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さようなら

(二人がこのベンチに座ることは、
もう、ない)


「奏恵ちゃん、まだでしょうか」

玄関で待つ、祐介が催促をする。

「あぁ、ごめん祐介。髪がまとまらないの。時間がかかりそうだから、家に上がっててくれる?」

やれやれといった顔で、祐介は靴を脱ぐとリビングに行き、ソファに腰をおろした。

「本当にごめんなさい」

「奏恵の癖毛は、かなり酷いからね。仕方がないさ。慌てなくていいよ」

祐介はリモコンを掴むと、テレビをつけた。


ワイドショーで、他国の戦争のニュースを取り上げている。

「戦争なんてするべきじゃない。だが、それによって、儲かる奴らがいる。クズどもが」


「お待たせ祐介。なんとか形になったみたい」

そこには、すやすや寝ている祐介がいた。

奏恵は、つけっぱなしのテレビに目を向けた。

悲惨な映像が映し出されている。

鼓動が早くなるのが判り、奏恵はテレビを消した。


「祐介、寝てるところ悪いんだけど、
出掛ける支度が出来たよ」

祐介は、眠たそうに片目を開けた。

済まなそうな顔をした、奏恵が映った。


「髪型、ばっちりだね。じゃあ行こうか」

この日、二人は久しぶりのデートだった。
お互いに仕事が忙しくて、会えない日が続いていた。


「青空が気持ちいいね」
「うん、文句なしにデート日和だな」

祐介は深呼吸をした。

「気持ちがいいから、奏恵もやってごらん」

祐介に、そう云われて奏恵も大きく深呼吸を三回やった。

「本当、気持ちいい。肺が広がる感じ」

祐介は満足そうな表情を浮かべた。


「ところで、アウトレットで何を買うの?」

「GAPでセーターを、Zoffでメガネを買いたいのよ」

「GAPなら僕もシャツを買いたい。
メガネって、奏恵は視力がいいのに」

「その視力が、最近下がったらしくて、見ずらいの。たぶんPCとスマホのやり過ぎが原因だと思う」

二人は電車に乗った。

一時間もかからずに、アウトレットのある駅に着くはずだ。


買い物の前に、腹ごしらえがしたいと祐介が云う。

奏恵は、そんなにお腹が空いては、いなかったけど祐介に付き合うことにした。

駅に着いた時、時刻は12時近くなっていた。

どの店も混んでいそうだ。

「何が食べたいの」

「とにかく空腹だから、何でもいいよ。それにこの時間だから、座れればラーメンでもピザでも、何なら
牛丼でも構わない」

よほどお腹が空いてるんだ。
奏恵はそう思った。

改札を出ると、やはり人が多い。

「アウトレットでバーゲンだからな。しかも秋物。混むのも仕方ないさ」


飲食店は、たくさん有る。
どこかしら座れるお店があるだろう。

梅雨時の今はジメジメするから、ラーメン屋なら空いてるかも。

奏恵はそう思ったが、甘かった。

お店の外には行列まで出来ている。

「当然だよ。今はどの店も冷房で、ガンガンに冷えてるんだから」

「そういえばそうだった」

15分くらい歩いた時に、祐介が、
「ここにしよう」と云った店は、
オムライスの専門店。


「奏恵はオムライスが大好きだろう?」

祐介は、そう云って微笑んだ。

自分のことしか考えないように見えて、実は奏恵のことを一番に考えてくれている。
それが祐介だ。

こんなに優しい人と、別れることを、奏恵は決めていた。

そう思ったら、彼女は泣きそうになった。

あれだけ辛くて、会う度に苦しくて堪らなかったのに、自分が出した答えは、間違っているのだろうか。

そんな思いが、心をよぎる。


「奏恵、どうかした?」
祐介が心配そうにしている。

「ううん、どうもしない。中に入ろうよ」

祐介は、直ぐに気を取り直すと、
「よし、入ろう」と云った。


席について、メニューを見る。

「あ〜迷う。どれも美味しそう」

そんな奏恵を、祐介は笑いながら見ていた。

「奏恵はさ、普段はしっかりしてるのに、食べ物のことになると、決断するまでに時間がかかるよね」

「仕方ないでしょ。一つしか頼めないとなると、迷わない?」

「大袈裟な。なんなら三つ頼めば?」

「馬鹿にして。笑えばいいわよ」


そんな奏恵を見て、祐介はますます楽しそうな顔をするのだ。

奏恵はホワイトソースが、かかったオムライスを選んだ。

「あれ?奏恵はホワイトソース好きじゃないのに」

祐介は、驚いたような表情をしている。

「好きじゃない。でも、だからこそ祐介の前で食べたいと思って」

「難しいこと云うな」


「うん。云ってる自分も判ってないの。
でも、だから、祐介がまだ、私の前に居る内に食べたかった」

