【童話】月夜に舟を出す
夜の湖に、私は舟を出す。
大切な家族の猫も一緒だ。
小さなカンテラを持っていく。
けれど使ったことはない。
月の光だけで、充分だから。
月夜の晩は、貴方がやって来る。
知らない内に舟に乗っている。
「こんばんは」
「こんばんは」
ほら、やって来た。
「今夜の月も綺麗だね」
「ほんとうね。明るくて、美しい」
「貴方は、この世の人なの?それとも違うの?」
私はそう訊いてみた。
「この世にいるよ、キミと同じ世界で生きてるよ」
貴方は笑いながら、そう云った。
🌟🌟
「そうなんだ。どこに住んでいるの」
「たぶん、ここからは、遠い場所にいるんだと思う」
少し考えながら、貴方は答えた。
もしかすると、貴方もよくは知らないのかもしれない。
大きな岩のあるところに来た。
「この岩は、なんでこんなに光ってるのかしら」
私は、いつも不思議に思う。
「それは、たくさんの宝石を持っているからだよ」
「宝石を?」
貴方は頷く。
「昼間には分からない。けれど月の光を浴びると光出すんだ」
「そうなんだ」
「人間と同じだと思う」
「私たちと同じ?」
「そうだよ。人間も宝石を持っているんだよ」
🌟🌟
私には意味が分からなかった。
「キミと同じで、知らない人間が多いけど」
「貴方はなぜ、知っているの?」
「あれ、なんでだろう。きっと誰かに教えてもらったのかもしれないね」
「ふ〜ん、そうなんだ」
ミ〜
猫が鳴く。
湖に響き渡る。
「私ね、まだとっても小さな頃に、お友達の三輪車を壊した事があるみたい」
「へえ、キミがかい」
私は頷いた。
「本当に小さい頃。まだ幼稚園に行く前。
薄っすらと記憶に残っているの。
泣いてた」
「そう、小さなキミが泣いてたんだ」
「そうじゃなくて、三輪車を貸してくれた、お友達の男の子が」
「……アハ」
「自分の三輪車を壊されたからだと思うの」
「その男の子には悪いけど、なんだか笑ってしまうな」
そう云うと、貴方はまたアハハと笑った。
猫の鳴き声以上に響き渡った。
「そろそろ夜が明ける、帰らないと」
「行く前に、一つだけ教えて欲しいんだけど」
「なんだい」
「私はいつ、結婚する相手に出会えるのかな」
「それは、難しいことを訊くね」
「ごめんね。でも知りたくて」
🌟🌟
貴方はしばらく考えていた。
「出会うのは、早いかもしれない」
そう云った。
私は身を乗り出した。
「でも、ずっと遅いかもしれない」
「どっち?」
「僕にも分からない。でもね、出会う前に人間は、たくさんのことを経験しなくてはいけないから」
「どうして?」と、私は尋ねた。
「人の痛みを感じられるように」
「人の痛み……」
「そうだよ。それが一番大切だから、たくさんのことを経験して学ぶんだ」
「そうなんだ」
「でも、もしかしたら出会わないこともあるみたい」
「どうして?」
「そういう人は、結婚相手とは違う人たちと出会いながら、新しいことを学んで行くから」
「そうなんだね。ありがとう」
「太陽が、そこまで来てる。じゃあ行くね」
そう云うと貴方の姿は、舟から消えた。
🌟🌟
「……ねえ、聞いてる?ぼんやりしてるけど」
「あ、ごめん。何の話しだっけ」
「これだよ。自分の夫が悲しい話しをしてるのに」
「悲しい話し?」
「そう、一番古い記憶は、悲しい出来事だった、という話し」
「悪い、もう一度話してくれる?今度はちゃんと訊くから」
「僕が覚えてる限りの古い記憶が、涙なしでは語れない出来事だったんだ」
「そうなの?なにがあったの?」
「一緒に遊んでいた女の子が、僕の三輪車を壊したんだよ。ひどくない?」
「あ!あれは、アナタだったの!」
「あれって何が?」
「なんでもない。そうだったの。それは悲しいね」
「だろう?悲しい出来事だよねって、キミ、笑ってない?」
「笑って……ないよ」
「めちゃくちゃ笑ってるけど」
「そ、そんなこと、ない」
「おかしくない?夫の悲しみを笑う妻って」
「本当にごめんなさい。悪かったわ」
「だから、何に謝ってるのか教えて欲しいんだけど」
《アナタだったんだ》
「とにかくごめんね、アハハ」
「キミ、変だぞ、大丈夫?病院行く?」
「行かない、ごめんね、アハハ」
《出会えて良かった》
(完)
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?