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止まない雨

ドライブが好きだった。
例え今日のような雨の夜でも。

運転している駿の方は、緊張しているだろう。
集中力も普段より必要になるだろうし。


「うわっ!危ない!」

駿は慌ててハンドルを大きく切った。

体が大きく傾いた私は思わず目を瞑った。

バックが足元に落ちた。

前方にはコートを着た男性が、よたよたと道路を渡っていた。


「勘弁してよ。横断歩道も無い道路を、左右の確認もせずに渡るってさ〜。
しかも逆光で見えずらいのに、黒のコートを着てるし」


「あの人、酔ってるね」

「歩き方がそうだよな。だけど何かあったら悪いのは、運転してた俺になるんだから」

私は黙っていた。

駿は飲みかけの、缶コーヒーを口にした。
だが空だったようだ。


「柚、この先にマックのドライブスルーがあるから、寄ってくね。喉がカラカラで」

「うん、私も何か買うわ」


今夜のような、雨の日はドライブスルーを利用する人が多いらしく、
何台も並んでいる。

やっと私たちの番になった。

駿はコーラを、私はマックシェイクのバニラを注文した。

品物を受け取ると、車はゆっくり動き出した。

大通りも、かなりの混雑だ。


ようやく流れが止まり、駿の車は大通りに出ることが出来た。

「やれやれ」

彼がコーラを飲もうとしたら、信号が青に変わった。


「飲み損ねちゃったよ」

心底、残念そうに話す駿が、何だか可笑しかった。

「柚、笑ってるだろう。本当に喉がカラカラなんだぞ、こっちは」


「ごめんごめん。もう笑わないから」


  ドンッ!ドンッ!ドンッ!


「あっ!」私は咄嗟に声を上げた。

「えっ?どうしたの?」

駿は何ごとかと私を見た。

まさか……駿には訊こえなかったの?
あんなに大きな音が。


「いま何かが車に、ぶつかったような音がした」


「なんだって!」

駿はそう云うと、急いで車から降りた。
私も外に出ると、2人で、異常はないか、注意深く周辺を見て廻った。

ずぶ濡れになろうが、それどころじゃない。


「焦ったよ。人を跳ねてたらと思って血の気が引いた。人もバイクも無いし、俺の車も凹んだり傷が着いたりしてないや。 助かった」


(それじゃあ、さっきの音は、いったい)


プププーー!  プッププププ〜


見ると信号が青になっている。

私たちは、後続の車に、頭を下げながら車に乗り込んだ。



座席に座ると、ストローを咥えた。シェイクを啜り、私は黙って外を見た。

最初は雨粒だったはずだ。けれど本降りになった今、窓ガラスはホースで水を浴びせかけたようになっている。


外を見てると云ったが、実際は何も見えない。
街中の、全ての灯りは、ぼやけて形も判らず、幾つもの色が混ざり合って、本体が何なのか、もはや見分けなどつかない。


 (ドンッ!ドンッ!ドンッ!)

