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忘れた記憶・覚えのない記憶

「ベネツィアが舞台の映画、観に行ったじゃない?」

「前にも云ったけど、わたしは行ってないの。凛子の勘違いよ」

秋子は、うんざりした様子で、私を見た。


「じゃあ私一人で観たっていうことになるけど。でもあの頃、秋子以外に一緒に映画を観る友達はいないもの」


「凛子は一人で、映画を観まくっていた時だから、そのイタリア映画も、たぶん一人で観たんでしょ」

「だけどさぁ」

そう云いながら、秋子を見たら、
彼女は今にも怒り出しそうになっていた。


「秋子、どこかで珈琲でも飲まない?しつこくしちゃったから、お詫びにご馳走する」


「新宿は凛子の縄張りだから、お店は任せるわよ」

「縄張りって、会社が新宿にあるだけじゃない。落ち着けるお店があるから、そこへ行こう」

横断歩道を渡りながら、私はやはり納得がいかなかった。

あの映画は、小さな映画館で上映された作品だった。


秋子の云う通りで、当時の私は映画を観る為に働いていた。
今度は何を観ようかと、ワクワクしながら、情報雑誌で探す日々。

特にミニシアターで上映される映画を観るのが好きだった。

ロードショーには、程遠い地味な作品を選んでは、ほとんど一人で映画館へ通っていたのだった。


時折私は、かなり興味を引く映画を見つけた時に、秋子を誘うことがあった。

理由は単純で、一緒に観たかったから。
良い物を共有出来る幸せ。
それを感じたかったからだ。


店内は混んでいたが、ちょうど帰るお客がいたので、私達は座ることが出来た。

秋子はメニューを見ながら、
「飲み物の他に何か頼んでもいいかな。お腹が空いちゃった」


「この店のは美味しいよ。お好きなのを、どうぞ」


その後秋子は、ペペロンチーノを食べながら、
「凛子はさ、なんでその映画のこが、そんなに気になるの?」
少し興味ありげに、訊いてきた。


「不思議な映画という印象はあるのに、ストーリーは、全く覚えてないのよ。
だけど、あるシーンだけを何故か
覚えてて。だから映画のストーリーを知りたいの」


パスタを食べ終えた秋子は、ナプキンで口を拭くと、

「その、あるシーンってどんな?」

私は説明した。

ベネツィアの運河で、女性がゴンドラに乗ってると、前から別のゴンドラが近づいて来る。

すれ違う時に、彼女はゴンドラに[棺]が乗っているのを見た。


「暗そうな内容ね」

「そう、暗い映画だと感じた」

その棺には“自分”が入ってた。

「うわ!」

「又は女性の夫か恋人だったかも」

「それも覚えないの?」

私は頷くしかなかった。
実はその女性の服装が、喪服だったような気もするのだが……。

やはり、はっきりしない。


「凛子、大丈夫?デジャヴもあなたは何度も経験してるでしょう」

「……脳の病気」

私はそう云うと、珈琲カップを口元に持って行った。

あ〜久しぶりに来たけど、この店の
水出し珈琲は、いつも美味しい。


「凛子も知ってたんだ。なんか……
ごめん」

「謝らないで秋子。気にしてないから」

「……」

秋子は、それ以上、何も話さなかった。


お店を出ると、バス停が目の前にある。

私はここからバスで駅まで行く。

秋子は50M先の、地下鉄乗り場の階段を降りる。


「じゃあまたね。おやすみ」
そう云って別れた。

流石に11月だなぁ。
来月はもう師走だ。
信じられない、と毎年思う。


まだ6時にもなってないのに、すっかり夜だもの。

私は吊り革に捉まり、外を見ていた。

明治通りを走るこのバスは、一瞬だけ表参道の、有名なイルミネーションを観ることが出来るからだ。


