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きれいごと

「鏡子がさ、最後に俺に云ったんだよ」

「なんて」

「『友樹なんか、本気で人を愛したことないくせに』って」

「なるほど」


「……俺振られたんだぜ」

「知ってるよ」

「お前、友達だよな、涼」

「今はそうだと思う」


「今はって、何だよそれ」

「先のことなんて判らないだろう?」


それを訊いて俺は何を注文するかが決まった。

「オヤジ、ロースカツをダブル!メシ大盛りな」

「あいよ」


大学生の頃に、よく通った定食屋に俺は来ている。
“いま”は友達の涼も一緒だ。


「話しがあるんだろ。訊くよ」
涼は壁に貼ってあるメニューを見ながら、そう云った。

俺はさっきのやり取りで、話す気が失せていた。

「やっと決まったわ。オレはミックスフライ定食にする」


「すいませ〜ん。ミックスフライ定食一つ」

「あいよ〜」

「決まった途端に腹が空いてきた」

勝手に腹を空かしてろ。

こんな奴、連れて来なけりゃよかった。
俺は涼を誘ったことを、心底後悔していた。


「学生街って、なんかいいよな。オレの通ってた大学なんて、周りには畑しかなかったよ。だから憧れてたんだ、学生街」

あ、そ。

「お待たせしました。ロースカツ定食のダブルと、ミックスフライ定食です」

バイトの子かな。可愛い。
さてはオヤジの好みで採用したな。


「うまそ。いただきま〜す」

涼はそう云って、エビフライを食べ始めた。

サクサクいい音が訊こえる。

「友樹も早く食べろよ。せっかくの揚げたてなんだから」

お前に云われなくても、食うさ。
ほっとけよ。

俺はロースカツに醤油をかけた。


「え、え、え〜!カツに醤油をかけるのか、友樹、変わってんなぁ。普通ソースだろう」

「大きなお世話だ。俺は醤油がいいんだよ」


涼は何か云いたげだったが、やめたらしい。

エビフライの続きを食べ出した。


俺らは20分かからずに完食。

流石に腹がいっぱいだ。

「ミックスフライ定食は神」


一昔前の言い方だよ。神って。

「それで友樹は話す気になったのかな」

「そのことは、もういい」

「なにいじけてるのさ。話せばいいじゃない」


「友達かどうかも定かではない奴に話したくない」

「今は友達だと云っただろう?」

「……」


「お子ちゃまだな、友樹は」

「失敬だな。俺のどこが、お子ちゃまなんだよ」

「一度相手をいい人間だと思ったら、その人間はずっといい人だって友樹は思うんだろう。だが現実は違う。信じていた相手は何をきっかけに、自分にとって悪い人に変わるかわからないってことだよ」


そう話す涼を、俺は何も云わずにただ見ていた。

正確には、何も云えずにだが。


俺と涼は会社の同期だ。

特別、気が合うわけではないが、何となく話しをするようになった。

俺は、40歳が目前になったいま、急に不安になることが増えた。
先のことが色々。

こいつは、そんなこと、絶対に考える性格じゃないだろう。
そう思っていた。


だが、涼の奥さんの不倫が発覚。

その上、離婚をして欲しいと火中の奥さんの方から嗾けられ、涼は離婚した。

一人娘は奥さんが親権を得て、涼は娘さんにも会えなくなってしまった。

悪いのは不倫をした奥さんだぜ?

それは明確なのに、涼は奥さんの意見に、いっさい逆らうことなく、別れた。


何でだ、と俺が涼に訊いた時、やつはこう云った。

「オレより不倫相手を好きだと云う家内に、何を云えばいい」


俺のような漠然とした不安より、涼は現実に、愛する妻から一方的に別れを告げられたのだ。


涼は、俺の顔を見て何を思っているのかを察知したらしい。
勘の鋭いやつだから。


「友樹、お前は自分の悩みと、オレに起きたことを比較しただろう。
比べることなんて出来ないのに」


「そりゃあ涼の方が俺なんかより」

「違う違う、それがもう違ってるんだよ。何でもかんでも自分と人とを比べること自体が、そもそもおかしいと思わないか?」

俺は何も云えずにいた。


「AとBに同じ5㎏の荷物を持たせた場合に、Aは案外軽いなと感じても、Bの方は、かなり重いと思ったかも知れない。人の捉え方とは、そういうものなのに、比べるなんて変なんだよ」


