お願いだから貸してくれ 5話
私が銀行から戻ると、ちょうど店から、お客様が出て来るところだった。
お年寄りの女性である。
「ただいま」
「山根さん、お帰りなさい。
銀行は混んでた?」
「けっこう混んでました」
「やっぱり25日ね〜」
川谷さんは、私が差し出した通帳を受け取りながら、そう云った。
「今、店から出て来た女性のかたも、やはり住むお部屋を探してるのですか」
「山根さんは、あのお客様は、初めてでしたっけ」
私が「はい」と返事をすると、川谷さんは、
「あ、そうか。あのお客様が前回いらしたのは月曜日だったから、山根さんは、休みでいなかったんだ」
そう云った。
「エクレア食べます?」
「食べる。何の話しだっけ。
そうそう、さっきの人はね、
占いをしている女性で、借りた部屋で、仕事をしたいんですって。有名な人らしいわよ」
「へえ。占い師さんですか。
そういえば、YouTubeを見ても、占いとかのチャンネルって、たくさんありますよね」
「好きな人、多いわよね。女性は特に。エクレア頂きます」
「どうぞ」
「占いねえ。女の子は好きだよね、占い。血液型とかも」
涼介は、夕食を食べながら、ほとんど関心がなさそうだった。
私は涼介の持つ能力のことを考えていた。
彼は自分にある、その力を本気で嫌いみたいだ。
「もったいないなぁ」
「え、なに?」
「ううん、なにも」
私は夕食を食べ終えた涼介の食器を洗いながら思った。
涼介が、あれほど嫌いになったのは、何が理由があるのではないか。
翌日、川谷さんがお休みの火曜日。
私は一人、店で仕事をしていた。
後から社長が来る予定だ。
席を立ち、ファイルを取りに行こうとした時だ。
「こんにちは。川谷さんは、いますか?」
その人は、占いをしているという、あの女性だった。
「申し訳ありません。川谷は、休みを頂いておりまして」
「そうですか。この間、印鑑証明を用意するのを忘れてしまって、いま持って来たのですが」
「ありがとうございます。私がおあずかりして、明日、川谷にお渡ししますが、それでも宜しいですか」
「そうして貰えると、助かります」
私はその女性から、封筒を預かった。
「少し休ませてもらっても、いいかしら。齢のせいか、直ぐに膝が痛くなってしまって」
「もちろんです。ソファーで、ゆっくり休んでください。いまお茶をお持ちしますので」
「ありがとう」
女性は、ソファーにゆっくりと、腰を下ろした。
いつもの狭いキッチンで、私は紅茶を淹れることにした。
フォションの紅茶が私は好きだ。
好きというだけで、紅茶に詳しいわけではない。
ずっとイギリスの紅茶だと、
思っていたくらいだ。
(正解はフランスだった)
私はお客様に、どうぞと云うと、ティーカップを置いた。
「あら、嬉しい。紅茶は大好きなんですよ」
お客様は、子供のような笑顔になった。
「少しだけ、お話ししたいのだけど」
「私とでしょうか」
彼女は頷いた。
私は向かいに座った。
「ありがとう。わたしは、
平良カナエと申します」
「山根栞菜です」
「栞菜さん、もしかしたら、ご主人は霊感をお持ちの方ではないですか」
え、なんで……。
「驚かせて申し訳ありません。栞菜さんを見ていると、
まだ小学生の男の子が、泣いている姿が浮かんで来るの。
たぶん栞菜さんの、ご主人ではと思ったものですから」
話そうと思っても、言葉が出ない。
どうしたんだ私は。
涼介は、パン教室に向かう電車に乗っていた。
窓から見た空は、もうじき完全に陽が沈む色をしている。
(山根って気持ち悪い)
(こいつ、人間じゃなくて
化け物だぞ)
(何でも見えてて、キショイ)
(近づかないようにしないと、呪われるぞ)
ボクは呪ったりしない。
ボクは化け物なんかじゃない。
ボクはキシュクない。
ボクは。
ボクは。
爺ちゃんのせいだ!
全部、爺ちゃんがいけないんだ!
こんなのボクは要らなかったのに。
ピシャッ!
お母さん、どうしてボクを打つの?
ねえ、どうして。
「涼介、お爺ちゃんに、謝りなさい」
「なんでだよ。ボクは仲間外れにされてるんだよ。
こんな変な力のせいで!」
「言い訳しないで、謝るの!」
「言い訳なんかじゃない。
本当のことなのに」
僕の目から、涙がポロポロ落ちた。
「爺ちゃんも、お母さんも
大っ嫌いだ!」
どこ行くの。
もう真っ暗になるわよ。
涼介。
涼介!
ガタタン ガタタン ガタタン
「着いた。さぁ今日も美味しいパンを作るぞ」
平良さんは、紅茶を飲み終えると
「きっと、ご主人は辛い思いをして来たのだと思います。
ずっと泣いていますから」
そう云った……。
「栞菜さんで良かった。ご主人はきっと、そう思っているはずです。わたしも、そう思います」
涼介、ごめんなさい。
私は何も分かってなかったね……。
「今日のパンも、最高の出来栄えだ。僕は自分の才能が怖い。栞菜も好きなパンだ。
だけど、カロリーの壁が立ちはだかる。どうする栞菜」
「ただいま帰りましたよ〜」
「涼介、お帰りなさい。お疲れ様でした」
「……どうしたの」
「どうしたって何が」
「出迎えに、愛を感じる」
「なによそれ。いつもは感じないってこと?」
「感じるよ。感じるけど。それは僕にではなく」
「涼介、云わなくていい」
「いや、云うぞ。いつも感じるのは」
「云わないで」
「キミのパンへの愛だああ」
私は不貞腐れた。
すごく傷付いた。
深く傷付いた。
とにかく傷付いた。
流石に、云いすぎたかな。
涼介はどうしようと悩んでいた。
「栞菜さん、あのね」
「……なによ」
やっぱり怒ってる。
しかし、今更仕方がない。
「今夜のお土産は」
私は黙って目を閉じている。
「シナモンロールなんです」
私は紙袋を、引ったくると、
キッチンへと走ったのであった。
涼介は、暫く立ち尽くしていたらしい。
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