その光景を目にした、高校生の女の子たちが、「きゃあ!」と声を上げる。

可愛い。
クリスマスには、彼氏と来るのかな。

揺られていると、眠くなってくる。

それにしても、これだけの情報社会で、いくら検索しても映画のことは、何一つ出て来ないのって……。
まぁ検索と云っても、殆ど忘れてるんだから当然か。


「本当に、そんな映画あったのかなぁ。私の妄想だったら……」

私は首を振った。

やめよう。考えたくない。

「今夜はYouTubeは観ないようにして、早く休もう」

そう決めて、私は自宅に帰った。


その夜は10時前には寝ていたと思う。
このところ、仕事が忙しくて、かなり疲労が溜まっていた。


夢の中で、私はフィレンツェに居た。
「またイタリアだ」
夢の中で、そう云っている自分。


行ってみたい国の一つではあるけど、凄く憧れているのとは少し違う。


私は一人でゴンドラに乗っていた。


上を視ると、建物と建物を繋いでいるような、橋がかかっていた。

その橋から、私を観ている女性がいる。


「!!……」

私は息が止まりそうになった。

何故ならその女性は、紛れもなく、

     私だ


橋の下をゴンドラが潜る。

橋から出ると、[私が]ニコニコしながら云った。

「待ってるからね。いい所よベネツィアは。髪を切ったの。この方が似合うって、彼が」


彼?彼って誰のことよ。

「じゃあね、チ センティアーモ!」

そう云って、[私が]大きく手を振った。



そこで目が覚めた。
時刻は午前4時過ぎだ。

部屋はシンシンと冷えている。
「トイレに行きたいけど、ベットから出たくないなぁ。うう、さぶい」

仕方ないので私はベットから出ると、ヒーターのスイッチを押し、トイレに行った。

トイレも凄く寒かった。
「隙間があるから冷えるのよね。
今度、大家さんに相談しよう」

まだ起きるには早い。
私はベットに入った。

「あったかい。幸せだ〜」
そして眠りの国へと、私は沈んでいった。



調べてみたら、チ センティアーモ、
とは、「またね」という意味らしかった。



12月に入った。

あの日以来、秋子とは会っていないし、連絡もせずにいた。

師走になったことだし、私は彼女の携帯に電話をしてみた。

微かに音がして、秋子が電話に出たことが判った。

「もしもし、秋子?クリスマスだけど、何か予定あるの? もし無いようなら」


なんだろう……。

何か変だ。



「秋子でしょう?凛子だけど。どうかした?」

すると電話は、無言のまま、ゆっくりゆっくり、切れた。


今のはなに?

何故か震える指で、私はもう一度、
電話をかけた。

呼び出し音が鳴り続けるだけだ。

何故だか怖くなった私は、もう秋子の携帯には電話はかけなかった。

かけることが出来なくなったのだ。


何が起きてるの。

それとも、私が秋子に嫌われた?

何一つ、判らないまま2週間が経った。
長い2週間だと感じた。

このまま年越しするのは、嫌だと思った私は、秋子の家の固定電話にかけてみた。

父親を早くに亡くした秋子は、母親と二人暮らしをしている。

確かお姉さんが、結婚して近くに住んでいると訊いたことがある。


「誰も出ない。昔から留守電にはしないからな。秋子の家は」

それから数回かけたけど、秋子も、
お母さんも出なかった。



そして今日は、
クリスマス・イヴ。


クリスチャンではないけど、教会が好きな私は、近くにあるのに、まだ行ったことのない教会に、出かけてみた。


そこは小さな教会だった。
クリスチャンの人々が、たくさんミサに参加していた。

美しい讃美歌の歌声。

私は中には入らず、外で教会から流れて来る讃美歌を、黙って聴いていた。


 ワンワン ワンワン!


