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虹の街

同じ6年B組の寺脇惣太は、このところずっと、鼻をグスグスいわせてる。

私の家と惣太の家は、直ぐ近所にある。

幼稚園から一緒った。


「いつまで泣いてると、亀次郎も心配してしまうよ」

「だって、グス、やっぱりさ、グス、亀次郎がいないから、寂しいし、グス」


2ヶ月前に、惣太が可愛がっていた亀次郎が、天国に行ったのだ。

亀次郎は、惣太の父の友人が飼ってる柴犬が産んだ赤ちゃんだった。

5匹の赤ちゃんの中で、亀次郎だけは、病気を持って産まれた。

他の兄弟たちは、直ぐに貰い手が決まったが、亀次郎だけが残ってしまい、飼い主さんが困っていたらしい。

それを訊いた、惣太の父が引き取ったのだった。惣太が小学生になったばかりの時だ。

亀次郎は、3本脚で生まれてきた。けれど散歩が大好きで、いつも尻尾を、ぶんぶん振って、ご機嫌な顔をしているワンちゃんだった。


食欲も旺盛で、元気な亀次郎。
なのに……。

何があるか判らないって、こういうのを云うんだろう。
亀次郎は、突然、死んでしまった。

なんとか腎不全での、突然死だったそうだ。

柴犬なのに、亀次郎なんて名前を付けられても、文句も云わず惣太の家族に明るさと笑顔を、届け続けた。

いや、ひょっとしたら、亀次郎は自分の名前に不満で、怒っていたのかもしれない。

人間が勝手に思ってるだけで。
けれど自分に名前が付くって嬉しいな、私なら。


「爺ちゃんが、可愛がってた亀が死んだ数日後に、家に子犬がやって来た。そしたら爺ちゃんが勝手に[亀次郎]なんて名前を付けたんだ、グス、柴犬なのに。亀次郎が可哀想だ。グス、グス」


惣太は、お爺ちゃんのことが好きだけど、このことだけは、今も許せないみたいだ。


「音羽は亀次郎が死んじゃって、寂しくないの?よく一緒に遊んだり、散歩にも行ったのにさ」


恨めしそうな顔で、惣太は私を見てる。

「女は、男みたいにウジウジしないのよ。先に帰る」

私は、それだけ云って走り出した。


「女って冷たいんだなー!」


惣太が、大声で叫んでる。

それには何も言い返さずに、私は走り続けた。  
だけど。

【惣太のバカ!】

心の中では叫んでた。



家に着いた私は、ランドセルから、鍵を出して玄関を開けようとしていた。

「音羽、お帰り」

振り向くと、パートから帰って来た

お母さんが立っていた。

「ただいま」
私はそう云って、ドアを開けて、お母さんを見た。

「あら、ありがとう。先に入るね」

スーパーのビニール袋を下げて、お母さんが中に入り、続けて私も靴を脱ぎ、家に入った。


キッチンのテーブルに、袋を置くと、お母さんは、
「エコバッグを持ってくのを、忘れたのよ。おかげで5円払うことになっちゃった」

子供みたいな、膨れっ面で、そう云った。


「お母さんにしては、珍しいね。
たまになんだから、いいじゃん。5円だし。それよりお腹が空いた」


5円だって大事なお金なんだからね。

ブツブツ云いながら、お母さんは、ビニール袋から、シュークリームを取り出して、私に渡した。

「私の大好きな、チョコと生クリームが、たくさん入ってるシュークリームだ!」

「このシュークリームが洋菓子系では一番安くて118円だから売れてるのよ。物価が高過ぎて、買える物を探すのが大変」


「わたしこれ。大好き。食べていい?」

「手を洗ってからね」

私は洗面所で手を洗い、目の前の鏡を見た。

(女って冷たいんだな)