なに云ってるんだろうか私は。
奏恵は心の中で自分に苦笑していた。

祐介はノーマルなオムライスの他にフライドポテトの山盛りを注文した。


「相変わらず祐介の胃は、いったいどうなってるのかと毎回、驚くわ」

「普通だよ。フライドポテトって旨いじゃない。たぶんハンバーガーよりポテトの方が好きかもしれない」

最初に運ばれて来たポテトを、祐介は、次々と口に入れる。

奏恵も少しもらって食べた。
揚げたてのフライドポテトはカリカリして、美味しい。

二人のオムライスがテーブルに届くと、奏恵は食べ始めた。

卵がふわふわしたオムライスは、最高に美味しく、ホワイトソースはやっぱり好きじゃなかった。


最後にアイスコーヒーを飲み干すと、祐介と奏恵は店を出て、アウトレットに向かった。

GAPで、ターコイズ色のセーターを見つけた。

「私はこれにする」

「僕もターコイズは大好きな色だな。たまに貸してくれる?」

奏恵と祐介は、よく服の貸し借りをした。祐介は男性の割には華奢な体型をしている。

貸す日は、もう来ない……けれど奏恵は頷いた。

祐介は深いグリーンのシャツが気に入ったらしい。

二人でレジを済ませると、次の目的であるZoffを目指す。


「さっきよりもっと、人が増えたね。
GAPで買ったシャツの色いいよ。祐介に似合うと思う」

 
祐介も、まんざらでもなさそうだ。

Zoffも、かなりの人が、目の検査の
順番待ちをしている。

「視力、落ちてるだろうなぁ」

奏恵の心配をよそに、祐介は、
「さっきフレームを選ぶのに、奏恵がメガネをかけてみただろう?
似合ってた。可愛いと思った」


「そお?自分じゃ判らなくて」
「大丈夫。メガネをかけた奏恵もいいよ」

順番が廻って来たようだ。
「検査してもらうね」

「緊張しなくていいから。僕は店内を見て廻ってるから行っておいで」

奏恵は、さっきまでの緊張感は去って、落ち着いていた。


椅子に座ると目の前にある、検査用の機械に両眼を当てた。

最初は順調だった。
「右、上、え〜と、下かな」

けれど徐々に奏恵は、映し出される記号や文字が見えなくなっていった。

「判りません」
「見えないです」

「では、これはどうですか」

「何にも見えないんです。すみません」

検査をしていた店員は、不思議そうに、奏恵のことを見て、
ハッとした顔になった。


奏恵は泣いていたのだ。
涙で、全く見えなくなっていた。

「少し休んでからにしましょう」

気を利かせた店員は、そう云うと
奏恵を椅子のところまで連れて行ってくれた。


商品を試しに耳にかけたりして、
時間を潰していた祐介は、椅子に座って、下を向いてる奏恵を見つけた。


「どうしたの奏恵」
急いで祐介が傍にやって来た。

最初、奏恵は黙ったままだった。
少し経つと、ようやく話せるようになった。

「今日はメガネを買うのは、やめておくね。せっかく付き合ってくれたのに、ごめんなさい」

「謝ることはないよ。さっきからずっと奏恵は具合が悪そうだったもんな」


「表に出たい」

祐介は、奏恵の手を取ると、店の外に出た。

いつの間にか、雨になっていた。
音は静かだが、かなり降っている。

「参ったな。小止みになるまで、どこかでコーヒーでも飲んでる?」

奏恵は黙って首を振ると、

「ここでいい」
そう応えた。

祐介は、判ったよと云った。


ザー ザー ザー

激しくなって来た雨を見ながら祐介は、奏恵に訊いた。

「何か僕に話したいことがあるんじゃないかな」


奏恵は黙ったままだ。

「いいよ、話して。どんなことでも、僕はちゃんと訊くから」


奏恵は息を止めている。

それから、震える声で祐介に告げた。

「別れてください」


ザー  ザー  ザー

  ゴロゴロゴロ


「何故?僕が嫌いになった?」


「嫌いなわけない。なれない」

「それなら、なんで別れるなんて云うんだよ。嫌いになったんだろう?
隠さなくていいよ」


また空が光った。

遅れて、バリバリバリと、夜空を引き裂くような音がした。


「今年、僕と奏恵が付き合うようになって、13年になるね。齢も40が目前に迫ってる」


「そうだね……」

「僕は奏恵にプロポーズする予定だったんだ。やっと仕事も軌道に乗ってくれたから」

「……」

風が強くなった。

二人の体は、吹きかかる雨でびしょ濡れになりつつある。


「僕のことが嫌いじゃないなら、他に、僕より好きな男が出来た?」


「そんなこと、絶対にない」

「なら、どうして。奏恵の気持ちが僕には全然判らないんだよ」