「しー、頼むから静かにしてくれ」

男性が、はしゃぎ回る芝犬のリードを必死になって握っていた。
私と目が合い、お互いお辞儀をした。
なんだか照れてしまう。


「ミサの間、預かってくれと頼まれまして」
照れくさそうに、その人は云った。

「そうだったんですか」

「貴女は教会の中には入らないのですか?」

「私は信者ではないんです。
イヴに教会で、讃美歌を聴きたいだけの、お上りさんでして」


話してて、顔が赤くなるのが自分でも判った。

「あゝ、そうでしたか。そういう方は結構いいらっしゃいますね。クリスチャンではなくても、入れますよ」

「貴方は、教会の方ですか?」


「いえ違います。向かいの家が僕の実家なんです。年に2回帰って来ます。遠くにいますから帰国するのも大変で」

私は頷きながら、訊いていた。


すると、その男性は云ったのだ。

「ベネチアン グラスは、ご存じですか?僕は、ムラーノ島の工房で造っているんです」

「ベネチアン グラスは勿論知っています。美しくて素敵だと思います。けれどムラーノ島のことは知りませんでした」


男性は嬉しそうに、教えてくれた。
「ムラーノ島は、ベネチアから、水上バスで10分程にある島なんです。ガラス工房の島と呼ばれています」


またベネチアが出てきた。

「そうだ、ちょっと待っててもらえますか。直ぐに戻りますから」

男性は芝犬を連れて、傍の家に入って行った。


あの家が彼の実家なのね。

5分も経たない内に男性は、戻って来た。

「まだ半人前ですが、これは最近造りました。よかったら貰ってください」

そう云って、私に小さな箱を渡した。

「本当に、いいんですか?会ったばかりの私が受け取っても」

「お袋にも、もう要らないからね。と
云われてしまって。
何十個もあげましたから当然ですが」


「奥様とか、彼女さんとか」

「いません。モテないですから僕は。あの……クリスマスプレゼントだと思って貰えたら」

堂々と、自分はモテないと云う彼が可笑しくて、私は受け取ることにした。

「クリスマスプレゼント嬉しいです。私は森谷凛子といいます」


「僕は野々村晴彦といいます。箱、開けてみてください」

私は頷くと、蓋を開けた。
「わぁ!素敵。ペンダントヘッドですね。薄紫色に少しだけ緑が入っててキレイ。ありがとうございます」


「森谷さんに、そう云ってもらえて、僕も嬉しいです。ありがとう」

「日本には、いつまで要られるのですか?」

「正月は日本で過ごして、5日にイタリアへ戻る飛行機に乗ります」


教会から、ミサに参加した皆さんが出て来た。

その中の一人の女の人が、芝犬に
駆け寄って来た。

「ゴンちゃん、寂しかった?ごめんね〜」

芝犬も尻尾をブンブン振りながら、その女性の顔をペロペロと舐めている。


「晴彦さん、助かったわ。ありがとう」

「いえいえ。だけど明日はゴンちゃんは連れては来ないんですよね」

「大丈夫よ。お留守番してもらうから」

その女性は、チラッと私を見て、

「晴彦さん、彼女が出来たのね!
二人に祝福がありますように。
さ、帰りましょうゴンちゃん。
お先に失礼します」


「なんか……すみません。僕の彼女にされてしまって」

「こちらこそ、私なんかが。すみません」

「あの、良ければで構わないので、
携帯の番号を教えて貰えたら」

「私も野々村さんに教えて貰えたらと思ってたんです」

無事に交換を終えて、私達は別れた。


私は、その脚で実家に帰った。

ケーキとチキン目当てで。
なんて。たまには顔を出しさないと心配するからね。


「ただいま〜」

「お帰り凛子。寒かったでしょう」
「たくさん着込んでるから、そうでもなかったよ。お父さん、ただいま」

「おう、お帰り。元気そうだな」
「うん、元気よ。ただ友達がね」

「友達がどうかしたのか?」

「よく判らないのよ。連絡がつかなくてね。お母さん、何か手伝うよ」

「冷蔵庫から飲み物を運んでくれる?それで全部揃うから」

私は云われた通りにジュースとワインを炬燵に運んだ。


テレビでは、世界のクリスマスの様子を中継している。

世界中が平和なクリスマスを過ごせるようになって欲しい。
ニュースで戦場を目にする度に、切に願わずにはいられなくなる。


その時、お母さんが話したことは、
私にとって、かなり衝撃的な内容だった。


お母さんが、まだ独身の時に会社帰りに寄った映画館。

「同僚の人で、かなりの映画好きな人が居たのよ。その人に誘われて一緒に映画を観たんだけど、なんだか暗い内容だったのと、眠いのとで、ほとんど覚えてないのよ」