私は鏡に映る、惣太を睨んだ。


「惣太なんか、何にも知らないくせに。知らないクセに!」

そう云うと、私はキッチンに戻り、おやつを食べた。



夕飯までは、まだ時間がある。
だから私は、二階の自分の部屋で、
宿題をすることにした。

苦手な算数の宿題を、早く終わらせたくて、私は集中して取り組んだ。


「あ〜、やっと終わった」

私は時計に目をやった。

「え〜!もうこんな時間だ。やっぱり算数だと時間がかかるなぁ」

外から音が聴こえる気がして、私は窓を開けた。


「雨が降ってる」

薄い紫色と灰色を少しずつ混ぜたような街になっていた。

もうすぐ梅雨入りだ。

あの時と同じに。




小学4年の時だった。

学校からの帰り道。

    

   ミーミーミー


「ん?猫が鳴いてる?」

私は立ち止まり、耳を澄ませた。


   ミゥ ミゥ


私は声がする方へ行った。

そこには小さな祠(ほこら)がある。
その横に段ボール箱が置かれていた。

そうっと中を覗いた。
「やっぱりいた」

タオルが敷かれた箱の底に、小さな猫が一匹、私を見上げている。


「この子を捨てた人がいるんだ。まだちっちゃいのに。可哀想に痩せてる……。食べてないんだね」

私は猫を撫でようと、ゆっくり箱の中に手を入れた。


けれど、かなり怯えているので、直ぐに引っ込めた。

「この箱で寝ているの?雨の日は、どうしてるの」


猫は黙っている。

ただその瞳は、不安そうで、目を合わせるのが、辛くなった。

「家の子になって欲しいけど、無理なんだ。お母さんがね、猫アレルギーなの。だから……ごめんね」


私は家から、何か食べる物と、ミルクを持って来ることにした。

「直ぐに戻るから。待っててね」

猫は、今にも泣きそうな表情で私を見てる。

私は急いで家に帰ると、お母さんに見つからないよう、猫が食べてくれそうな食品を探した。

「ツナ缶くらいしか無い。食べてくれるかな」


冷蔵庫から、牛乳のパックを手に取ると、タッパーに注ぐ。

「人間用の牛乳だけど、大丈夫かな」


この二つをポシェットに入れると、
再び猫のところへ向かった。


翌日から、私は給食を残して、猫のご飯にした。

胸のところにハートマークの模様がある、白と薄茶色の猫は、とっても可愛かった。


「私の家では飼ってあげられないけど、ご飯と飲み物の心配はしなくても大丈夫だからね」

その内、猫は私に懐いてくれるようになった。
名前を付けようと思い、悩んだ末に、『みかん』にした。

それから私は夜でも、雨が降ったら必ずみかんのところへ行った。

最初は、みかんの姿がなく、探し歩いた。

けれどある日、みかんが意外なところに居るのを発見した。


それは、祠の中。
みかんは、雨の日には、祠で雨宿りし、眠っていたのだ。


神様は優しい。


サー サー サァ……


「雨ばっかり降るね、みかん」

みかんは静かに私の話しを訊いている。

「もうすぐ梅雨入りだからね」


私とみかんは、並んで空見上げた。

この日も朝から、雨が降り続いていた。

みかんと出会ってから、半年になる。


ところが数日後、みかんは姿を消してしまった。

「どこに行ったんだろう」

保健所じゃありませんように!