あれは何かが車にぶつかった音だった。それも一度じゃなかった。

まさか……人間。

でも誰も居なかったし。


「柚、いつものスーパーに寄る?
惣菜でも買おうか。
今から俺んちで料理を作るのも面倒だろう?疲れてるだろうし」


駿と私は同じ会社に勤めてる。
付き合うようになって、数年になる。

今夜は駿のところに泊まる日だ。
この時は、私が料理を作ることにしている。

作るのが嫌なわけじゃない。
けれど疲れてるのも本当だった。

そんな私を見て、駿は、
「よし!今夜は贅沢をするぞ」

「贅沢?」


駿は笑顔で私を見ると、頷いた。

「この時間だと、半額以下になってる商品も多いだろう?普段は中々、手が出ない品を買うんだよ。いい案だろ」

「確かに。あの店は、高くて、手が出ない品が多いし。でも開いてる店は、あそこしかないんだし。うん!贅沢しよう!」


「よっしゃ!俄然闘志が湧いてきた」

私たちは笑いながら、土砂降りの中、富裕層御用たしの高級スーパーに向かって車を走らせた。


閉店30分前の店内には、思ったより人が入っていた。

商品を見て廻っていると、自分が空腹だったことに気づく。


ゆっくりと店内を歩いてみる。

大好きなサーモンだ。美味しそう。

あ、スモークチキン!これにしたいけど値段が書いてない。


「決まった?」

にこにこしている駿がいた。

「まだなんだ。駿は決まったようね」

「うん。この3品にしたよ」

カゴを見ると、手巻き寿司に焼き鳥、それからローストビーフサラダが入ってる。

「全て半額か、それ以下だ。へぇ。
上手に選んだね」

「でしょ。柚も早く決めた方がいいよ。閉店しちゃうから」

「うん」


ロースト、ビーフ……。



「柚、よく頑張ったな。たいしたもんだ」

「本当にね。担任の先生から、ワンランク下の高校にした方が無難ですよと云われても、柚は志望校を変えなかったもの」


「お母さん冷や冷やしたでしょう」

「それはそうよ。信じてはいても、万が一って思うわよ」


「そろそろ乾杯しよう」

「そうね。ビールとジュースを持って来るわ」

テーブルの上に、たくさんのご馳走が並べられた。

「すごいご馳走。高校に受かったくらいで、大袈裟だよ」


「ハハハ。貰い物がほとんどだ。な、母さん」

「そうなのよ。感謝しなきゃね。さぁ食べましょう」


「柚、高校合格おめでとう」

「ありがとう」



「どれから食べよう。迷っちゃうな」

「竜田揚げは、まだ温かいわよ」

「竜田揚げ大好き!いただきまーす」

「このローストビーフは会社の部下からだよ」


「え〜!なんだか申し訳ない気がしてきた」

「美味いぞ。食べてみろ」

「会社の皆さん、ありがとうございます。頂きます」


口に入れて驚いた。
ローストビーフって、こんなに美味しかったっけ。

父のビールも進んでる。


私はつくづく、幸せ者だと思った。

高校に行きたくても、就職せざるを得ない子たちも多くなった世の中で。


その時、電話がかかって来た。

どうやら、大学生になってから一人暮らしを始めた姉からのようだ。

駅に着いたから、これからバスに乗るからということだった。


それを訊いた父は、
「俺が迎えに行くから、駅で待つように伝えとけ」
そう、お母さんに云うと、車の鍵を手に、玄関に向かった。


「だめだよ、お父さん。ビールを飲んだでしょう。飲酒運転はだめ」

しかし父は
「車なら10分もかからないんだ。
直ぐに帰るから」


そう云って出掛けてしまった。

私は胸騒ぎがした。

そして……それは当たってしまったのだ。


姉は父の車には乗らなかった。

「お父さん、お酒臭いわよ。何で車なんて運転したのよ。
私はバスで家に行くからお父さんも、車は駐車場に停めて、タクシーかバスで帰って来てね。危ないんだから」


父は、せっかく迎えに来たのにと、
不機嫌になったのだと思う。

姉の忠告を無視して、1人車で帰宅することにしてしまったのだ。


たぶん、スピードも出ていただろう。

そして……帰らぬ人になってしまった。

しかも歩道を歩いていた女の子を道連れにしてしまった。


飲酒運転は全てを無くす。

母と私は引っ越すことになった。

姉も家計を助ける為に、一人暮らしを辞めて、家に戻った。




家のお風呂が壊れてしまった。

修繕費がかかるので、暫くは銭湯通いだ。

私の好きな番号は、空いてるかな。

暖簾をくぐり、靴箱を見る。

「やった!35番が空いてる」

靴を入れると、脱衣所に入る。