「……私が話しても、祐介には理解出来ない、きっと」

「随分と、みくびられたな、僕も。
とりあえず話してみて欲しい」


奏恵は黙っていた。
雨と風の音。稲妻が響く中で。

「祐介は、私のことが本当に好き?」


「プロポーズしようとしている男に
訊くことじゃないだろう」

「本当に、私を愛してますか」

「愛してるよ」


「祐介が愛しているのは、私のことじゃない」

「何を云ってるのか説明して欲しい」

奏恵は唇にギュッと力を入れた。


「私が、そうだったの。祐介のことを愛してると、ずっと思ってた。けれど違ってることに気付いてしまった」

「じゃあ、奏恵が愛してたのは、いったい誰なの」

「息子」

「息子って誰。さっきから奏恵の話が、まるで見えないんだ」


「判らなくて当然かもしれないけれど、私は本当のことを話してるの」

「奏恵は確かに不思議な能力を持っているのは僕も知ってはいたよ?だけど奏恵の息子だったと云われても」

「判るけど、でも祐介が愛しているのは、母としての私なのよ」

「頭が混乱してーー」


「そして私が愛してたのは、息子としての祐介」


沈黙が続いた。


「……祐介は覚えてる?最初に私と出会った時、こう云ったのを。
『僕が中学の時に見た夢に奏恵が出て来たことがあるんだ。目だけなんだけど』そう私に云ったの。それから」


「僕はお袋を抱きしめてた。目は奏恵なんだけど、体型が二人共そっくりで。僕は何でお袋を抱きしめているのか、夢の中で判らずにいたんだ……え!嘘だろ。そんな……」


「私もこのことに気が付いた時、愕然としたし、信じたくなかった。
だけどこのことが本当なら、全て、辻褄が合うのが判ったの」


まるで嵐の中に二人は、取り残されたようだった。

ガラガラガラ  ドーーン
   バリバリ

「奏恵、危険だ。中に入ろう」

祐介に云われて奏恵も建物の中に戻った。

頭から脚先まで、びしょびしょになっていた。

壁際に椅子が並んでいる。

座るのが申し訳なかったが、無駄だと思いながらもハンカチを敷いて二人は腰を下ろした。


「続きを話してもいい?」

難しい顔をして、祐介は頷いた。

「輪廻転生を祐介は信じないと思う。私も何と無くしか信じてはいなかった。でももう、疑う気持ちはなくなった」


「少し待ってて。喉がカラカラだ。
何か飲み物を買って来る。奏恵は何か飲みたい物はある?」

「祐介に任せる。同じのでいいよ」

判ったと云って、祐介は買いに行った。


ガラス張りの入り口から、雷が幾つも光るのが見えた。
初めて見る光景だ。


「お待たせ。そこのカフェで、ラテを買って来た。はい、奏恵」

祐介からラテを受け取り、奏恵は一口飲んだ。

その暖かさに、奏恵はようやく一息ついた思いになった。

祐介も、美味しそうに飲んでいる。


さっきまでの険しい表情が、柔らかい雰囲気に変わっていく。

「続きを話していいよ」


奏恵は頷くと、再び話し始めた。

「祐介の母親だった頃、背景には戦争があった。祐介も戦場に送り出さなければならなかった。
私は自分を責めた。祐介を行かせたこと」


「だから奏恵は、戦争映画が大嫌いなのかな。実際のところ今も現実に戦争は繰り返されてる。
奏恵はニュースを見ないようにしてるよね」


奏恵は哀しそうにしている。

自分を責める思いを解消する為に、奏恵は生まれて来たようだった。


親子ではなく、恋人同士となって。


黙って訊いていた祐介は、
「この出会いも残酷な気がするよ。
事実、僕はいま、とても辛い。
奏恵と離れることが、死ぬほど辛いよ」

そう話す祐介は泣いていた。

奏恵も彼と同じ思いを抱いている。

罪悪感を解消する為に、今度はこんなに苦しい別れを経験するなんて。

まだ、100%理解を出来ているわけじゃない。
だけど持って来たことが、解消されたなら、私たちは次に進まなければならないと、奏恵は何故か知っていた。


いつの間にか、雷は遠くへ行き、
雨も風も止んでいた。


後日、奏恵と祐介は、大好きな公園に行き、いつものベンチに座り、景色を眺めた。


[あれが逗子マリーナで、こっちには葉山]

[贅沢な景色だな。富士山も見えるし、最高の時間を過ごせるよ。
でも、一番は、奏恵が居てくれること。それが僕の幸せなんだ]

[私も同じよ。祐介が直ぐ隣に居てくれることが最高に幸せ]


「じゃあ」

「うん。元気でね」

二人は、ハグをすると、別々の方へと歩いて行った。


      了


















   

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