見出し画像

父の一番幸せな日

「パパはお風呂に入るけど一緒に入る人は手を上げて」

「はい!」

小4の彩が手を上げた。

「よし、彩はパパと入ろうな」


彩は頷くと、さっそく服を脱ぎ始めた。

「ちょ、ちょっと待て。お風呂が沸くまでもう少しだからな」

「は〜い」

彩はそう云って脱いだトレーナーをもう一度着直した。


「玲奈ちゃんはパパと入らないの?お風呂」

母の小夜が、キッチンで絹さやの筋を取りながら訊いた。

玲奈は困った表情をしている。

「う〜ん……」

「考え中のようね」

小夜は娘の仕草を微笑んで見ている。


「なんだよ〜玲奈はパパと入るの嫌か?」

「う〜ん……嫌っていうかぁ、嫌じゃないけど、う〜ん」

「お姉ちゃんは、う〜んばっかり云ってる。

変なの」


小夜はクスクス笑いながら会話を訊いている。

「彩ちゃん、お姉ちゃんはもう小学6年生だからパパとお風呂は迷ってしまうのよ」

そう云われても彩には判らないようだ。

玲奈はセーターの袖口を引っ張っては、

眉間にシワを寄せて悩んでいる。


「玲奈ちゃん、袖を引っ張ってはダメよ、伸びちゃうから」

玲奈は少しムスっとしたが、「は〜い」

と云って引っ張るのをやめた。


初秋の夕日が辺りを黄金色に染める。


「つい最近まで、暑い暑いと云ってたのにな」

父の涼介が感慨深く夕日を見てる。

「本当に。それが残すところ今年も4ヶ月を切ったなんて、早いわねぇ」


 〈ピロロロ〜。お風呂が沸きました〉


「おっ、沸いたぞ、じゃあ彩、入るか」

彩はニコニコしながら頷くと、

「お姉ちゃんは入らないの?」

そう云って玲奈の顔を不思議そうに見ている。


玲奈はチラッと母を見た。

「玲奈ちゃんの好きにしていいのよ」

そう云うと小夜は立ち上がり、筋を取り終えた絹さやの入ったザルをテーブルに置いてシンクで手を洗った。


「入る!」

そう宣言をした玲奈の顔を見て涼介は吹き出した。

「玲奈の顔。決闘にでも向かうみたいだな」

小夜も振り返り、玲奈を見て笑い出した。


「ホントだ、命懸けみたい」

玲奈は何も云わず、真剣な表情のまま、洗面所に行った。

「父親からしたら、娘はつまらないな。一緒に風呂に入るのも今日が最後かもしれないし」


小夜もしみじみと頷いた。

「彼氏が出来たら家族のことなんか関心が無くなるしね」

「あ〜つまんないの。じゃあ入ってくるわ」

「あ、入浴剤は好きなのを入れてね」


「箱根か草津か、はたまた別府か、迷うなぁ」

涼介はそう云いながら浴室に向かおうとして立ち止まった。

「小夜」

「ん?なぁに」


「よくここまで育ってくれたよな」

「うん、よく育ってくれたね」

「ありがたいよ俺」

「パパー、早く〜遅いよ〜」


「はいはい、ただいま参りますよ、お嬢様がた。そういえば熱海もあったな」

少しして浴室から笑い声が聞こえて来た。

キャッキャッ  パパやめてよー

彩の帽子がない

帽子?あ、シャンプーハットか。


「本当だね涼介。ありがたいね」

小夜は天ぷらの準備を始めた。


   それから1ヶ月後。


「ただいま」

「お帰りなさい」

「パパおかえり〜」

「玲奈、彩ただいま、あれ?」

画像1

「お赤飯だ。何かのお祝いごと?」

「そう、玲奈のお祝い」

「ママがケーキも作ったんだよ!」

彩がワクワクしてはしゃいでいる。


「玲奈の?」

見ると玲奈は下を向いている。

涼介は小夜を見た。

小夜の笑顔を見た涼介は玲奈を抱きしめた。


「大人になったんだね。おめでとう玲奈」

玲奈は黙っている。

「戸惑っているのよ、私もそうだったわ」

涼介は玲奈の頭を撫でながら、

「男には判らないけど、そうかもしれないな。でもね、とっても嬉しいことなんだ。心配しないで」


「お腹空いた、早く食べたい!」

「ごめん彩、いま着替えて来るよ」

「パパ早く早く」


涼介はスーツを脱ぎながら、玲奈の生まれた時のことを思い出していた。


『残念ですがこの病気の生存率は1%です。ご両親は覚悟をしておいてください』

医師の言葉に涼介は何も答えることが出来なかった。

ただ頭の中で「ウソだウソだろ」

そう繰り返すしかなかった。


小夜はずっと泣いていた。


ミルクを飲まない玲奈は、見る見る痩せ細っていった。

集中治療室に5ヶ月間。

その内の半分は危篤状態が続いた。


奇跡的に命を取り留めた玲奈は、晴れて我が家に帰ることが出来た。

予断は許さなかった。

けれど家族として迎えることが出来たのは幸せなことだ。


24時間見守る日々。


その玲奈が今日の日を迎えることが出来たのだ。

涼介は涙を拭うと食卓に着いた。

相変わらず玲奈は難しい顔をしている。

玲奈らしい。


「食べていいでしょ?」

彩が急かす。

小夜が食べようねと云い、

「ではいただきます」と、皆んなで手を合わせた。


小夜は涙ぐんでいた。

涼介と目を合わせると2人で頷くき、微笑んだ。

玲奈がポツリと

「ゴマが無い」

そう云った。


        了











この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?