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#【ずっと ずっと これからも】

まだ6月に入ったばかりだというのに、

真夏のような暑さだ。

私は冷凍庫から氷を取り出し、コップに入れた。

冷やした麦茶を注ぐと、ゴクゴク飲んだ。

「はあ、美味しい。体が冷えるのは、良くないって知ってても、一日中、飲んでばかりいるな」


喉が渇く原因の一つは、エアコンが壊れてしまったからだった。

家の中の、全部の窓を開けて、風を通しているが、この暑さの為に、生暖かい風しか入って来ない。

「仕方がない、シャワーを浴びよう」


私が、そう思って支度をしていたら、インターホンが鳴った。

「平日の昼間に誰かしら」

そう思いながらインターホンに出た。

すると、聞き覚えのある声が受話器を通して聞こえてきた。


「麻里〜早く開けてくれ〜あぢ〜よー」

「ええ!将暉?」

ドアを開けると、夫の将暉が立っていた。

「こんな時間に、どうしたの?」

「それより、み、水、冷たい水が飲みたい」

「ちょっと待ってて」

私は冷蔵庫から、まだ開けてないミネラルウォーターのペットボトルを取り出し、将暉に渡した。


将暉はキャップを開けると、一気に飲み干した。


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「こんなに早く、どうしたの?」私は訊いた。

「ちょっと手違いがあって、お客様の自宅まで、お詫びに行って来たんだ。そしたら、帰りに道に迷って、歩きっ放しで、水分補給をしなかったから熱中症になりかけた」

「大変だったね。でも今、エアコンが……」

「あーー!そうだった。壊れてるんだった。どうりで部屋が暑いわけだ」

「いま、電気屋さんは、凄く混んでるから、修理にきてくれるのは、まだ先なのよ」


「そうだろうなぁ。この暑さだもの。

会社に戻る前に家で涼もうと思ったんだけど、仕方がない、職場に行くわ」

「うん、その方がいいよ」


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玄関で靴を履いて、外に出る時、将暉は、

「麻里さ……」と、何か云おうとした。でも

「やっぱ、いいや、行ってくる」

将暉は、うだるような暑さの中、出て行った。

将暉は何を云おうとしたんだろう。

私は気になった。


冷蔵庫に貼ってあるバスの時刻表を見て、私は出掛ける準備を始めた。

区役所行きのバスに乗る。

シャワーのことは、きれいさっぱりと忘れていた。


将暉が帰宅したのは、9時を過ぎた頃だ。

「昼間より、暑さがマシになったね」

将暉は着替えながら、そう云った。


「そうなの、助かったわ」私がそう応えると、将暉は笑顔で頷き、

「あ〜腹が減った。夕食は何かな?」

そう云ってテーブルに着いた。


「あんまり手のこんだものは、作れなかったの。冷製パスタにした」

「いい、いい上等だよ。パスタ好きだし」


私は将暉の前に、ツナと大葉がたっぷり乗ったパスタを置いた。

「旨そう!いただきます」

将暉は、そう云って食べ始めた。


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「あれ?麻里は食べないの?」

「うん、後で食べる」

「ふ〜ん」

「先にシャワーを浴びてくるね」

私はそう云って席を立った。

「麻里がシャワーから上がったら、話しがあるんだけど」

将暉が真剣な表情で私を見ている。


「分かった。私も将暉に話しがあるの」

「うん。いいよ」

私はシャワーを浴びに浴室へ行った。


出てきたら、将暉がベランダで、缶ビールを飲んでいた。

「将暉、上がったよ」

将暉は振り返ると、「うん」と返事をして部屋に戻ってきた。


ソファーに座ると、

「麻里も飲む?」と、訊いた。

私は首を横に振った。


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「話しって何?」私はそう訊いた。

将暉は、少しの間、黙っていた。

「麻里さ、俺に言いたいことがあるんじゃないかと思って」

私は驚いた。なんで知ってるんだろうと。

「なんでも訊くから、話して」将暉は云った。


私は、戸惑っていた。

けれど覚悟を決めて、引き出しから封筒を持ってきた。

それを将暉の前に置いた。

将暉は、「なにこれ。区役所の封筒。開けていいの?」

私は、「うん」とだけで云った。

将暉は封筒から紙を出した。


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紙を広げて、将暉は愕然としている。

「離婚届?」

私は、頷いた。


「離婚って……俺、麻里に何か気に障ることを云ったの?」

「そんなことない」

「俺のこと、嫌いになったから?」

「ううん、好きだよ」


「なら、なんで離婚なの?訳がわからないよ」

「私の……わがままなの」

「わがままって、どんなこと?好きな人ができたとか」


「そんなこと絶対にない!」

私はつい、大きな声を出してしまった。

「俺に分かるように話して欲しい」


将暉は静かにそう云った。


「私は、やりたいことが出来たの。だから、将暉と一緒に居る資格がない」

「やりたいことって、どんなことなの」

「私は、看護師になりたくなりました」

「いいじゃない。看護師」


「だから学校に通いたいの」

「行っていいよ。それと離婚と、なんの関係があるのかが、知りたいんだけど」

「学校に通うには、お金がかかります」

「それくらいの貯金はあるんじゃない」

「私のわがままの為に、大切な貯金を使うわけにはいきません」

「どうしてよ、俺は賛成してるんだよ?」


「将暉が少ない、お小遣いでやってるのに、自分だけ贅沢は出来ない。だからパートで貯めたお金を使おうと思います」

「どうぞ」

「どうぞって、将暉は簡単に云うけど、マンションを購入する為の頭金にする予定だったでしょう?」


「マンションを買うのを、何年か延ばせばいいだけだよ」

「……」

「麻里、よく訊いて欲しい。俺のことを、もっと頼っていいんだよ」

「……頼る……」

「そうだよ、夫婦なんだから」

「最近、麻里の様子が変だなと思ってたから、訊いてみようと思ったんだ。理由が分かって良かったよ」


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なんでだろう。私はいつの間にか、泣いていた。


将暉は続けた。

「麻里が、人に頼ることが苦手なのは、結婚する以前から知ってるよ。

でも、それは麻里が育った環境のせいななのも、分かってる」

私は下を向いて泣き続けていた。


「俺はね、麻里にもっと頼って欲しいんだ。その方が嬉しいんだ」

「将暉は、私が頼るのが、嬉しいの?」

「嬉しい、だってこれでも俺は、麻里の夫だよ?自分の妻にもっと信頼して欲しい」

「迷惑じゃないの?」

「迷惑なわけ、ないでしょう。さっきも云ったけど、俺たちは夫婦なんだ。出来る限り妻のやりたいことを、やらせてあげたいと思ってるよ」


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「だから、安心して学校に通うといい」

私は、頷くことしか出来なかった。

涙が次々、流れてくるから。


しばらくして、電気屋さんがエアコンの修理に来てくれた。


私は春から、看護師になる為に学校に通うことになっている。

もうすぐ本当の夏がやって来る。

それはもう、すぐそこまで来ているんだ。

      (完)





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