SNSがここまで普及して、それは良いことも多いけど、今はよくないことの方が多くなってしまってると
俺は思っている。


目に見える世界より、書いた相手の顔も名前も、下手したら性別だって嘘もつけるかもしれない。

そんな世界の中で、人々は勝手なことを書くことが出来てしまうんだよな。


[軽い気持ちで書いただけ]

そっちはそうでも、深く傷付けられた方の気持ちは、下手すると取り返しのつかないことだってある。


「なぁ友樹。転んでも、また立ち上がればいい。よく云われる言葉だけど、オレは立ち上がれた人は偉いみたいな美談は嫌いだ」


涼の云ってることに、俺も同感だ。

じゃあ、立ち上がれなかった人は、
どうなんだ。
それは恥ずべきことなのか。


涼は云う。

「現実は、立ち上がれなかった人間には、やり直しなんかさせては貰えない。残酷だが事実だ」


外見が美しい人より、心の綺麗な
人の方が好き。

学歴なんか関係ない。

幾つになっても夢は叶えられる。
年齢なんて関係ない。


「ところで鏡子さんが云った“人を愛すること”だけど、どんな気持ちが、“愛してる”“大好き”“かけがえのない人”に当たるのか、なんてオレには判別が、つかないよ」


「俺が涼に訊きたかったのも、それだった。でももういい。その三つに境界線が有るのか無いのかすら判らないし」


涼は俺の話しを訊いて、静かに頷いた。

「生きてくって苦しいんだって思った方が逆に肩の荷が降りた気になるよ」

そう、俺は続けた。

「こんな世界の中で、頑張ってるなぁ俺は」

そう云って俺と涼は笑い合った。

ジャッジされてばかりだけどな。

けれど涼。

俺には今のお前は、ただ諦めたヤツに映るんだよ。

やけになって何もかも、どうでもいい。
そう思っているようにさ。


「会いたいんだろ。娘さんに」

涼は一瞬、動揺したように見えた。

「父親の涼には、娘に会う権利があるのに別れた奥さんに、会わせないと云われたからって、そんな馬鹿な話しがあるかよ」


「別れた家内は、時期に不倫相手の男と再婚する。娘は新しい父親に、早く馴染んで欲しいし、可愛がって貰う為にも、オレは娘に会わない方がいいと思ってる」

涼は奥さんのことを、愛していたんだろう。娘のことも。
だからって大切な人のこと全部を、どうでもいいと投げ出すのとは少し違うと俺は思う。

だいたい娘はどう思っているのかを、お前は知ってるのか涼。


「俺は、諦めてはいけないことってあると思う。ニヒリストになったわけじゃないなら」

「えっ」

そう声を洩らした涼の顔が、何だかマヌケな表情に見えて、俺は危うく笑いそうになった。


「涼だけで奥さんに話しても、難しいようなら弁護士に間に入ってもらってでも、涼には自分の権利を訴えて欲しい。自分の価値を低くしないでくれ。頼むから」


「オレの価値……」

呟くように涼は云った。

そしてテーブルの上で組んでる手を、見つめた。

瞬きもしないで、じっと、ただただ見ているんだ。


「娘さん、確かまだ小学生だったよな。きっと戸惑っていると思う。
不安も感じてるだろう。涼が、、娘さんのことを、相手の男と上手くやって欲しい。男には娘さんを可愛がって欲しいと思うのなら、娘さんの気持ちをちゃんと訊いてあげて、不安を少しずつ無くしてあげた方がいいんじゃないかな」


涼は何も云わない。

俺ももう何も云うつもりは無い。


暫くたって、涼は、

「可愛いんだ俺の娘」

そう云うと、テーブルの上に涙が落ちた。



半月が過ぎた頃に、涼は娘さんと会ったと、嬉しそうに俺に話してくれた。

娘の動揺が薄らぐまでは、寄り添っていたいとも。


「ところで友樹は鏡子さんのことは、どうするつもるなんだ。好きなんだろう?だったらもう一度、彼女に友樹の想いを伝えた方がいいに決まってる。連絡してみたら?」


「だけど俺は鏡子に振られたんだ」


(本気で愛したこと、ないくせに)


「鏡子さん、お前に本気で愛されたいんだと思う」

俺に、本気でーー。

「連絡してあげたらいいんじゃないかな。鏡子さん、きっと」

それこそ、きれいごとじゃないか。
涼にそう云ってやる。
そう思った。



「ピンク色の海と空。きれいねぇ」


いま俺は、鏡子と、もうすぐ始まる夏を見つけに、海に来ている。


嬉しそうにはしゃぐ鏡子のことが
俺は、世界の誰よりも愛しい。


      了




















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