「こんにちは」


「柚ちゃん、いらっしゃい。今日はね混んでるのよ」

「へぇ、何ででしょうね」

お金を払うと、脱いだ服を入れる籠を探した。

「本当に混んでるんだ。空いてる籠が見つからない」


キョロキョロと見渡すと、ようやく、一つ空の籠が見つかった。

「助かった」

そう思いながら、私は服を脱ぐと籠に入れた。


そしてタオルやシャンプーを持って、サッシのドアを開けたら、小さな女の子が、裸で飛び出して来た。

「里奈ちゃん、走るんじゃないの。危ないでしょう?迷惑にもなるのよ!」


その子の母親と思われる、女性が
私に頭を下げた。

私もお辞儀をして、風呂場に入った。

ザッと体を洗って、湯船に入る。
混んでるなぁ。

そう思っていたら、女の人同士の会話が耳に入った。

どうやら、幼稚園の園児たちと、保護者で、少し遠出をしたらしい。


なるほど。だから混んでるのね。

自宅のお風呂より、銭湯の方が、広くて気持ちがいいものね。

私はお湯から出て、空いてる場所を探した。

すると、1人のお婆さんが、手招きをしている。

ホントだ。1箇所だけ空いている。


私は、お婆さんの隣に座ると、お礼を云った。

髪から洗う。
気持ちがいい。

鏡を見ると、お婆さんがにこにこして、私を見ていた。

そして、か細い声で、こう云った。

「お嬢さん、嫌でなかったら、背中を洗って貰えるかしら」


私は驚いたが、
「いいですよ」
そう云って、お婆さんの後ろに椅子を持ち移動した。


タオルに石鹸をたくさん付けて、私は背中を洗った。
痩せ細った背中だった。

鏡を見ると、お婆さんが泣いている。


「すいません。痛かったですか」

私の言葉に、お婆さんは首を振り、
「とても気持ちがいいですよ。どうもありがとう」


私は元の位置に戻ると、自分の体を洗うことにした。

その時、お婆さんは云った。


「お嬢さんは、雛子のお友達なんでしょう?」

「え……」


「毎回、月命日になると、雛子が事故に遭った場所に花束を置いてくれて。本当にありがとう」

「……」


「私はお嬢さんの姿を見て、後をついて行ったの。お礼がいいたくて」

「お……れい」


「そしたら、この銭湯に入って行ったから、お嬢さんと話しがしたくて、支度をしてここに来るようにしたの」


「わ、たしに、会う為に」

「そう。ようやく会えたわ。雛子が会わせてくれたのね」

私は自分の体が震えてきたのが判った。


「すいません。先に上がります。本当にすみません」

私は急いで脱衣所に行き、ほとんど体を拭かずに服を着た。

番台のおばさんが、驚いていた。


そして外に出て、靴箱を開けようとしたが、手が震えて上手く札が入らない。

やっと開けることが出来で、中から靴を取り出すと、踵を踏んだまま、
道に出て、早足で歩いた。


お婆さん、私は貴女のお孫さんの友達ではないんです。

雛子さんの、命を奪った人間の娘です。


 【ドンッ ドンッ ドンッ】


またこの音だ。

[柚さん、雛子です]

「雛子……さん」


[はい。そしてこの子は、私が結婚したら、生まれてくる予定だった子供で、この小さな子は、私の孫になるはずだったのよ]


「雛子さん、私の父のせいで……。
申し訳ありませんでした」

「今更、謝られてもね。ただ私は貴女に知っておいて欲しかったの。お父さんは、私1人を死なせたわけじゃないことを」

「は……い」


「私の子供も孫も、生まれて来られなかった。
その先も、命を授かる予定だったたくさんの人間が、みんな……」


そう云って、雛子さんは涙を溢した。

私の父が、取り返しのつかないことをしたのは、痛いほど判っていた。謝ることしか出来ない自分はもう、意味のない出来損ないなだけの存在でしかない。


「生きてください。どんなに
重い荷物でも、背負って生きてください。貴女のお父さんの代わりに」


それだけ云うと、雛子さん達は、
夕闇が、直ぐそこまで迫っている中へ、段々と透明になって、消えた。

私が答えを見つけるのは、いつだろう。
答え?そんなものありはしない。
雛子さんの云う通り、生きることしか私には残されてはいない。

どんな暗闇の中でも……。
この日、私には、自分の人生は無くなった。 


      了














































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