見出し画像

【浜辺の記憶】


大好きな海岸は?

もし、そう訊かれたら、美夜の答えは昔から変わらない。

「神奈川県の逗子海岸です」


何故?

「大好きな人と、何度も来た思い出の海だから。
海水浴にも来ましたよ。
けれど夏以外の季節が多かったかな」


「人の少ない砂浜に、シートを敷いて寝転びました」


美夜は、どうしても波の音を録音して、自宅でも聴けるようにとラジカセを持って来たこともあった。


「中々、上手く録音できたんですよ」


波の音


風の音


遠くから車の走る音


散歩に来ていた犬の声



「そして、予想もしなかった嬉しい音が、録音いました。彼がシートの砂を手で祓う音です」


  サッサッサッ 


       サッサッサッ


 


今と違って、カセットテープの時代。

美夜は何度、このテープを聴いただろう。


目を閉じて、音に集中して、


    サッサッサッ


貴方が隣に居るように感じられて、聴くたびに、幸せを感じられた。



美夜は今日が誕生日だ。

30代も、折り返しになった。

人はよく「アッという間に歳を取る」

「時間が過ぎるのが早くなる」

そういうけれど、美夜は違った。

一日、一ヶ月、一年。

とても永い。


それはたぶん

   
 《待っている時間だから》


何かを待っていると、時の流れは遅くなる。

早く早くと急いてしまうから。


美夜は本当は分かってる。


“待つことをやめた方が自分が楽になれる”


けれど、分かっていることと、それが出来ることは違う。

苦しいと思っても、やはり待つ、待ち続ける。

それが美夜の出した結論なのだ。




会社にいても、家に帰ってからも、美夜は携帯を離さない。

いつ電話がかかってきてもいいように。

とにかく一日中、美夜は待つ生活を送っている。

どんなに、クタクタに疲れようと。


最近、同じ夢を見る。

極度の高所恐怖症なのに、高層ビルの、非常階段で、動けずにいる自分。

少しでも、下を見ると震えが止まらなくなっている夢。


目覚めると、いつも、汗をかいている。


本当は美夜は怖いのだ。

待つことが、とてつもなく怖い。

何故なら、期待をしているからだ。


待った先に、自分が望んでいる答えが、なかったら、私はどうなってしまうのかを考えると、不安にやられそうになる。



美夜は月に一度、自宅がある東京から北海道に行っている。

逢いたい人が北海道の病院に入院しているからだ。


今日も早朝の便でやって来た。

病室のドアを開ける。

美夜の逢いたい人の、お母さんが迎えてくれる。


「毎月、遠いところを、ありがとうね、美夜さん」

優しい言葉をかけてくださる、そのお母さんは、お会いする度に、痩せていく。


そして、お母さんは、美夜が逢いたい人の枕元に行って、

「弘樹、美夜さんが来てくれたわよ」と、云うのだ。

その人、弘樹さんは、顔にも体にも、たくさんのチューブを付けている。


お母さんの言葉に、何も反応はない。

美夜も弘樹さんの傍に行き、顔を見ながら、

「弘樹さん、こんにちは。今日の気分はどうですか。外はかなり吹雪いてますよ」

そんな風に、毎回、話しかけている。



弘樹さんは、目を瞑ったままで、ベッドに横になっている。

その後も、帰るまで、ずっと話しかけてくる。

会社でのことや、テレビで話題になっていること、美夜がいまハマっている食べ物のこと。


どんなに無反応だとしても、美夜は話し続ける。

もう数年になる。


「少しでも目を開けてくれたら」

「指先が動いてくれたら」

弘樹さんのお母さんは、そう云って涙を流すのだ。

美夜は必ず、泣いてるお母さんを抱きしめる。

「お母さん、奇跡は起きます。だから、信じましょう」


そう云って、美夜は病室をあとにする。

病室のドアを閉めた途端、美夜の目からは涙が止まらなくなる。



(弘樹さんが、トラックに跳ねられた)


深夜、美夜に連絡があった。

彼と美夜の共通の友人からだった。


美夜は急いでタクシーを呼び、救急病棟に向かった。

弘樹さんは緊急手術中で、廊下には家族の他に、たくさんの友人が集まっている。


中には美夜を見つけると、泣き出す人もいた。

その様子から、美夜は事態はかなり深刻な事を知った。


弘樹さんは、一命は取り留めた。

だが医師の口から出た言葉は、残酷なものだった。


【一生、目覚めないことも】


その時点から先、数時間の記憶が、美夜にはない。

ショックが、余りに強すぎたからだろう。

医師から、そう訊いた。


今でも続いている。



弘樹さんは、最初は都内の病院に入院していたが、ある時、北海道にある病院が、

弘樹さんの様な病気の専門であるのを家族が見つけ、そちらに転院したのだった。


弘樹さんのお父さんは、北海道でも都会に仕事を見つけ働いている。

少しでも収入の多い仕事に就くためだ。

お母さんは病院の近くに部屋を借りて暮らしている。


美夜もよほど北海道に住もうかと考えたのだが、弘樹さんのお母さんに強く説得された。

「弘樹はこの先どうなるのか分からない。

美夜さんを巻き込むわけにはいかない」



泣きながらそう話す、お母さんの言葉に美夜は北海道で暮らすのを諦めた。

そして今の生活を変えずに月に一度、弘樹さんに逢いに行くことにした。

ひたすら眠りから目覚めることを待ちながら。



弘樹さんの病室にも、ラジカセを置いている。

元気な頃に弘樹さんが好きだった歌を、流したり出来るように。


ある日美夜は自宅で、今度、弘樹さんに聴かせたい曲が入っているテープを選んていた。

その時、あるテープを見て美夜は、次に行った時に必ず弘樹さんと聴きたい。

何故だかそう思っい立った。


北海道に、来るようになって、何度目かの春だった。

病室の窓を開けると、桜の花びらが入ってきた。


「弘樹さん、桜の花びらが入ってきたよ、きれいだね」

美夜はそう話しながら、ラジカセに、テープをセットした。


「今日はね、すごく懐かしいテープを持ってきたの。弘樹さんと逗子海岸に行った時に録った音。一緒に聴こうね」

そう云って、美夜はスタートのスイッチを押した。


病室に波の音が流れた。

寄せて……返す……。

美夜は弘樹さんの枕元で目を閉じて聴いていた。


「はっ!」

お母さんの息づかいが聞こえた。

「弘樹が……弘樹が……」

その言葉に、美夜も弘樹さんを見た。


涙が……弘樹さんの目から涙が流れている。

美夜は言葉が見つからなかった。


ただただ、弘樹さんの手を握り締めた。


サッサッサッ


       サッサッサッ 


  サッサッサッ




ゆっくりと、彼のまぶたが、開いた。

そして、その瞳は真っ直ぐ美夜を捉えた。


弘樹さんが、手を握り返した。


  《お帰りなさい》


 《ただいま。美夜》


     了
















この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?