【詩】 老婆
その老婆は、黒い衣装を身にまとい、
一日中、砂浜に座り、ただ海を見ていた。
毎日、その光景は変わることがない。
楽器を持った男性が教えてくれた。
「彼女の息子が舟で海に出てから、何十年と、変わることなく、毎日ああして海を見てるのさ」
陽が落ちて、辺りはだんだんと暗くなってきた。
一人の女性が老婆の隣に座り、優しく抱きしめた。
けれど老婆の視線は真っ直ぐに沖に向けられている。
男性が楽器を演奏しはじめた。
限りなく丸に近いその楽器は、ポルトガルギターというらしい。
ギターの音に合わせて、女性が唄い出す。
哀しく切ないファドを……。
アマリア・ロドリゲスの唄を聴いて、わたしはこの国を訪れた。
時折、波の音が、その歌声を、かき消してしまう。
ファドとは“宿命”と、いう意味だと教えてもらった。
真っ暗な中、ファドが流れた。
わたしは、いたたまれなくなり、その場を離れた。
ただ祈りたかった。
でも、何を祈ればいいのか分からない。
ましてや、“宿命”の意味など分かるはずもない。
歩くわたしの背中に、海だけしか見なくなった老婆の目が突き刺さる。
それは、わたしの心臓にまで達していた。
何かを捨てるために、ここまで来た。
けれど、新しい何かを拾ってしまったようだ。
了
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