺の目を真剣に見つめながら、話しをした。

「私の兄が、医師をしています。専門は心療内科です。私も今のお店を出す前は、兄のところで働いていました。事務職でしたが。でも、色々な患者さんを見てきました」


俺も真剣に岬さんの話しを訊いていた。


「林田さん、一度、兄に会ってみませんか?」

「お兄さんに?」

「はい、私が云うのも変ですが、優しくて、とてもいい医師だと思います」


俺は考えが、まとまらない。

「雑談をしに行くと思ってくれて、構わないんです。私は林田さんが、持たなくていい罪悪感を捨ててもらいたいんです。そして自分を大切にすることが、出来るようになって欲しい」


俺は、カップに残っていた珈琲を、全部飲み干し、岬さんに訊いた。


「真夜中に聴こえる、ヒナの鳴き声も、しなくなりますか?」


岬さんは、泣きながら、うん、うん、と頷いた。

俺も、つられたのか、涙が止まらなくなった。

「宜しくお願いします」

俺は、そう答えた。


岬さんも、俺も、なかなか席を立てずにいた。

夕食は……

この時点では、二人共、胸がいっぱいで食欲が無く、電車でいま住んでる街に戻り、結局はコンビニで買った。


俺はその晩も、真夜中に目が覚めた。でももうヒナの鳴く声は聴こえてはこなかった。


       (完)


































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