私は項垂れて、家に帰った。


クシュン クシュ 

その夜、お母さんはくしゃみばかりして、ときどき目をパチパチと、させていた。



私は、みかんのことが、心配で仕方なかった。
みかんが消えてからも、何回も脚を運び、みかんのことを探した。


祠は、小さな神社だと訊いたことがある。
だから私は手を合わせて、みかんの無事を願った。

みかんを雨宿りさせてくださり、
祠の神様は、きっと優しいんだ。
願いを叶えてくれる、必ず。


誰も手入れをして無い祠に、野の花を摘み、ペットボトルに生けて飾った。


もしみかんが病気だったら。
けれど、そうだとしても私には、みかんを動物病院で診てもらうお金を持っていない。

みかんを飼ってくれる人を、私が頑張って探すべきだったのかもしれない。

ただただ、みかんが可愛くて、毎日会いたかったのだ。


病気で、どこかで倒れていたら。
保健所に入れられていたら。


私の責任だ。
私が自分勝手だったから、みかんは……。


「どうしよう」

私は、道にしゃがみ込んで、泣き出してしまった。

暫く泣き続けた時、「音羽ちゃん」
名前を呼ばれて、私は顔を上げた。

「お母さん」

確かにお母さんが立っている。

「猫ちゃんなら、大丈夫よ」

え、何でお母さんが、みかんのことを知ってるの。


お母さんは、私の隣にしゃがんだ。

「音羽ちゃん、ごめんなさい。私が猫アレルギーだから家に連れて来れなかったのよね」


「……」


「音羽ちゃんの様子が変だったので、お母さん、後を着いて来たことがあるの」

「え、私のあとを……」


お母さんは、頷くと、

「猫アレルギーでも、一緒に暮らすことは出来ないものかと、色々調べたり、お医者さんに相談したりしたんだけど……」


猫アレルギーでも、一緒に生活している人はいるらしい。
でも、かなり注意をしながらでないと、無理なのだそうだ。


お母さんの、アレルギーは、かなり重症で、お医者さんから止められた。


「それでね、お母さんの友達で、保護猫の活動をしている人がいてね、彼女に相談したら、ここまで来てくれの。そしたら猫ちゃんは病気にかかってたの。だから彼女は病院へ連れて行ってくれた。お母さんは近づけないから」


「みかんが病気」

「あ、でも大丈夫。悪化する前に気付いたから、薬をもらい、今は彼女のところに居るわ。他にも保護をしてる猫ちゃんたちがいて、人間に懐くように、教わってるの」


「良かった」
だけど……。


「会いたいよね、猫ちゃんに」

私は、うん、と返事するのを我慢した。
私の姿を見たら、みかんは家族に迎えてくれる人と、出会えなくなってしまう。


そのことが判ってた。

お母さんは、私のことを見つめていたけど、急に抱きしめてくれた。

そして、私とお母さんは、家に向かって歩いた。

「あっ!」

私は戻った。

「どうしたの、音羽ちゃん」
「神様に、ありがとうって云わないと」

私は祠に手を合わせた。
「今まで、みかんのことを護ってくれて、ありがとうございました。
みかんが、優しい人に家族にしてもらえますように」

それを伝えると、お母さんのところに戻った。

そして手を繋いで2人で歩いた。



「音羽、この前はひどいこと云って、
ごめんな」

帰宅途中に、私の隣に来た惣太が、そう云った。


「別にいいよ」

惣太は話しを続けた。

「あのな、亀次郎が死んだ時に、動物を骨にして大切にしてくれる、お寺に、家族みんなで行ったんだ」

「うん」


「だけど、オレだけ行けなかったんだ」

私は惣太を見た。


「どうしても、亀次郎が骨になるのを、見たくなかったから」

惣太が泣いてるなを、私は初めて見た。


「弱虫だから、オレ。でも行けばよかったって後悔してるんだ。
いまさら遅いけど」


その時、突然ザーザーと土砂降りになったのだ。

仕方なく、私と惣太は軒先で雨宿りすることにした。


アッと言う前に、道は水浸しになり、1M先も、よく見えなくなっていた。

「スコールっていうんだろ」
惣太が云った。

「すごい降り方だね。でも直ぐに止むと思うな」

その通りで、5分後には雨は嘘のように、ピタっと止んだ。


雨雲は、風に流されるように無くなり、隠れていた青い空が現れた。


「帰ろう」

惣太は、頷いた。

「亀次郎は、気にしてないよ。あの子は優しくて、明るいワンちゃんだもの」


惣太は、下を向いて歩いてる。


「虹だ!見て惣太。虹が出たよ」

惣太も空を見上げた。

「あんなに、クッキリした虹って初めて見た」

「亀次郎が見せてくれたんだと思うな。動物は虹の橋を渡って神様のところへ行くっていうでしょう?」

「亀次郎……。オレ、弱虫でごめんなー。亀次郎のこと大好きだよ。
これからも、ずっとずっと大好きだからなー。絶対にまた会おうな」


「亀次郎、ありがとー!」

私も大きな声で、虹に向かって叫んだ。


そして、私と惣太は、歩き始めた。


あの後、みかんは優しい家の家族になった。

お母さんに送られて来た写真には、奥さんとご主人の真ん中で、
幸せそうな顔の、みかんが写っていた。


      了






































































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