「母さんは、イタリアの風景を見る度に云ってるな」

「だって気になるのよ。今更だけど」

テレビの画面には、ベニスの運河が映っていた。

「お、お母さん」
「なに?真剣な顔して」

「その映画のこと、私に話して訊かせた?」

「なんなのいきなり。でも……凛子をおんぶして、家事をしながら、話してたかもしれないわね」

「そんな小さな頃から!」

「わたしだってハッキリとは覚えてないわよ。凛子が小学生の頃かもしれないし」


私は脚を炬燵に入れたまま、力無くカーペットに寝転んだ。


映画を観たのは私じゃなかった。
お母さんだったんだ。

しかも寝ながら観てたから、ストーリーなんて、まともに覚えているわけがない。

それが、そのまんま私の記憶になってたんだ。


でも、何故こんなにも、私にベニスの情報が入って来るのだろう。


「あれじゃないですか。『引き寄せ』とかいう」
電話の向こうから晴彦さんが云う。

「引き寄せ」

「そう。凛子さんかなり、イタリアというかベネツィアのことを考えてることが多かったわけだから。その映画のために」


「判る気がします。本当に引き寄せられるんですね。びっくり」

「量子力学でも証明されてますからね。僕が凛子さんと出会えたのも、凛子さんに引き寄せられたのかも。ベネツィアですから。判らないけど」


「でも、ようやく謎が解けました。
なんだか虚脱してます」

「それと、凛子さんの友達のこと、心配ですね。まだ連絡取れないんでしょう?」


「そうなんですよ。年内に秋子の家に行ってみようと思っています」

「優しいですね凛子さんは」

「そんなこと無いと思いますが。
でも意地悪ではないです」

晴彦さんの笑い声が訊こえた。

とにかく良かった。
あとは秋子のことだ。


あちこちの家で、大掃除が佳境に入った26日。

突然、秋子から電話がかかってきた。


「秋子、どうしてたの。電話には出ないし。凄く心配してたのよ」

 グス……


「泣いてるの?話せるようなら、話して。無理ならいいから。とにかく秋子の声が訊けて、ホッとした」

「凛子、わたし、ハ……」


「秋子?無理しなくていいから」

「ううん!誰かに訊いてもらいたくなったの。自分だけで耐えてたんだけど、もうヤダ」


「うんうん。何でも訊くから。一人で苦しまないで話して」


「ハゲちゃったのよー!前々から
薄くなった気はしてたんだけど、
気のせいかもって思ってたの」

「うん」

「そしたら、全体的に髪が抜けて、
頭皮が見えるようになったの」

「病院には行ったんでしょう」

「行ったわ。だって、だって、後頭部から頭頂部まで、地肌が見えるようになってしまったの」


「げ、原因はなんだって。医師はどう云ってたの」

「『びまん性脱毛症』だって」

「びまん」

「全体が少しずつ抜けるから、気付くのが遅れることが多いんですって。もうやだ〜」

グスン、ウッウッ

「治るんでしょう?治療法あるんでしょう」

「……生活習慣の改善。過激なダイエットや、大量のアルコールの摂取は禁止。ストレスを溜めないようにすることですって」

「全部、秋子に当てはまってる。
この際だから健康的な生活にしよう」

「簡単に云うけど、私が太りやすい体質なのは知ってるでしょう?
普通のダイエットしたって痩せないから、過激になるのに」


「いくらでも不満や愚痴を、私が来年も訊いてあげるから、心配しないでいいよ」

「来年? ホントだ。今日って26日なのね。掃除もしてない」


「そうだ。お母さんは元気?」

「すっごく元気。カラオケやら旅行で、ゆっくり家にいたことがないくらいよ」

「それなら良かった」

「少しは掃除しないと。電話切るよ。佳いお年を迎えてね凛子」

「秋子も佳いお年をお迎えくださいね〜」


やれやれ、良かった良かった。

「凛子、あなた自分のアパートは、
掃除はしたの?大掃除」


「今年はいいかなって思って」

「何がいいかなよ。いったんアパートに戻って、掃除してらっしゃい」

「え〜。は〜い、判りました」


私は重い足取りで実家を出た。

掃除は嫌いなのに。


  チ センティアーモ!


「えっ」

      了


























































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